金で手に入らないもの

残念ながら、「愛」ではない。
金で手に入らないもの、それは「人命(life)」と「脳みそ(Brain)」だ。
前者については説明不要なので飛ばし、後者の脳みそについて説明したい。

まず、お金とは何か?
それは交換券である。

「お金が好き」と言って憚らない人も
何も「新品の10円のこの光沢がたまらないぜ!」とか
「この野口英世と数字の絶妙なバランスが好き」といった
お札やコインを愛しているといったフェチ的な理由で好きなわけではない。
大抵はお金が叶えてくれるサービスとか交換で手に入る物がすきなのだ。

商売とはトレーディング(交換)である。
「古代では物々交換〜」といった話も出来るが、
お金にはお宝の預り証の役割があり、地球上の資源が有限である以上無限ではない。
札束と企業価値(笑)は無限だろうけど。

日本の銀行で勝手にお札を刷って海外の車とか武器買い込めば最強じゃね?
と中には思う人もいるだろうが、
世界に黙って勝手にお札を刷った時点でそれはニセ札と変わらない。
お札の正体は私たちはこのお金と同等の価値を持ってますよという「証明書」に他ならない。
ニセ札は信用を失うので、刷れば刷るほどお札は増えるが、お金の価値はなくなっていく。

RPGではスライム一匹倒せば金が増えるが、あれはスライムから金をパクっているから金が増えるのであって、スライム一匹倒した事により国が「たいへんよくできました!」と言って発行してくれているわけではない。
RPGでは無限にスライムが出てくるので無限に金が増えるが、現実にスライムがいたらみんな喜んで狩ってあっという間にスライムは絶滅してしまい金の出所がなくなるだろう。
(スライムを顧客に変換して読んでみよう!)

金稼ぎなど他人の財産の奪い合いでしかない。
しかも資本主義かつ貧乏人が圧倒的多数なこの世において、
100円の制作費のラーメンを100円で売っても何の意味もない。
それでは材料を自前で買って、料理のために時間を使い、無料サービスしているのと同じだからだ。
せめて101円で売って、1円でも利益を求める。
つまり「本来の価値」では生活が出来なくなるわけで、「本来の価値+サービス側の利益」が定価になる。
そして金を払ったほうも「サービスの利益」の分だけ損しているわけで
より稼ごうと自分の提供するサービスでは「本来の価値+自分の利益+損した分の金」が無いといけない。
みんなが今よりいい身分を望めば物価はどんどん上がっていくし、
利益を犠牲にすれば一生労働者から抜け出せない。

話がぜんぜん進まないので、いきなり変えるが、
愛(笑)と信頼のカネ銀行システムは資本主義の限り、選択肢の多い金持ちが世の中を渡る。
だから金に左右されないバンクが必要になる。それが「脳みそ」だ。

「安心」「過去」「経験」「才能」「人格」「人生」「スキル」「努力」「発見」「モラル」「やる気」…金で買えない物はどれも脳みそに刻まれるものである。

金持ちが子供に熱心な教育を行い、教養やスキルをなぜ身につけさせるか分かるだろうか?
それは他所が管理している銀行の金はいつなくなるのか分からないのと違って
自分だけのパーソナルバンク「脳みそ」ならば他人にはそう安々とパクられないからだ。
人類は未だ脳みそをコピーしてそのまま移すという技術を持ちえていないし、
仮にそんな事をすれば自我はコピー元を基準に作り直され以前の人格は消えてしまう。

脳みそは最強の金庫なのだ。

関連:日本の資本主義がダメなワケ - 鈴木君の海、その中