日ユ同祖論はありえない

前提:漁師たちのハレとケ - 鈴木君の海、その中

 日ユ同祖論ってのがある。神道ユダヤ教の類似点から日本人とユダヤ人の両者が同じ祖先を持つ存在ではないか?と考えたらしい。ハッキリ言ってンなワケない。それは人種的理由からではなく、そもそも日本人とユダヤ人では思想面で大きな違いがあるからだ。

 まずユダヤ人を知るために、ユダヤ教がどのように成立していったかを考えよう。むかしむかし、アブラハムという人物に引き連れられてヘブライ*1という遊牧民族パレスチナに移住し、その一部はエジプトに移住した。

 この当時のエジプトは神の子としての王ファラオが民をまとめる国家を作っていた。この王国に初めの頃は暖かく迎えられた彼らだったが、新王朝になったとたん待遇が変わったのだ。ヘブライ人は日に日にその人口が増えていったため、もしも彼らが敵国の味方になったら大変だ。何しろかれらは元は移民。国のために戦うよりも自分たちの利益を優先して裏切る可能性だってある。そこで彼らの上に監督者をおき、重労働を与え決して逃げられないようにしたのだった。

 ここでヘブライ人は疑念を持っただろう。「俺たちを苦しめるアイツは自分を王というが、どこからどう見たって俺たちと同じ姿をしているじゃないか。なんであんな偉そうにしているんだ?王=神の子だというのならなぜこの神は俺たちを苦しめるのだ?そもそもこの神はどんな姿をしている?鳥の頭に人の体?まるでバケモノじゃないか」――こうして王に対する不信は増していく。生まれた頃からその国で育ったのなら王のいうことはごもっともに見えるだろう、しかし移民は違う。自分たちのじーさんばーさんは別の国で別の神を知っているし別の生活も見ている。その国のおかしなところに敏感になる。

 この後、増え続けるヘブライ人に対して「男が生まれたら川に投げ捨てる」ように命じられるわけだが、そんな中運よく生き残る事が出来た男児モーセだ。モーセは後にヘブライ人を引き連れてエジプトを出るわけだが、エジプト出発後どこかの山であの有名な「十戒」を一神教の神から授かるわけだ。ちなみにその十戒最初のフレーズは、

わたしのほかに神があってはならない。

これが多神教に対する言葉である事は明白だ。この一節があるだけで、既にこの時代にはこの一神教の神以外にも神として信仰されている存在がいた事を表す。つまり、ユダヤ教とは「自分たちの土地を持たない移住民族が、土地を持ち身分では明らかに上を名乗り多神教の神のもと王を名乗る勢力に立ち向かうための宗教だった。「アンチ多神教」で「アンチエンペラー」それがユダヤ教の姿である。

 さて、本題だ。日本には伊勢神宮というとても有名な神社がある。そこに籠目紋という六芒星のような模様があり、これがダビデの星というユダヤ民族をあらわす印である事が日ユ同祖論の根拠の一つらしい。しかし、それはありえない。なぜならば伊勢神宮に祀られているのは、天照大御神(以下アマテラス)で、これは太陽の神だ。エジプトでいう太陽神ラーにあたる。さらにアマテラスを最高神としている日本の宗教「神道」は日本の王「みかど(天皇)」の掲げる神だ。つまり、アンチ多神教としてはじまったユダヤがどう考えても相性の悪かったエジプト文化に近い神道文化を作り出すとは考えられない。さらに神道が国の宗教として成立していくと日本人は身分制度を用いた農耕民族としての行き方を受容していく。身分制度に疑問を持ちエジプトを出発したモーセたちとは何か違わないか?

 日本人の思想の根幹には「定住」思想があり、ユダヤ人の思想の根幹には「移住」がある。国防面で平和ボケし続けてきた日本と、常に滅亡の危機にあったユダヤ人のメンタリティや生活スタイルが違うのは当然だ。現代日本においてもユダヤ教徒の割合が日本に少ないのは、ユダヤ人にとって日本という国が住みづらいからに他ならない。では、日ユ同祖説とは何だったのか?それは、来るもの拒まずだった日本人(和の精神、個人より集団)がただ単にたまたま伝わったユダヤ文化を輸入した(抵抗がなかった)だけではないだろうか。

 そう、和の思想。それこそ日本を解き明かすキーワードでもある。

つづく。

*1:外国人から見た彼らの呼称。彼ら自身はイスラエル人を名乗った。ヘブライ人=ジャパニーズ、イスラエル=ニホンジンみたいな感じだろうか?