儒教徒たちの神話

前提:儒教はなぜ時代遅れなのか? - 鈴木君の海、その中

 靖国神社で小便をした韓国人がいるらしい。韓国も中国と同じく儒教徒の多い国で、礼儀正しさを美徳にした国である。そんな韓国人がなぜこんな事を?とお思いになる方も多いだろうが、逆に儒教を信仰するからこそ、ここまで非道に走る事も出来るのだ。

 儒教の総本山である中国には、売国奴として悪名高い「秦檜」という人物の像がある。この像は秦檜とその夫人が正座で座り、なおかつ両手を縛られたような奇妙な格好でそこにあるのだ。こんな気味の悪いオブジェが何のためにあるのかというと、実は観光客が「ツバを吐きつける」ためにあるのだ。我々日本人だったらすぐにでも撤去すべき恥ずかしい文化と捉えるだろうが、「親の敵は子の敵」といった思想の儒教ではこの銅像は未だに残り続ける。*1

 儒教が親を崇拝する宗教である事は既に述べたが、それにより「親をあれだけ苦しめたアイツは悪いヤツ」という価値観が子に残る。さらにその孫、ひ孫までこれは続いていくのだ。つまり、先祖崇拝も行き過ぎると親の価値観をその子供たちの代まで引き継ぐことになる。だから、この思想の前では悪人は未来永劫悪人のままだ。儒教文化圏で彼らの怒りを買った秦檜が救われる事はこの先ずっとないのだ。

 中国や韓国が歴史問題にあんなに感情的になってしまうのも、親と自分がイコールで結ばれているので、親を否定される事が自分を否定される事と同じになってしまうからである。一方で我々日本人は親は親、自分は自分でキッチリ分ける事が出来る。だから、戦国時代や幕末はあんなに国内で血なまぐさい事件があったのに、いろんな人物の銅像やモチーフにした漫画が作られる。他にも、戦争を直接経験した世代がアメリカ嫌いでも、その子供は「でも、アメリカがいるから今の日本があるんだよなぁ」と言ったり、「日本は戦時中、みんなにひどい事をしました」と親のやった事を平気で否定したりできる。つまり、日本には儒教は伝来したが、その教えを守っているやつなんてほとんどいないのである。

 ちなみに日本人が昭和期に起こした戦争というのは、大陸の儒教徒にとっては親という神が経験した「生ける神話」なのである。そしてその神々を苦しめた聖書で言うところのサタンが日本人なのだ。だから神々である親の言うことは絶対に正しいし、サタンの子供である日本人の言い分など聞く必要もない。いやー現実と空想が区別できないって怖いですね。

 「日本は悪い国」といった反日教育を受けている中国や韓国にとって、靖国神社は秦檜夫妻の像と同じく、鬱憤晴らしのサンドバックでしかない。さらに困ったことに彼らは「目に見えない物は信用しない」という超リアリズムの儒教を信仰しているため、英霊の「バチが当たる」とも考えない。

 そう、「バチ」である。日本人にとって死者は驚異的な力を持っている。その事が多くの神社で「人」が祭られているという事に関係してくる。では、日本人は死者の何をそんなに恐れたのだろうか?それは死者が日本人の理想から外れた恐ろしい存在だったからである。

つづく

*1:何百年と経った今ではさすがに恥ずかしいと思ったらしく「つばを吐かないでください」という掲示板が掲げられている。まぁ、当たり前の事なんだが。