死者はケガレているか?

前提:儒教徒たちの神話 - 鈴木君の海、その中

 ネットで「ケガレ」と「死」について調べていたが、ハッキリ言ってお話にならなかった。ツッコミどころが多すぎてどこから話を始めればよいのかも分からなかった。蘭学が日本に来たのは江戸時代になってからで、それ以前の日本に菌のような衛生観念があったのか疑問だし、女性とケガレの関係については中世期の大陸文化流入と明治や戦後の西洋文化の影響がごっちゃになって、それが日本古来の価値観だとか思っているなど、あまりに現代的価値観を持ち込みすぎなのだ。*1

 あまりいろんなところにケンカを売りたくないので、半分くらい私と考えが一致している例を挙げよう。有名な作家である井沢元彦さんの話。彼は「他人が使っていた茶碗」を例に出してケガレを説明する。他人が使っていたものは汚れがとれるまで洗ってもまだ「何か」が残っているような気がしてイヤだ。これがケガレだと彼はいう。だが、ケガレというものは「ミソギ(禊)」によって清めることもできるはずだ。一般的にミソギは「水(み)」で「削(そ)ぐ」と考えられているが、洗うことはミソギではないのか?なぜ茶碗は「ミソギ」できないのだろうか?

 あと、これが一番言いたい事なのだが、多くの書籍やネットでも古代から共に怖れられていた事から「死=ケガレ」を唱えて、人は死ぬ、そして死ぬとウジが湧いたり、病原菌が発生して「汚い」だから差別対象になったのだという。これを日本人の性質と絡めて論じる向きもあるようだが、世界のどこに「死体=キレイ」と捉える人間がいる。死んだ母親にちゅっちゅしながら、「いやー最近ボクのママ変な匂いがしてきちゃってさー」なんて言ってくるヤツとは正直、友達になりたくない。どこにそんなネクロフィリアな民族や国家があるというのだ。

 つまり、多くの人は「ケガレ」を差別用語だと認識しているようなのだ。そして、日本人の差別意識、排他性を説明するためにケガレを借りているという印象を受ける。結論から言えば古代日本のケガレは差別用語ではなく、「風邪」のように状態を表す言葉だ。ケガレはたくさんの意味を包括しすぎたのだ。だから本来の意味よりも「汚れ」として認識されてしまったのだ。

 ケガレとは何か。民俗学では「ケ」+「枯れる」で「ケガレる」という事をあらわす。では「ケ」とは何か。私はこれは「気(け)」を表していると考える。そして「毛(け)」のように束ねて集める事が出来るものだ。そして「食(け)」によって体内に取り込むものだ。まずはこの事を知ろう。これが日本人の死生観に直結しているのだ。

 そう、「死→穢れる」なんて考えは世界の常識だ。だが、「穢れる→死」なんて考えるのは日本人ぐらいだろう。この事をまず理解してほしい。話はそれからだ。

つづく

*1:なんつーか、みんなケガレを「汚れ」だと勘違いしている。