古代のリサイクル思想

前提:女性はケガしているか? - 鈴木君の海、その中

 これまでの話から古代日本人の世界観をまとめてみよう。

 まず、日本には狩猟民族と採取民族がいた。彼らはお互いの納得できるラインを模索し(和の思想)、ハレとケの概念を持った。「ケ」とは生活のためにに必要なエネルギーの事である。「毛」とは野山に生える雑草の事で、「けもの」とは生きる力を持った物、生物の事である。これらを「笥」に盛り付けて、「食」を行う。すると「気」がみなぎってくる。ついでに上の方に「かみのけ」が生えてくる。日本はハイコンテクストの文化なので、「ケ」という同音異語を受容できる。*1

 これらのケはただパワフルな生命力を表しているのではなく、全て「新生」*2する事が出来る概念である。毛は根さえ残せばそこから新しく生えてくる。食はそのまま食物連鎖。笥は一度使った物は割り、材料の状態にし、また新しく作り直す。そういった一連のリサイクルの概念を古代人は持っていた。残念ながらリサイクルマークは三角形だが、古代日本人のリサイクル(新生)の概念は彼らの理想である「円環の輪」のイメージではないか。つまりケとは「この日常のリサイクルの円の中をぐるぐると回り続ける力」である。

 女性が「ケガレ」やすいのは、女性の生理現象により仕事が捗らなくなるためである。*3つまり、その日はいつも通りのケの生活が出来なくなってしまうのだ。――だからこそハレの日が発明された。ハレとはただ単に天気のいい日ではなく、節目をあらわす。毎日晴れていたら毎日ハレなのかといったら違うのだ。ではその節目とは何か?それは月経である。女性が血を流し、死ぬのではないかという緊急事態に、彼らは狩猟民族としての本能を蘇らせる。普段はけもののケガレを怖れ質素なものを集めていても、その日は魚や肉など豪華な食材を食卓に並べる。それは女性に栄養のあるものを食べさせて元気になってもらうためである。出産については既に述べた通りだが、赤不浄や白不浄がハレの日のカラーリングなのも全てはハレが女性(と狩猟民族)のために発明されたからだ。

 こうして見ればハレケも和の思想の一部である事が分かる。日本人にとっての理想とは「みんなが手を取り合ってキレイな輪っかを作っている状態」である。そこでは女性だろうが狩猟民族だろうが差別される対象ではなく、むしろ輪に加えるべき仲間である事が分かる。この思想を持った民族の中に稲作民族が紛れ込んでも、「ああ、今まで採取で賄ってた部分を稲作にしましょう」とお互いが納得する形で「受け入れてもらえる」のである。

 ただし、この和の思想の中で、唯一仲間に入れられない存在がある。それが「死者」だ。死者は「身」がない。だから生きている者なら誰でも出来るリフレッシュ、新生である「ミソギ」が出来ない。手をつなごうにもつなげないのだ。だから死者というのは「輪から外れた存在」であり、絶対に「輪に加わろうとしない存在」だから恐ろしいのだ。日本人の理想から外れた存在なのだ。死というのは突然訪れるものだ。誰もが納得できる形での死なんてそんなに無い。だから死は「和」を乱していくのだ。ましてや死んだ相手が「そんな輪の集団」に対して「恨み辛みを残して死んでいってしまった」ら、そいつは人々の目に見える形で輪に加わろうとしないことを表明してしまったようなものである。誰とでも手をつなぎたい和の思想の持ち主にとって、これほど理想から外れた恐ろしい存在はない。そして普段の何気ない不幸や災いが全てそいつが起こしていると錯覚してしまったら、そこにはとんでもない化け物が生まれていってしまう事になる。それこそが日本古代の神の姿、「怨霊」である。

つづく

*1:もちろん、一休さんの「このはしわたるべからず」みたく、とんちが言いたいわけじゃない。端は「外れ→はじ」が語源であり、「はじ」が「はし」になまっただけなので同一の語源とはいいがたい。時代が時代なら「はしだとぅ?これははじと読むんじゃこの恥知らずめ!」と一休さんは切られていたかもしれない。――これらケはどちらかというとアソコに近い。我々はこのアソコという言葉に全く異なる使い方がある事を知っているが、それは前後の文脈とこれまでの経験から推察する事が出来る。「アソコにボールが当たって痛かった」と「この前ネズミーランドに言ったんだけど、アソコはさぁ」では同じアソコでも別の物を指している事が分かるだろう。しかし、別の意味だから別の言葉ではなく、これらのアソコには「特定の場所を指す」という言葉としての共通の意味がある。ケもこれと同様にそれぞれのケが指している物は違っても言葉の意味は同じであると考えられる。

*2:再生ではない

*3:この理論でいくと、「働いたら負けかな」と思ってるNEETは態度がケガれており、頭がつるつるのおじさんは頭がケガレている事になる。きっと古代では彼らも神社の立ち入りを禁止されていただろう。最も後者は「ある職業」の登場で逆に特権階級になるのだが。