1時間目「もう勇者しないなんて言わないよ絶対」

moon CM
女性「おやめください!」
(タンスを開けるDQ3勇者風の男)
男「あるじゃねーかよ!コインと剣がよぉ!」
女性「おやめください勇者様!」
テロップ&ナレーション「もう勇者しない」
(以下略)

 いやー、面白いCMだ。えっ?女の人がかわいそうで何が面白いのか分からないって?
 うーん、みんなは「ロールプレイングゲーム」って知っているか?……知らないか…そうか、そこから説明しないとダメか。

 先生がこどものころは「ロールプレイングゲーム」というゲームがたくさんあったんだ。今あるゲームだと例えば「ポケモン」とかもそうだな。ポケモンならみんなの方がくわしいんじゃないか?ふだんゲームをしないヤツでも名前ぐらいは聞いたことあるだろう?

 ポケモンは主人公の少年少女がポケモンといっしょにいろんな町に旅へ出かけて、そこで困っている人を助けたり、悪いやつをやっつけたりするよな?ロールプレイングゲームも基本的には同じだ。ただ、ふつうのロールプレイングゲームにはポケモンみたいな相棒がいないんだよ。じゃあだれがワルモノをやっつけるのかというとそこのキミ!今、画面の前でキョトンとしているキミが戦うんだ。OK?

 もちろん、これはゲームだから、ゲームの中にキミの分身を作ってそいつに戦ってもらうんだ。分身は今だと顔とか体型とか細かく作れるんだけど、一番多いのは名前だな。キミの名前を主人公につけてあげる。そうする事で画面内のキャラクターたちが主人公であるキミに向かって話しかけてくるというワケ。今だとそういうゲームたくさんあるけど、昔は画面内で自分の名前を呼ばれるだけで「自分の事、認識してくれている!」とうれしかったもんだぞ。しみじみしみじみ。

 そして、そのロールプレイングゲームの代表が「ドラゴンクエスト」なんだ。上の「moon」のCMはこのドラゴンクエストに対してだれもが思っていることをツッコんでいることが面白いんだよ。

 ドラゴンクエストではキミは「勇者」と呼ばれるヒーローになってぼうけんの旅にでかけるんだけど、情報収集のために民家に立ち入る事もできる。その際にタンスにキミを強くする武器だとか、コインだとか入っているんだね。ドラゴンクエストにおいては勝手にとっても何も言われないんだけれども、でも現実的に考えたらヒトのものをぬすんだらどろぼうだよな。moonのCMはドラクエの登場人物が実際にいたらこのCMのようにいやがるだろうという「もしも」の話でえがかれているわけだ。

 それにしてもヒドい話だね。勇者ってヤツはものすごくイヤなヤツに見えるな。何でゲームのキャラクターは大人しく勇者が物をぬすんでいるのをだまっているのだろう?――moonはこのことを問題にしたゲームなんだ。

moon (アスキーのゲーム) - Wikipedia

アンチRPG・アンチゲーム

従来のRPGでは、「勇者」は英雄だった。

しかし、MOONの世界に登場する「勇者」は罪の無いモンスター(ゲーム内では『アニマル』と呼ばれる)を殺し、他人の家に押し入り色々な物を強奪していくような、非常に迷惑な存在として登場する。

放送されていたCMのキャッチコピーは『もう、勇者しない。』。内容は“岡本信人演じる勇者が、「おやめください勇者様!」と追いすがる主婦を押しのけ強引にタンスを開け、「有るじゃねーかよ! コインと剣がよ!」と叫び奪って行く”という、RPGの通例的部分を風刺したものだった。

主人公である「少年」の役目は、勇者に殺されたアニマル達を救い出し、奇妙で暖かい住人達と心を通わせることだ。そうすることで『ラブ』と呼ばれるものが集まりレベルアップできる。

また、ストーリーの中に大きなテーマが隠されており、それに気付かなければ真のエンディングを見ることは出来ない。それはゲームそのものの存在を否定しかねない皮肉なものである。真のエンディングの最後に表示される文章はそれを露骨なまでに表現している。 キーワードは『扉を開けて』

 なんと物をとるだけじゃなく、アニマルと呼ばれるモンスターを「殺している」。これはおかしいな。勇者ってのはヒーローだろ?そのヒーローが何の罪もない生き物を殺して許されるなんておかしいじゃないか。

 ドラゴンクエストはブームの時には380万台を売り上げるヒット作だ。つまりキミたちの少し上の380万人くらいの日本人はドラゴンクエストを面白いと思って楽しんでいた世代なんだな。ひょっとするとみんなの中には「こんなゲームを楽しんでいるのは痛みを理解できない乱暴者」だと思ったやつもいるんじゃないか?だとするとこわいよな?だって少なくとも380万人はそういう「乱暴者」なのかもしれないのだから。

 でも、ちょっと待ってほしい。ドラゴンクエストが発売されたのは1986年。moonは1997年。単純に考えても10年ぐらい経って出てきた作品である。どんなシリーズ物でもそれぐらいの年月が経てば古くさくなるのはある意味当然じゃないだろうか。だから考えてみよう1986年、どんな意図をもってドラゴンクエストが出てきたのか。

 ネット上では以下のようなインタビューを見つける事が出来た。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kay/aGFFtaidan2.htm

堀井 「あのね、やっぱり『1』ってね。そういう意味じゃ容量もなかったし、初めてのロープレだってんで、かなりその、やりたかったことを落としてシンプルにしたんですよ。とにかく分かりやすくっていう。だから、ひとりパーティーだし」
(中略)
堀井 「で、『2』のときは、1人パーティーだったのを3人に増やしたわけですから、いきなり3人は辛いだろうと思ったんですよ。だからね、探していくっていうお話が出来たんですよ」
(中略)
浜村 「なるほどね。あの〜、シナリオもね、物語も『ドラゴンクエスト』の非常に大きな魅力なんですけども、取材のとき聞いたんですけども、『7』なんかもう、(シナリオのファイルを)積むと1メートルくらいになるとかって話もあったじゃないですか」
堀井 「あれはね。はっきり言って多すぎましたよね。16000ページくらいあったの、実は」
浜村 「16000ページ!」
堀井 「A4にして。ま、当然そこまでいくとボクひとりでは書いてませんけど、スタッフ使って」
浜村 「ちなみに、『ドラクエ1』ってどれくらいでした?」
堀井 「あれは、『1』なんかもう、(指先をちょっと開いて見せて)これくらいですよ」

 このインタビューの中の堀井雄二さんがドラゴンクエストの生みの親だ。ここにはいくつかの大切なことが書かれている。一つは初期のドラゴンクエストは堀井さんのやりたかった事をかなりけずっているという事。もう一つは初心者の遊べるゲームを開発するという所からスタートした事である。つまりは堀井さんにとって自分のやりたかったストーリーをえがいたものではなく、それをえがくための準備をしていた段階になるんだな。

 もちろん、ドラゴンクエストが乱暴なゲームに見える理由が「古いから」では全然答えになっていない。だから考えよう。ドラゴンクエストはなぜこのようなゲームになったのか。そして、この疑問を解くためにはドラゴンクエストを生み出した二つの源流までさかのぼらなければならない。一つは堀井さんのやりたかった事、ロールプレイングゲーム。もう一つは堀井さんが伝えたかったユーザー層をかかえるファミコンだ。

 おーし、今日はここまで。解散!