テレビは流行遅れという現実

 ほんのたまーにだけど、ポケモンに関して「アニメが当たったからゲームの売り上げが伸びたんだ」みたいな言説があったりして、ゲンナリする。たしかにアメリカかどっかのCMではアニメのポケモンゲームボーイに入ったような演出をしているし、アニメで興味を持ってゲームに入った人もいるから、一概に否定もできないけど、それはほんの一部だろうと思う。

 ポケモンがゲームとして魅力があった事は他でもなく、「ポケモンのアニメ」が証明している。

 アニメポケットモンスター第一話を見てみよう。まず、エンディングのタイトルが「ひゃくごじゅういち」。初代ポケモンの総数が151匹である事はファンなら承知の事実であるが、問題は「いつ151匹である事を知ったか?」である。実はゲーム上ではどんなにがんばっても150匹としか出会えず、ファミ通が出した1996年の攻略本や糸井重里が監修した小学館の攻略本には150匹しか掲載されていない。では、残りの一匹はどうやって知れ渡ったのか?――これはアニメによってネタバレされて知らされたのではない。

ミュウ - Wikipedia

当初、任天堂側はこの幻のポケモンの処遇をどうするか、方向性を決めかねていたとされる。だが、結果としてプログラムのミスが原因で目に触れる存在となった事から、任天堂のプログラム管理の不備といった憶測を呼ぶ危険も懸念された。この事態にポケモンの開発に携わった田尻智が「子どもたちにプレゼントしたい」と提案したのを受けて、ミュウを151匹目のポケモンとして認定し、コロコロコミック誌上でのプレゼント企画が提案された。任天堂側からの了解が得られ、コロコロコミック1996年5月号にて20名限定での募集が行われた。内容ははがきで応募し、当選した20名にゲームカセットを送ってもらい、ミュウのデータを入れて返すというものであった。

この際、「ミュウのデータをあげる」等といった言葉を避けるよう田尻智が提案した。これは「ミュウ」を本当に居る生き物として見ている子供達への配慮だった。

この応募には約7万8000通のハガキがコロコロコミック編集部に送られてきた(この抽選が当たる確率は約0.025641%)。。この反響の大きさから、同年8月号にて再度100名分の募集が行われ、約8万通の応募があった(抽選当り率は約0.125%)。

 ゲームが発売されたのが1996年2月27日、アニメ1話が放映されたのが1997年4月1日。コロコロコミック5月号が出たのが4月なのか5月なのか分からないが、少なくとも発売されてから半年も経たないうちに幻のポケモンが発見され、公認されたのだ。公認がこの時点なので噂レベルではもっと早くから話題になっていた可能性もある。

 ポケモンのアニメ化はゲームが発売されてから1年ちょっとなので、早い!と感じるかもしれないが、その1年の間には少なくとも、幻のポケモンが発見され、ちょっとしたブームになり、やがて公認され、幻のポケモンが描かれた関連グッズが普通に出てくるというすごく濃い経緯がある。だからアニメを楽しみにしている子供たちにとって初代のポケモンが151匹である事は常識だったのである。

 また、アニメの最後の方に空を飛んでいるポケモン。これはおそらく「ホウオウ」だと思われるが、このホウオウは前述の幻のポケモン「ミュウ」と違って絶対にゲーム中に出てこないポケモンだ。では、このホウオウは何なのかというと次回作である「ポケモン2(当時は金銀というタイトルすら決まってなかった)」に登場予定のポケモンなのである。

 エンディングではポケモンは「151匹の仲間だよ〜」と歌っているのに、本編では151匹には含まれていない謎のポケモンが出ている。アニメから入った人は間違いなく混乱するだろう。しかし、これはファンサービスなのだ。製作者は子供たちが既に151匹を理解していてポケモンを遊びつくしている所に彼らの知らないポケモンを見せる事によって君たちの知らない世界があるんだよという事を訴えかけているのだ。ただ単にゲームをそのまんまアニメにしたところで同じ事の繰り返しになってしまうが、全く知らない新しい物を入れる事によって興味を持ってもらおうとしたのではないか、つまりポケモン2との橋渡し的な存在(ポケモン1.5)としてアニメはあったのではないか。

 ここまで書けばわかるだろうが、ポケモンユーザーはアニメが放映されるまでに、ミュウを発見するほどゲームをやりこんで、しかも放映時には次回作はまだかなと待ち望んでいる状態にあったわけだ。

 眠いので今日はここまで。