3時間目「なりたいようになればいいじゃん」

復習:2時間目「戦い続け、さすらい続け」 - 鈴木君の海、その中

 コンピュータは戦争のための道具として用いられていた。我々が何気なく遊んでいるシューティングゲームや戦略ゲームもそういった戦争の文化が息づいているのかもしれない――。

 ……とはいえ、「だからビデオゲームは危険なのだ!」と先生は主張するつもりはない。例えば、将棋の王将、チェスのキング、囲碁の陣などの言葉により、将棋、チェス、囲碁が何を元にして作られたかは明らかだが、これらの遊びが危険なんだという話は聞いた事がない。トランプにも「大富ごう(あるいは大貧民)」という遊びがあり、平民、富ごう、革命という単語が並ぶ事を考えれば、これも「戦争を模して作られたゲーム」である事は疑いようもない。わざわざ戦争とコンピュータを結び付けるまでもなく、ゲームというものは対立構造を前提として作られていたんだな。

 そんな中、ウォーシミュレーションゲームという遊びが出てくる。その名の通り戦争を再現した直球ど真ん中なボードゲームだ。A軍とB軍に分かれて、地形がえがかれた紙の上にそれぞれの軍の兵士や戦車のコマを配置し、戦わせるゲームだ。日本でいうシミュレーションゲーム、シミュレーションRPGはこれをコンピュータの上で再現したものなんだ。なぜ戦争を意味するウォーがぬけてしまったのかはナゾだけど。

 このウォーゲーム、コマにミニチュア人形を使っていたんだ。最初は「兵隊か?」「戦車か?」といった役割を表す単なる記号に過ぎなかったんだけど、人形は使っていると愛着がわいてくるだろ?だから時の流れとともに一つ一つの人形に個性をあたえていく事を楽しむようになっていったんだ。そうして対決そのものではなく、登場人物を操作し物語を楽しむという方向にシフトしていった結果生まれたのが「ロールプレイングゲーム」なんだ。

 意外な事にロールプレイングゲームはコンピュータ上の遊びではなく、チェスやトランプと同じくコンピュータ以前から存在した遊びだったんだ。そしてその元祖が「ダンジョンズ&ドラゴンズ」と呼ばれるゲームだ。このダンジョンズ&ドラゴンズは当時ブームだった指輪物語の世界観をベースにした物語性の強いゲームで、マスターと呼ばれるお話を作る人が用紙した物語の中を、参加者が作った登場人物でぼうけんをするという遊びなんだ。ゲームの進行は基本的にマスターとプレイヤーが言葉で受け答えしながら進めるんだ。とは言っても物語を用意したのがマスター側である以上プレイヤーは不利だよな。だから公平を期すためにサイコロを使って、いい目が出たらプレイヤーに有利になり、悪い目が出たら不利になるという物語が作られるんだ。

 このロールプレイングゲームは今までなかった物語性の強い遊びという事もあり、ブームになるんだけど、一つ問題があって、ゲームマスターの負担がとても大きいんだ。計算はめんどくさいし、プレイヤーがある程度好き勝手してもいいような物語を用意しないといけないとか。そこで発想の逆転、マスターの役割をコンピュータにやらせようという動きが起こるんだ。

 その第一だんが「アドベンチャー(Colossal Cave Adventure)」だ。このアドベンチャーはコンピュータが出した文章に対し、プレイヤーがコマンドを入力する事によって先へ進んでいくゲームだ。ゲームショップやゲーム雑誌で見かける推理ゲームがなんでぼうけんしないのに「アドベンチャーゲーム」と呼ばれるんだろうと疑問に思う人も多かっただろうけど、これは「アドベンチャーみたいなシステムのゲーム」という意味だったんだな。ついでにいうとアドベンチャーとロールプレイングのちがいが分からないという人も多いけれども、そもそもアドベンチャーゲームロールプレイングゲームのある部分だけを特化させた物なのだから似ていて当然なんだな。

 このアドベンチャーを皮切りにロールプレイングゲームはコンピュータ上で再現されはじめ、そしてパソコンと出会うんだけど、それを語るのは次回だ。おーし!今日はここまで。解散!