クレオパトラはギリシャ系である

前提:仏教は楽な宗教ではない - のうみそのそと

 さて、「世界史から見る日本史」と題して、ゴールの見えない話題をぐだぐだと続けているわけだが、そもそも私としては世界史と日本史を分ける必要性を感じない。日本においても戦国時代にザビエルがやってきたのはヨーロッパで大航海時代が始まった事が影響していたり、幕末においては「幕府とフランス」「薩摩とイギリス」といった外交関係は、世界で資本主義が始まり市場というものを求めていたという背景がある。歴史に出てくる登場人物の動機を知るためには世界で何があったかを知らなければ語れないわけで。

 こういった歴史教育が世界の常識的な歴史の見方ではない事は確かだ。この事はヨーロッパの事を考えてみればわかる。ドイツを例にしても「フランク王国」、「神聖ローマ帝国」、「東ドイツ、西ドイツ」というようにそれぞれの時代ごとに国境が変わる。フランク王国時代はフランスと歴史を共有しているし、神聖ローマ帝国時代はハンガリーオーストリアと歴史を共有している。沖縄の事を考えればこれは他人事ではない。自分の国がどのような歴史を歩んできたのかは隣国や交流のあった文化圏を考慮していかなければ真実の姿は見えないのである。

 ――というわけで開き直って世界史の話題を続けるが、世界史を語る上で重要な言葉の一つが「ヘレニズム」である。名前からなんとなく分かる通りヘレネスを自称していたギリシャ人と関係がある。正確にはギリシャではなく、マケドニア王国が関係してくるのだが、名前を見てもわかるとおりこの国には「王」がいる。一応、ギリシャ系の人が建国した国ではあるが、一夫多妻制を用いていたり、ポリスを作らなかったり、そもそも王様のいないギリシャにおいて王がいるって時点で他のポリスから見ると異質である。このマケドニアは都市部のポリスからするとド田舎の後進国でしかないわけで、ものすごくバカにされていたわけだが、ポリス自体が戦争ばかりして土地が奪われ身分が落ちて――とどんどん弱まっていった。一方でマケドニアは軍事力を強め、紀元前4世紀後半にはフィリッポス2世のもとで、スパルタをのぞく全てのポリスをコリントス同盟に集め、それらを支配下においた。

 フィリッポスはライバルであるペルシア(現イラン)への遠征中に「民主主義こそ正義!王様ハンターイ」なギリシャの反対勢力から暗殺される。そのため、息子のアレキサンドロス三世(アレキサンダー大王)が王になった。この時、アレキサンドロスはまだ20歳。まだまだ若造である。ところがこのアレキサンドロスは父親から英才教育を受けており、アリストテレスという哲学者を家庭教師にして政治学だとか倫理学だとか自然科学だとかを幼い頃から叩き込まれていたのである。アレクサンドロスはまず反マケドニア勢力を制圧し、ペルシアの王様であるダレイオス3世とイッソス(トルコ?)あたりで戦う。この戦いで追い詰められたダレイオス3世逃げ、アレクサンドロスはエジプトへ、エジプトはペルシャ領だったが、支配されたばかりで解放者として喜ばれた。エジプトの民はアレクサンドロスをファラオとして迎え入れ、アレクサンドロスは自分の名を由来とする都市アレクサンドリアも建設。ここは後にあの有名な世界三大美女クレオパトラが出てくる。その後アルベラ(イラク?)の戦いで再び優位に立つアレクサンドロス。ダレイオス3世は再び逃げるが暗殺され、ペルシアの王は実質アレクサンドロスに移る事になった。気をよくしたアレクサンドロスはインドにまで進入を試みるが、しかし部下に拒まれ、アレクサンドロスの大遠征はこれで終わる。この後彼は病気で死んでしまうわけだけども彼の起こしたこの大遠征の結果起こった事がヘレニズム文化である。

 具体的に何が起こったのかというと、アレクサンドロスギリシャ文化と現地の文化の融合を試みたのである。現地の服装や風習を真似たり、逆に自分達の公用語や知識を伝えたり、マケドニア人とペルシア人の集団結婚をしたりと、国と国との境界をなくす「グローバル化」を行ったのである。中東、エジプト、ギリシャの文化がごちゃごちゃと混ざってそれまでその地に無かった価値観や風習が生まれる事になるのだ。特に大きいのが哲学的な思想である。現象からその原因を探っていくフィロソフィーがこれらの地域に広まって行ったのである。

 というわけで、ギリシャの文化や歴史は現代の世界地図を開いて見えるギリシャの国土内だけの話ではない。関連する国々にその流れが受け継がれていくのである。アレクサンドロスの死後、各地に残ったマケドニア将軍がそのまま王朝を築いた時代をレニズム時代と呼ぶが、クレオパトラもエジプトに残った将軍プトレマイオスの子孫である。つまり、クレオパトラヘブライ人の出エジプト記にあるような古代エジプトから続く王家の末裔ではなく、マケドニア将軍の血を引くギリシャエジプト人なのである。もし「エジプト史」なんていう授業科目があったのなら、ギリシャの歴史についても触れないとこの都市や王朝については謎だらけになってしまうのである。

 そして、このカテゴリ名から分かる通り、ヘレニズムも日本と関係があるのである。上記の通り、ギリシャ文化というのはアジアに侵入してきているのだ、それも紀元前に。そしてそれがやがて古代インドに伝わり独自の文化を残す事になる。そう、仏教と出会うのだ。こうして出来たものこそガンダーラ美術である

 つづく