仏教は民族宗教ではない

前提:クレオパトラはギリシャ系である - 鈴木君の海、その中

 古代インドに話を戻そう。16の大国が争いを続けていたインドではマガタ国という国が力をつけていた。この国はナンダ朝というシュードラ階級*1から王族になった者達が支配していた。ある日、このマガタ国からチャンドラグプタという男があらわれる。彼は首都であるパータリプトラを占領して、ナンダ朝を滅ぼしマウリア朝と呼ばれる新王朝を作った。この当時、アレクサンドロスのインド進出によってインダス川流域にギリシャ系勢力が押し寄せていたが、チャンドラグプタはこれを一掃。北インドを統一した。

 チャンドラグプタの死後、彼の息子であるビンドゥサーラが王になる。ビンドゥサーラにはたくさんの子がいて、その中にアショーカという王子がいた。このアショーカはビンドゥサーラと仲が悪かったらしい。ビンドゥサーラが病死すると、アショーカは首都パータリプトラに戻り兄弟をはじめとする邪魔者を殺して王になった。そしてそのまま彼は南にあるカリンガ国を征服。南端を除くインドの統一王朝を作った。しかし彼はこの際あまりに多くの犠牲を出してしまい「オレはなんてひどい事をしてしまったんだ」と悔いる事になる。そして次第に仏教を深く信奉するようになり、政治も武力ではなくダルマ(法)*2による支配を行うようになった。

 ダルマの内容は、「不殺生」「他人の立場の尊重」「自己反省」「バラモン、出家者への尊敬」などであり、基本的に平和路線である事が分かる。またアショーカ王仏教徒でありながら、バラモンを保護しているという所も重要である。それはつまり仏教と相性の悪いバラモン教を保護するという事であり、異教徒を受け入れた事になる。このほかにもジャイナ教をはじめとする宗教も仏教と対等であるとされた。こういったダルマの教えは獅子の石柱とともに各地に刻まれた。

 こんな事が可能なのも仏教が民族から切り離して編み出された教えだからだ。考えてみて欲しい。これまでの宗教は自分達の民族がどのように発展していくかを考えたものだった。儒教とは漢民族が周りにいる野蛮人共にはない徳を身につける教えだし、ギリシャ神話はヘレネスが回りにいる野蛮人とは違いこの世の真理を理解し表現したものである。ユダヤ教ヘブライ人が周りにいる多神教に対抗するためのものであり、バラモン教アーリア人が原住民と暮らす上での優位性を示すためのものだった。ところが仏教はそんな中で人々の個人的な問題に取り組む事が出来た。そもそもの成り立ちで仏教は修行によってたった一人で自分との対話によって見つけた真理である。だからその他の宗教のように同胞のためではなく、全ての人間に通ずる普遍的な価値観を模索して生み出されたものなのだ。

 アショーカ王はダルマの他に、仏典の結集や布教を行った。この際、ヘレニズム諸国やスリランカにも仏教が伝わったらしい。しかしこうして世界に仏教が広まる一方でインドでは仏教徒はいなくなってしまった。皮肉な事にそれは仏教が民族宗教ではなかったからだ。

 仏教が衰退した理由の一つとしてバラモンからの攻撃やイスラム教徒による寺院の破壊などが挙がるが、説得力は薄い。日本でもキリスト教が禁止された時期があるが、それによって個人が自らの信仰を変える事はなかった。隠れキリシタンは存在し、踏み絵を行う事によってようやく見つかるというぐらいヒッソリと信仰してしたのだ。ユダヤ人だって外敵の数は滅茶苦茶多いだろうに、むしろ迫害をバネにして仲間たちの団結力を強めているくらいなわけで、外からの圧力によって信仰が失われる可能性は低い。仏教が衰退したのはどう考えても仏教自体に信仰を貫きたくなるような魅力がなくなったからだ。

 仏教が衰退した理由はずばり「ヒンドゥー教」が出来たからである。ヒンドゥー教はインドで一番人口比率の高い宗教なのだが、ぶっちゃけた話これはバラモン教とほとんどの部分が共通しているのである。なぜならばヒンドゥー教バラモンの宗教だからだ。バラモン教を改革してできたのが今のヒンドゥーの教えだと考えてもらっていい。具体的に何が変わったのかというとヴェーダ至上主義を止めたのだ。これまでバラモンヴェーダの神々を信仰し、それらの神のために怪しげな儀式やら祭りやらをやっていてその反発が仏教やジャイナ教に信仰を奪われる事になる。シュードラの王権が出てくる事から分かる通りバラモンが強いのは宗教的価値観、穢れの世界において上位であるというだけで、現実には非力なただの人でしかない。実際、アショーカ王の戦争の最中に死んだバラモンも多かった。バラモンも輪廻の世界観の人物なので死を怖れたわけではないだろうが、民衆も力を持っている事に気づき彼らの信仰を得る必要を感じたのだろう。

 ヒンドゥーの主神のひとつにシヴァ神がいるが、このシヴァ神の原型はモヘンジョダロが作られたインダス文明の時代から存在している。つまり、アーリア人がインドへ来る以前から信仰されていたその土地の神様なのである。これまで支配者中心の信仰から、民衆の信仰を取り込み、その信仰の中で「自分達はあなたがたより少し立場が上ですよ」という事を示したのである。*3
 
 このようにヒンドゥー教は国民に寄り添ったが、一方で民族という価値観のない仏教はかつてのバラモンと同じくひとりよがりに修行と形式を重んじるようになっていき、普遍性を重視しすぎて「インド人」の価値観から大きく外れた。気が付けばどんどん大衆から離れていってしまったのだ。そしてインドで消えた仏教はこの後、スリランカや東南アジアに伝わった南伝仏教と、ヘレニズム諸国に伝わった北伝仏教としてそれぞれ異なる文化を生み出す事になる。

つづく

*1:と言われている

*2:サンスクリット語。だるまさんが転んだの達磨と同じ語源です。

*3:こういったヒンドゥー教がたどった歴史は神道がたどった歴史によく似ている