15時間目「眠れ母の胸に」

 任天堂のRPG「MOTHER」が海外で「Earthbound Beginnings」というタイトルで発売されたらしい。先生はいろんなRPGを遊んできたけど特にファミコンで出たこのMOTHERはすごいゲームで、これをこえる作品は今後出ないだろうなと思わせる内容だった。

『MOTHER』配信に寄せて糸井さんからメッセージ

 このゲームのすごいところを一言で言えば、「戦争を題材としていない」という事だ。RPGというのはそもそもウォーシミュレーションゲームから派生した遊びだったのは覚えているかな?A軍とB軍という対立があって、その片方の側について戦うという遊びがあって、その中で使っていた兵隊のコマに個性をあたえるというというのがスタートだったんだな。だからウィザードリィにしてもドラゴンクエストにしても主人公は「戦士」とか「勇者」という職業になる。それは元々の「兵隊、兵士」を言いかえた呼び方にすぎず、戦争のコマに人格をあたえたものなんだ。

 そんな中MOTHERは主人公の年れいを12さいの子供に設定した。え?子供あつかいするなって?いーや、12はまだまだガキンチョだね。一ぱん的に国際法では18さい以上の成人から兵士になる事が認められていて、この12さいというのは兵隊になれない年れいだ。つまり、主人公は戦争に参加する事が出来ないように設定されている。だれもこんなやつが世界を救うとは思わないんだ。

 その上、MOTHERは1980年代のアメリカをぶ台にしている。この時代は冷戦の時期に当たるけど、冷戦は「直接兵隊同士で戦争している」わけじゃない。ヒッピーブームも経験した現代アメリカだ。ここには「A軍とB軍の争い」だとか、「自国の正義のために戦うものたち」みたいな図式はない。戦後の日本とほとんど同じ、大きな争い事とは関わりのない時代なんだ。ドラゴンクエストは中世から時代を進めているという事はみんなも知っている事だけど、MOTHERはそんなドラクエの目指していた未来をポン!と先に提示してしまったわけだな。

 だから主人公が戦うべき「敵」の設定もそのまま使う事は出来ない。戦国時代なら相手を殺しても罪に問われないが、現代はそれではダメだからな。MOTHERでは「でんきスタンド」や「デストラック」みたいな無機質で生き物ではないものがポルターガイストのようにおそってきてそいつと戦ったり、あるいは動物や人をたおしたときに出るメッセージは「おとなしくなった」「われにかえった」というメッセージで、てっていして「死」というものがえがかれない。主人公たちも「たおれたら病院送り」になるだけで、決して死なない。モブにすぎないフライングマンというキャラクターの死に心動かされるのもそれがこのゲームでえがかれる数少ない死だからだ。

 こういったMOTHERのとくちょうは製作者の「糸井重里(いといしげさと)」さんがゲーム開発の外側からやってきたという事が大きいんだ。

 もともとボクは、コンピュータと自分とは無縁だなと思ってました。パソコンは何度使い道を聞いても、住所録の整理か、お金の出し入れの記録くらいしか思いつかないし、それはボクの仕事じゃないから関係ないなって。
 遊び専用のパソコンが出るというウワサを聞いたときも、やっと自分ひとりのパソコンを買おう、遊びばかりでいいやと思う人として買ったんです。そしたら、ボクの嫌いなアルファベットのキーボードもないし、パソコンではなく、「ファミコン」という名前で出たんです。やってみたら、これはパソコンの亜流ですらなく、うれしいことに全くのオモチャだったわけですね。

(中略)

 例えばよくできているゲームとよくできていないゲームの違いというのはこうも言えると思うんです。私が敵に向かって爆弾を投げたときに、爆弾で相手が倒れたことだけに何かを感じる人。それから爆弾を投げた後で、どんな景色だろうと思う人。痛みを感じる人。投げなきゃよかったと思う人。よくあるゲームにおける爆弾と言うのは単なる数字のやりとりの代用品だったわけね。いわばプログラムの都合なんですね。でも、そこにはやっぱり現実の投影があるから、何かその人によって摩擦感というか、「こすれる」ものがあるわけです。だとしたらこれは「オレの仕事」じゃないかなと思ったんです。ゲームから「お呼びですよ」って声がかかったわけです。

(MOTHER百科「糸井重里からの伝言」より引用)

 糸井さんはスタジオジブリの映画なんかで「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」みたいなキャッチコピーを考える仕事をしていた人で、元々ゲーム業界の人じゃないんだ。タレントのビートたけしがゲームにハマって「たけしの挑戦状」を作るのと同じように外部の業界の人間がゲーム業界にプランを持ちこんできてゲームを作ったんだ。タレントを売りにしたゲームはヒドいものも多いんだけど、外部の人間だからこそ気づく事もある。

 そもそもドラゴンクエストがなぜ「らんぼう」なゲームになってしまったのかと言えば、まず伝えたいRPGという面白さのワク組みや「方法」があって、「物語」や登場人物は分かりやすさを重視して後からくっつけたという「大人の事情」があった。でも、糸井さんは「作る側」ではなく「遊ぶ側」からやってきた人だ。だからかれはそんな大人の事情など知る由もなく、えがきたい世界、物語を先に作ってから、それを伝える方法としてRPGを選んだ。つまり、ドラクエと逆に「物語」がまずあって、RPGという「方法」を使ったんだ。だから「moon」が問題にした「勇者のタンスあらし」だとか、「モンスター退治」といったものはMOTHERには通用しない。世界、時代、物語が全くちがうからだ。
 
 さて、MOTHERはドラゴンクエストのえいきょうで作られた事を糸井さんは公言している。一方でこのMOTHERがドラゴンクエストにあたえたえいきょうもあったんじゃないだろうか、と先生は思うんだ。ドラゴンクエストの音楽を担当している「すぎやまこういち」さんと糸井さんは交流があるみたいだけど、堀井さんと糸井さんのつながりは分からない。おそらく無いのかもしれない。けれど、堀井さんはファミコン神拳のライターだった人だ。

最近、「DQ」以外でお気にいりのゲームはありますか?

ファミコンウォーズ」は気にいってやってますね。あと「FFX」もおもしろかった。「動物の森」もハマったし。どんなジャンルでもやりますよ。

(Vジャンプ2002年1月特大号「カニを食べながら聞くIVじゅうIVのぶっちゃけQ」より引用)

中村光一「堀井さんって、ドラクエすごい作るの大変なんですけど、合間によそのゲームやっているんですよね。
しかもすごい数やっていて、それ純粋にやっぱり好きでやっているみたいなんですよね。
「勉強していて疲れたからなんか世界史の本読む」みたいななんかそういう感じの人なんですよね。」

ゲームセンターCX #106 「ドラクエ」を創った男 堀井雄二スペシャル より引用)

 堀井さんはクリエイターとしてすごい人でありながら、ライター(プレイヤー)としてもすごい人なんだ。ゼルダの伝説64時のオカリナのようなアクションゲームも遊ぶし、信長の野望というシミュレーションゲームも遊ぶ。そもそもドラゴンクエストは「ウルティマ」と「ウィザードリィ」という当時の日本人がほとんど知らない(けれど海外ではヒットしていた)ゲームを元ネタにしているし、ついこの前も「ジ・エルダースクロールズ・フォー・オブリビオン」や「ヘビーレイン」を遊んでいて海外のゲームにもくわしい事が分かる。*1

 そんな堀井さんがMOTHERを知らないといったらウソになるだろう。少なくとも同じスタッフのすぎやまさんはMOTHERにハマっていたのだからその存在は知っていたはずだ。先生がこんなにもMOTHERとドラクエの関連に注目するのには理由がある。なぜならばドラクエの次回作「5」はまさにこのMOTHERがなげかけた「RPGって現代がぶ台でもえがけるんじゃない?」という問いかけに対するアンサーになっているからだ。どういう事かって?それについては次回語っていこうか。おーし、解散!