森林のアーリア人、砂漠のアーリア人

 世の中には「森林の思考・砂漠の思考」というものがある。

「ロゴス」と「レンマ」−風土がつくる思想 鈴木 秀夫 氏

──先生は、西洋と東洋の宗教、文化、考え方などの違いを、砂漠的思考と、森林的思考との相違によるもの、とおっしゃっていますね。

鈴木 ええ。まず、西洋のユダヤキリスト教の論理は「ロゴスの論理」です。この論理は「A」か「非A」か、「善」か「悪」か、というふうに、常に二者択一なんです。これは砂漠で生活するためには必要不可欠なことです。

つまり、水場があるかないか、常に決断を迫られるわけです。選択次第でその後の運命は生か滅か、大きく違ってくる。

東洋、すなわち仏教の論理は「レンマの論理」と言いまして、例えば「A」というのは「非A」があって初めて存在する、言い換えれば「善」は「悪」があって初めて存在する。ゆえに「善」も「悪」もそれ自身では存在し得ないが、しかし現実には存在している、という論理なんです。ちょっと理解しにくいかもしれませんが、根本にあるのは「すべてのものは互いに相まって存在している」という考え方です。ちなみに、仏教ではこれを「空(くう)」と表現しています。これは、森林には生が満ち満ちており、砂漠と違って、生か滅か、行く手を思い悩む必要がない、区別する必要がない、という背景と密接な関連があります。

──取り巻く風土の違いが、同じ人間同士に、まったく異なる思考、宗教を生み出させたわけですね。

鈴木 そういうことです。そして各々の宗教が持つ世界観には、大きな隔たりがあるんです。

(中略)

さらに、死んだ生物が土に帰り、そこからまた新しい生命が誕生するという「輪廻転生」の概念も加わって、万物は永遠に流転するという「円環的世界観」が成立したのです。

──砂漠から生れたのが、いつかは終ると考える世界観で、森林から生れたのが、永遠の世界観なんですね。なんとなく、理解できるような気がします。

この手の東洋、西洋という分類は、ユダヤ、キリスト、イスラムを西側、ヒンドゥー教と仏教を東側でまとめてしまっているわけだが、東洋同士だろうがそれぞれの宗教は性質が異なるわけで、あまりにも大雑把な分類である。普段なら無視する内容なわけだが、とりわけこの「取り巻く風土の違いが、同じ人間同士に、まったく異なる思考、宗教を生み出させた」という部分は面白い。なぜなら世界を二分する(と言われる)この二つの考え方は同じ民族によって生み出されたからだ。インド=ヨーロッパ語族の「アーリア人」によって。

 輪廻転生がブッダが考えたものではなく、バラモンが考えたものである事はすでにこのカテゴリで述べてきたが、そのバラモンは元々は「アーリア人」というインドの外側からやってきた畜産民の出自である。では彼らはどこからやってきたのか?一言で言えば彼らは「古代イラン人」であり、イラン高原からやってきたのだ。

 そもそもイランという国名自体がペルシア語で「アーリア人の国」を意味する。イラン人はアーリア人の末裔なのだ。古代イラン人はザラスシュトラが始めた宗教である「ゾロアスター教」を信仰している。*1ゾロアスター教は、光の象徴として火を崇めるため、拝火教とも呼ばれるらしい。特徴としては善と悪の二つの神が登場し、「正義は勝つ!」と断言している宗教である。これはイランがペルシアと呼ばれた時代にも信仰されており、アレキサンダー大王と戦ったダレイオス三世もこのゾロアスター教である。その後イスラム教がくるまでイランの宗教はゾロアスター教だったと考えられる。

 で、ここからが本題なのだが、インドのアーリア人聖典としていた「リグ=ヴェーダ」に書かれているヴェーダ語(古代サンスクリット語)とゾロアスター教聖典としていた「アヴェスター」に書かれているアヴェスター語は文法的にかなり近く、両者は同じ語族と言えるのである。リグ=ヴェーダでは宇宙そのものを「天(デーヴァ)」と言い、神様として扱っているわけだが、このデーヴァはアヴェスターではダエーワという悪の神の呼称なのである。ゾロアスター教はアフラ=マズダーを善の神と捉え、ダエーワと戦うわけだが、この善の神がインドではアスラと呼ばれる悪神になる。仏教でいう阿修羅(アシュラ)の事だ。つまり同じ語族なのにそれぞれのいい神と悪い神の関係が逆転しているのである。*2

 この事について、一般的にはイラン高原にいたアーリア人の集団は何らかの理由で仲たがいをして、片方はイランの地にとどまる道を選び、片方は東へ向かったと考えられている。同じアーリア人の中から二つの全く正反対の考え方、勢力が生まれ、それぞれイラン人とインド人になっていったというわけである。現在のインド人とイラン人は異なる文化や言語を使っているが、古代においては同祖なのである。

 とまぁ、ここだけで終わったら、単なる世界史の紹介にすぎない。これを日本史に絡ませよう。弥生人というのは大陸(特に中国北東部や朝鮮半島)に多い「人種」であり、これが本州の人々の形質に大きな影響を与えている事は見た目だけでもハッキリと分かる。が、一方で彼ら弥生人はすべて似たような考えの持ち主だったのだろうか?

 例えば人種分類でよく取り上げられるのが「黒人」という定義だが、同じアフリカ系の人であっても○○族という細かい分類がある。ある者は狩猟生活を今も続けているし、ある者は先進国へ輸出するための農作を行っている。ある黒人は陽気だが、ある黒人は寡黙といった個体差もある。白人との混血だったら、半分は白人の形質を持っている事になり、人種としての黒人はいろんな「民族」を含んでいる事が分かる。

 で、日本人の中には大陸人が嫌いで「あんなやつらとは人種が違う!日本人は白人に近い!」という理屈を使っている人もいる。なんでも縄文人は「古モンゴロイド」で白人から分化した直後だから形質が近いというのがその理屈だ。ここで、アイヌに関して言えば白人に近いという可能性は認める。しかし、「縄文人」がはたして白人に近いのだろうかという疑問がある。アイヌは縄文の「文化を継いだ民族」なのであって、人種として血を継いだかどうかは別問題である。

アジアの各集団が持つ縄文人弥生人と同じDNA配列の数

北海道アイヌ
縄文 2
弥生 2

本土日本人
縄文 10
弥生 5

琉球
縄文 6
弥生 2

朝鮮
縄文 11
弥生 6

【「日本人になった祖先たち」篠田謙一 2005より引用・改変】より引用

 以前、ここで引用した引用だが、縄文人の人骨に近いDNAを持っているのはアイヌより日本人や朝鮮人であるという結果がある。つまり、縄文人骨の人種と、縄文の文化は全く関係がない。「人種」と「民族」をしっかり区切った上で、縄文人種ではなく、縄文民族について見て行かないと本当の日本の文化から外れていくのである。

 おそらく、日本大陸と朝鮮半島周辺には弥生人縄文人、二つの人種から形成された大きな集団があった。アーリア人がそうであったように、彼らは日本と大陸、二つに散ったのだろう。そのように考えるともはや「人種」という分類は差別以外の目的では全く意味がなくなる。我々が本当に注目しなければならないのは民族としての縄文人だ。そう、縄文人は島国を拠点とする海の民と大陸を支配する陸の民に分化していったのだ。

つづく

*1:ゾロアスターザラスシュトラの英語読みである。

*2:余談だがこのダエーワ(デーヴァ)が悪魔を意味するデビルの語源になったらしい。天使くんと書いてデビルくんと読ませても語源的には正しいというネタが出来る。