16時間目「すてきな冒険はじまる」

 うん、やっぱドラゴンクエストは面白いなー。リメイクされた「ドラゴンクエスト8」を遊んでいると細かい気配りがところどころにされていて、堀井さんは本当にすごい人なんだなと思わされる。ドラクエって完成度が高いからシリーズのどの作品も面白いよな。

 でも、もし「ドラゴンクエストシリーズの最高けっ作は?」と聞かれたら先生は「ドラゴンクエスト5」を挙げたいな。それには色々とワケがあるけれど、この「5」はそれまでのドラゴンクエストのイメージをひっくり返した上で、その後のドラゴンクエストの進むべき道を指し示した作品なんだ。当然、「8」も「5」で語ろうとしたテーマを別の視点からえがいている作品と言えるな。

 たしかみんなには「4」が「(中世ヨーロッパ的な)勇者を否定する」物語だった事を教えたところで終わったんだよな。だとすると当然、その続編である「5」は主人公を勇者にする事は出来ない。「5」はシリーズで初めて主人公を「ふつうの人」にしてしまった作品だ。まぁ、物語の主人公って時点でふつうではないかもしれないけど、そういうツッコミはとりあえず置いておいて。

 「5」の主人公は父親に連れられていろんな街をまわっている。ようするに「子供」なんだ。MOTHERは小学生くらいの男子女子が主人公だったけれども、こっちはさらに小さな6さい児で文字すらまともに読めないというレベルだ。かれの父親は何やら仕事や用事が多いようでいつもいそがしそうにしているんだけど、その間にかげでコッソリ事件を解決していくというのが最初のストーリーなんだ。

 注目すべきなのはこれは「現代をぶ台にしても成立するストーリー」という事だ。父親の仕事の都合で街を転々とするというところもそうだが、まず最初のエピソードが行方不明の薬屋を探すという「人探し」だ。活発な子供が人探しの最中に見知らぬ場所へ近づくという事はありえない事じゃない。次のエピソードはお化けが出る古い城へ行くわけだが、これなんかは「古びた校舎にもぐりこんできも試ししてこい」みたいな学校のかい談にありそうなエピソードだ。そして次のエピソードは大人には見えないようせいの世界へ行ってその世界で事件を解決して帰ってくるというものだけど、これこそ先生が思うアリスやナルニアみたいな「ファンタジーらしいファンタジー」だ。

 この事は典型的な中世の物語である「1」と比べると分かりやすい。「1」は王様にりゅうおうをたおすように命じられる所から始まるわけだけども、これを現代風にすると、「総理大臣に呼び出されて、お前は徳川の子孫らしいな。我々の機密を取りもどしてくれ!」みたいな事を言われるようなものだな。いっぱん人である我々には全く関係のない話だし、そんなたのみをされても「いや、そんな危険な任務イヤッスよ」と断りたくなるやつも多いはずだ。

 とまぁ、「子供が主人公で」「現代に置きかえても問題ない」という点だけ見るとMOTHERをパクっただけにも見えてしまうが、ここまではまだ前フリに過ぎないんだ。「5」の主人公はこの後、成長する事によって「まもの使いの青年」になるんだ。これまで対立してきた人とまものという全く異なる世界に生きていた物を結びつける能力を主人公は持っているんだ。

 だけど考えてほしい。これまでのように10代後半の青年からゲームが始まり、いきなりまもの使いとしてスタートしたらプレイヤーはどう思うだろう?「この主人公は心にやみをかかえているのだろうか?」「このモンスターさっきまでこっちを殺そうとしていたのにコロっと態度を変えて仲間になるなんて信用できねぇ」とおそらく「まものを仲間にする事にていこうがあった」はずだ。

 そうならないように、この「子供時代」というものがある。前回も少しふれたが子供というのはA軍、B軍みたいな社会が要求する対立から切りはなされている。子供にとってはどちらが善でどちらが悪かという事はハッキリしない事なんだな。そして善悪の基準が明確でないからこそ、これまでの主人公が取れなかった行動、知る事のできなかった価値観にも気づける。

 まず、最初の薬屋を探すエピソード。ここのどうくつにはこんなスライムがいる。

*「いじめないで! ボク わるいスライムじゃ ないよ。
サンタローズの洞窟にて)

自分で悪いやつじゃないというやつほど信用できないものだが、実際このスライムはプレイヤーに対してヒントをくれるわけで、いいスライムもいるという事が分かる。

 次の街にはまものようなネコをいじめる二人組みの少年があらわれる。色々あってお化け退治をすることでネコを助ける事になる。すっかりお化けやしきと化した城にはおやぶんゴーストがいる。かれを退治した後、おやぶんは許してくれとたのみこむ。その時に許すとこんなセリフが出てくる。

*「へっへっへ。ありがたい。あんた りっぱな 大人になるぜ……。」
(レヌール城にて)

これまた信用ならなそうなやつだが、許すことによって特別なアイテムをもらえる(直接もらったわけじゃないけど)。ここで一度敵対した相手でも許すといい事があるという事を知るんだ。

 その次に出てくるのは雪の女王にだまされて春風のフルートをぬすんだ子供だ。

ザイル「なんだ 雪の女王さまって 悪い怪物だったんだっ!
ザイル「オレ だまされてた みたいだなあ。
ザイル「うわー まずい! じいちゃんに しかられるぞ! かえらなくっちゃっ!」
(氷の館にて)

 敵対していた相手が必ずしも「悪」とは限らない事。中にはだまされていたやつもいる事。これは前作「4」でもあった要素だけど、「5」はこういった敵を「許す」という方向で進んでいる。こうしてひとつひとつ新しい価値観にプレイヤーをなじませながら物語は進んでいく。そして「あのイベント」を経た後に「まもの使い」としての才能を開花させていくんだ。

 主人公が「まもの使い」である時点でまものは敵ではなくなる。だけどもドラクエ5はまちがいなく「悪いやつをやっつけるゲーム」だ。まものと戦わないのなら「悪いやつ」とはだれなんだろうか?……気になるよな。それについては次回話そう。おーし、解散!