19時間目「知らないわ周りのことなど」

 みんなはスクウェア・エニックスSQUARE ENIX)って会社は知っているよな?ちぢめてスクエニ――、そうだ、ドラゴンクエストファイナルファンタジーを作った会社だ。この会社は元々、「エニックス」というドラゴンクエストドラクエ)で有名なメーカーと、「スクウェア」というファイナルファンタジー(FF)で有名なメーカーの二つが合わさって出来た会社なんだ。

 ドラゴンクエストロジカルシンキングできちんと作られたものである事はすでに教えた通りだ。これはドラゴンクエストのスタッフがその道のプロをそろえたからだ。エニックスはゲームコンテストをしていてその関係でプログラマー中村光一さん、文章のプロの堀井雄二さんをそろえる。堀井さんがジャンプ関係者という事で鳥山明さんというプロのマンガ家に絵をかいてもらったし、さらにアンケートハガキによってすぎやまこういちさんというプロの音楽家もスタッフに加える事ができた。すぎやまさん以外は元々のつながりを利用してドラクエという名作を作ったんだな。

 対してスクウェアというのはそういったスゴイ人とのつながりが無い会社だったんだ。
慶應ジャーナル・塾生・塾員インタビュー/ドリーミュージック社長武市智行氏

KJ:武市さんがスクウェアに出向された頃はどんな企業だったのですか?

私がスクウェアに出向したその当時はなんの規制もなかったね。ルールがない、規制がないということは逆にいうと誰も守ってくれないということだから、全部自分達でやっていかなきゃならなかった。スクウェアの社員はみんな若かった。私が入ったのが34歳のときで、最年長だったから。

ちなみに,スクウェアは最初,実は日吉からスタートした会社。73年に,創業者がゲームソフトがビジネスとして面白そうという理由で,ゲームソフト開発の会社を立ち上げようと考えた時に,早稲田の人間よりも慶応の人間の方が向いてそうという単純な理由で,日吉の商店街(ひようら)に開発拠点を置いたのがきっかけ。最初はパソコン喫茶みたいな店から始めて,そこに集まってきた人達が作ったのが今のスクウェアの原型となっている。だから,スクウェアの設立メンバーの学歴をみると,ファイナルファンタジー坂口博信氏の横浜国大中退を筆頭にほとんど大学中退になっている。設立メンバーは大学を中退してスクウェアの原型を築き上げた。

大学の友人の集まり、アルバイトががんばる会社。それがスクウェアの出発地点なんだ。ナーシャ・ジベリのようなごく一部を除けば、かれらにはプロのような経験も知識もない。何がよくて何が悪いのかというものさしは全く無い。ズブの素人の集まりなんだ。そんなアマチュアがいい作品を世に送り出すためには、自分がいいと思ったものをとことんつきつめてその時代の限界を目指す――これしかない。この作り方がRPGに新しい波を作っていくんだ。

 スクウェアは元々パソコンのゲームを作っている会社で、RPGやアドベンチャーゲームを作るのを得意としてた。当時のファミコンはシューティングやアクションのようなアーケードゲームの延長にあったわけだから文化そのものがちがうよな。だからスクウェアファミコン市場に参入するのに苦労していたんだ。そんな中「ドラゴンクエスト」がヒットする。これを見て「ファミコンでもRPGはいける!」と確信を持ったのが坂口博信さん。かれこそファイナルファンタジーの生みの親だ。

"運命のようなもの"が働いていた?……坂口博信が自作ゲームからFINAL FANTASYに辿り着くまで:RPGアツマール:RPGアツマールch(RPGアツマール) - ニコニコチャンネル:ゲーム

――そこから、あの有名なFFの誕生秘話が……

坂口:誕生秘話というか……。あれはある日、いきなり社長が「会社をA・B・C・Dの4チームに分けよう」と言い出して、「それぞれのチームのヘッドが企画を立ててプレゼンをして、みんな自分が売れそうだと思うチームに行きなさい」と指示をしたの。で、僕がAチームで、田中弘道がBチーム。青木さんがCチームで、Dチームが宣伝系の人見さんだったかな。

 実はその頃、ちょうどドラクエが出たんです。彼らは、なんと僕たちの思い込みを打ち破って、家庭用ゲーム機でもRPGが可能だと示してしまったんです。それを見て、だったら最後に自分がずっと大好きだったRPGを作ろうと思いました。それで、もうプレゼンで僕は「RPGで、ドラクエを打ち負かす!」と大々的に言ったわけですよ。

 ……ところが、蓋を開けてみたら、集まってきたのはナーシャとドッターの渋谷員子さんと、あとひとりだけ。そして、社内では、「坂口がなにかバカなことを言っている」と冷たい目で見られていた。

 ファイナルファンタジーは結果的にヒットし、かたむきかけた会社をもう一度建て直す事が出来た。それはFFが単なるドラクエの真似ではなく、明確に「差別化」をはかった作品だからだ。

A¼‚³‚ñFF1`10‚̉¹Šy‚ɂ‚¢‚ÄŒê‚é

・当時のRPGといえば「ドラクエ」。すぎやまこういち氏はクラシック土台の高度な作曲法だが、自分は単純なわかりやすい音楽しか作れない。坂口氏「ドラクエと差別化できる音楽にしてくれ」。特にバトルははっきりしたメロディが欲しいとリクエストがあった。ドラクエ音楽は2つの音だけでメロディを作っている、下手にこんな世界に勝負を挑んだら勝てないと思い、ロックをベースにポピュラー音楽の世界で勝負

植松伸夫×山下章スタジオベントスタッフ)対談*1より引用

社長が訊く『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー』

岩田
当時はどんな方向で『FF』をつくろうとしていたのですか?

河津
すでにRPGでは『ドラゴンクエスト』が成功したあとでしたので・・・。

岩田
ドラゴンクエスト』が発売されたことで、RPG自体は日本で一気に大衆化されていたんですね。

河津
ええ。そこで『ドラゴンクエスト』をいろいろ分析しました。『ドラクエ』はそれ以前にあったアメリカ製のRPGをいい意味で日本化して、一般の人たちにもより楽しめるようにしたものだと。そこで『FF』ではもっと尖った方向で表現しようと。

岩田
ドラクエ』を意識しながら『FF』をつくりはじめたんですね。

河津
ええ。ただ、意識過剰になりすぎた面もあったんです。たとえば、『ドラクエ』の山が茶色いから、『FF』は緑にしようとか(笑)。

 ファイナルファンタジードラクエのヒットを受けて作った作品だ。そのまま真似をしても全然印象に残らないよな。だからあらゆる部分でドラクエがやっていない事をやろうとしたんだ。まほうの消費に関してMPタイプのドラクエに対しウィザードリィの回数方式を採用し、イラストレーションは親しみやすい鳥山明さんに対し、耽美(たんび)で妖(あや)しい天野義孝さんを使う。バトル画面は正面から見たフロントビューに対してキャラクターと敵を横から見たサイドビューにする。……このようにアンチドラゴンクエストとして始まった。これはこのゲームを作ったのが、ウィザードリィを初めとしたパソコンの本家RPGを知っている人間だったから出来たことなんだ。

 そしてこの事がその後のファイナルファンタジーの方向性を決定づけるんだ。最大のちがいは作り方だろう。ドラクエは絵、プログラム、シナリオ、音楽を毎回同じ人が担当する。シリーズを通していっかんしたテーマを持てる。けれどファイナルファンタジーはそもそも「アンチドラクエ」というドラクエに対こうして作ったという側面がある。だからシリーズ共通のテーマはほぼない。あるのは「ドラクエが切り開いていない道を進む」という点だけなんだ。そのために作り手も毎回変わって新しくなる。自分達のところに来た新しい人材、新しいスタッフが全力を出して作っていく。常に新しい血を入れていく事で自分達の方向性を作っていく事を目指したんだ。

 ただまぁ、この事によってだれが責任者なのか分からないというような自体も起こってしまうから、この作り方は賛否両論なんだけどな。ファイナルタンタジーは運よく、この作り方で革命を起こす事ができたんだけど、それについては次回にするか。おーし、今日はここまで。解散!

*1:植松さんの言葉のみのまとめです