日本男児は何処から来たか?

 生き物の体は細胞という小さな組織が組み合わさって出来ている。細胞とは要するに受精卵のコピーだ。父親と母親がチョメチョメして受精卵が出来た時から、細胞は分裂してどんどん増えていく。この時、受精卵が持っていた設計図(DNA)を基に「俺は頭!」「俺は腕!」「俺は肉球!」と自らの性質を変えていく。これが我々の体を作っている。

 ヒトの細胞は中心に「細胞核」というカプセルを持ち、その中に父親由来の染色体(遺伝情報の塊)23本と母親由来の染色体23本を合わせた46本が存在する。これがヒトの設計図となっている。細胞の中にはほかにも数百個のミトコンドリアという器官が存在する。このミトコンドリアは独自のDNAを持っている。つまりこういう事だ。

核のDNA【||||||||||||||||||||||X +||||||||||||||||||||||X】+数百個〜数千個のミトコンドリアのDNA【DNA1,DNA2,DNA3...DNAx

ちなみに、このDNAの情報を細かく見ていくと塩基という文字情報の単位で表す事が出来る。

ATGCCGATTACG

核DNAが持っている遺伝情報は塩基数にして3,000,000,000(30億)個、一方のミトコンドリアDNAは約16,500個。さらに一つの細胞の中に核DNAは一つだけなのに対して、ミトコンドリアDNAは数百〜数千も存在する。人骨などの古くなったものから調べる場合、劣化が進んでいたらそこから核DNAを取り出すのは難しい。だが、数百個あるミトコンドリアからならば比較的簡単に取り出せる。こういった事情からDNA研究ではまず、ミトコンドリアDNAの解析から進められる事になった。

 しかしみなさんもご存知の通り、ミトコンドリアDNAは母親由来のものしか分からない。つまり、遠いお母さんが何をしていた人なのか分かっても、自分の遠いお父さんが何者なのか分からないという事だ。そこで注目されたのがY染色体だ。Y染色体というのは男性が持つ性染色体の事である。

 通常、ヒトは二つの性染色体を持っている。これは精子とか卵子とかになる際にパカっと分裂する。そして受精する時に父親からはXかY、母親からはXをもらう事になる。組み合わせは次の通りである。

父親の性染色体 Y1 X1
母親の性染色体 X2 X3
1.Y1X2(男の子)
2.Y1X3(男の子)
3.X1X2(女の子)
4.X1X3(女の子)

組み合わせがだった場合は男の子が生まれ、XXだった場合は女の子が生まれる。そして注目してほしいのはどの組み合わせでもY染色体というのは必ず父親のものしか受け継がないという事だ。孫悟飯という男性のY染色体カカロットという父親からもらったものである。さらにカカロットという男性のY染色体バーダックという父親からもらったものである。この時、孫悟飯バーダックY染色体は同じ系統という事が分かる。このようにY染色体は父親の父親の父親の……という父系のルーツを調べる事が出来るのである。*1 *2

 Y染色体は核DNAの中にあるので、まず莫大な情報量の核DNAについて調べてY染色体を探さなければならない。さらにミトコンドリアDNAと違って遺伝情報が多く約50,000,000(5千万)個もある。この情報を調べてどんな型かを調べるのに時間もかかる。他にも対象が女性だった場合は収集できないのでサンプル数も少ない、などの問題があったため日の目を見る事がなかった。今は研究者の努力と技術の進歩によりようやく研究対象にできるようになった。

 さて、全然世界史でも日本史でもない話なので、本題に移るが、Lithography内のhttp://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdfファイルを参照いただきたい。海外のサイトなので、詳細は不明だが、アメリカのイリノイ大学マクドナルドグループ*3の資料だと考えられる。紹介文には「Y染色体ミトコンドリアDNAのハプログループの世界的な分布」とある。ハプログループとは遺伝子の並びが似たもの同士をいくつかのグループに分類したものであり、通常アルファベットで表される。アルファベットの系統が同じ人は、同じ人をご先祖様に持っているわけである。

参考:ハプログループ - Wikipedia

 さて、日本人のY染色体のハプログループを見てみると、C,D,N,Oの大きく4つのグループに分かれるようだ。少ない方から順に紹介していこう。

 ハプログループ「N]は日本人集団に2%の頻度で見つかる。分布ではヤクート人やネネツ人に多く見つかる。最近の形質から古代の形質を知る事はできないが、とりあえず参考までに彼らの容姿をググってみた。ヤクートの形質についてだが、目は細く一重っぽい。肌は白い。頬は丸々としている。被り物をしていてわからないが髪は黒っぽい。ネネツは白人とアジア人の混血っぽい。眼光は鋭く、奥二重に見える。眉は剃っているのか薄い。髪はブロンド、茶、黒と多様。瞳の色も多様。寒冷地だから平気なのかもしれないが、生肉を食べるようだ……ググる時は【閲覧注意】で。どちらも北方系の民族。分布を見ると海を越えた先にいないので航海技術を持っていないようだ。Wikipediaに引用されているHammer氏の研究によると青森や徳島での頻度が高い。東北には青い瞳の人がいるらしいが、それらの形質はこの人達が持ち込んだものかもしれない。青森という渡来人の影響が少ないであろう地域で多く見つかること、狩猟民族が多いことから弥生人の可能性は低い。縄文人の北方ルーツだろうか?

 ハプログループ「C]は日本人集団に10%の頻度で見つかる。太平洋をぐるりと囲むように広がっており、オセアニアの先住民であるマオリアボリジニに多く見つかる。この集団は海を放浪して移住先の民族とすぐに混血してしまうナンパな海洋民族だったようで、地域ごとの形質差が大きく共通点を見つけるのが困難である。マオリは刺青をしていて顔での判別が難しいが、少なくとも東アジア系ではない。アボリジニに至っては、堀の深い顔、黒い肌、金髪、ちぢれ髪と日本人との共通点を探す事自体難しい。が、その次に高い頻度で見つかるエヴェンキブリヤートは日本人に似ているとも言える。エヴェンキは前も言ったように少数民族らしく、ググっても出てこない。しかも今回はY染色体の話なので、男の形質を見なければならないのだが、女性の写真ばかり出てくる。しかたがないので、女性の形質を見てみると目の形は日本人に似ている。北方の血が濃いのか、一重まぶたが強いが。肌の色も近い。顔の輪郭はあまり細長くなく、丸顔に近い。前も言ったかもしれないが頬がアンパンマンみたくふっくら。ブリヤート人は北方中国人に形質が似ている。*4目が細いせいか、少しキツめな印象。肌の色は女性はケバい化粧をしてしまっているため分からないが、男性を見る限りにおいては日本人と大差がない。ブリヤート人ミトコンドリアDNAが縄文人と一致するという特徴もあり、男女共に縄文人のルーツである可能性が高い。エヴェンキは韓国の学者が「我々のルーツだ!」という事を言ったせいで、日本のごく一部で嫌韓ならぬ嫌エヴェンキが流布しているが、韓国人は縄文人の子孫なので、縄文人のルーツであるエヴェンキの文化が流れ込んでいても不思議ではない。

 ハプログループ「D]は日本人集団に40%の頻度で見つかる。分布ではチベット人に多く見つかり、スマトラをはじめとした島国や東アジアの少数民族にもわずかだが見つかる。チベットは目が一重の人が多いようだ。標高が高いところに住んで紫外線を多く浴びているせいかもしれないが、褐色の肌を持ち、年配の人は老けて見える。ダライ・ラマ14世は亡命して標高が低い所に住んでいるせいか、平均的なチベット人よりも肌が白い。顔は典型的なアジア顔で、黒人でも白人でもない。女性の顔つきは日本人に似ていないが、男性の顔は似ている様に感じる。インドの東側にあるアンダマン諸島に住むジャラワ族、オンゲ族は100%このグループに属するらしい。どちらも形質は黒人に分類できると思う。外部との接触がないため、どんな生活をしていたのかは謎が多い。無駄な混血をしていないと考えるならば、このグループの祖先は黒人ということになり、チベット人や日本人は別のグループと混血をかなり重ねたという事になる。これらのグループは周りの国や地域に自分の子孫が少ない。ハプログループ「C]とは違い、外部との接触を避け、誰も寄り付かないような秘境に住み着き、引きこもるような生活をしていた事になる。メンタリティが移住民族ではなく、定住民族だったと考えられる。チベット人チベット仏教大乗仏教)を信仰しており、農耕民族であること、語族がシナ・チベット語族である事を考えると古代中国を作った文明(稲作民族)となんらかの関わりがあったと考えられ、弥生人に近いように思われるが、情報が少ないのでまだ確証はない。ジャラワ族、オンゲ族は形質も違えば、外部の接触も絶っているので彼らがやってきたという可能性も低い。いつどうやって日本に渡ってきたのか謎なグループである。

 ハプログループ「O]は日本人集団に48%の頻度で見つかる。分布では中国、マレーシア、フィリピンに多い。漢民族は北方モンゴロイドがルーツとか言われる事あるが、Y染色体で見る限り北方系に多いハプログループ「N]やハプログループ「C]が少ない。むしろ南方系と言ったほうがよさそうだ。中国は形質が日本以上にバラエティに富んでおり、傾向を捉えるのが難しい。当たり前だが、典型的なアジア人で黒人でも白人でもない。美人はものすごく美人だが、残念な人はものすごく残念な印象。おそらく混血により多くのルーツがあるのだと考えられる。Y染色体がほぼOである事を考えると中国の男が周辺の民族を嫁さんにもらっていた可能性が高い。フィリピン人、マレーシア人はいわゆるマレー系と呼ばれる人達らしい。マレーシアは白人っぽい人、黒人ぽい人、アジア系みんないる。ただし、あんまり濃くない感じで日本で言うハーフみたいな人が多い。フィリピン人はアジア系と黒人系の中間のような印象。目はパッチリと開いている。目の間隔が左右に離れている、ややタレ目が多くツリ目が少ない。肌はやや褐色。顔は卵型。これらのグループは古くから農耕生活をしていた痕跡がある。海を越えた先にも行ける事から航海技術も持っていたのだろう。単純に考えるならば弥生人の特徴を色濃く持っている。だが、稲作発祥の地とされる長江(ちょうこう)は明らかにこのグループの生活範囲内である。むしろこのグループしかいない。縄文時代後期に陸稲(熱帯ジャポニカ)を持ってきた南方縄文人はこのグループと出会っているはずだが、何の衝突もなかったのだろうか?このグループが南方縄文人陸稲を直接伝えたと考える事もできるが、元々あちこち航海していたハプログループ「C]の土地だったとも、南方でちょくちょく見かけるハプログループ「D]の土地だったとも言え、Oは後からこの地の支配者となった民族だとも言える。しかし、その場合は一体それまでの間どこにいたのだろうか?という疑問が残り、このグループもまた謎なグループである。

 とまぁ、色々と個人的な妄想を語ってみたが、このグループの内、非弥生人であるハプログループ「C]、ハプログループ「N]を合わせた12%を縄文人、ハッキリしないハプログループ「D]、ハプログループ「O]を合わせた88%を弥生人と捉えると。数字上は世間一般で言われている縄文人弥生人の割合と近くなる。なぁ〜んだやっぱり日本人は原住民から土地を奪った野蛮人だったのね〜……と思ってしまいそうだが、早速ツッコミを開始しよう。

 まず、比較するとハプログループ「C]、ハプログループ「N]の方が北方系と言えるが、北方モンゴロイドは進化の過程でウィンクが苦手になったはずである。いくら混血の可能性があると言ったって、北方でよく見かける彼らがウィンクが得意だというのはこれまでの常識とムジュンする。「D、O」は北方へ行くほど数が少ない。どう見たって「D、O」は南方系であり、極寒の地に対応するために目の神経が変わる必要がない。もし北方で誕生し、南下したのなら、北方にも「D、O」の子孫がもっといてもいいはずである。

 ハプログループ「O]はエヴェンキブリヤート、ヤクートの集団の中にも見かける事から北方の狩猟民族になった者もいる。つまり、「D」と「C、N、O」の2つにグループ分けする事もできる。この場合、ウィンクを基準に考えるとDが縄文人でC、O、Nが弥生人となる。Dのルーツが黒人の可能性があること、それ以外がモンゴロイドのアジア系だと考えればウィンクに関しては問題ない。

 だが、土器の問題が出てくる。アメリカでなんたらのビーナスという土偶が見つかったり、縄文土器に似た模様の破片が見つかっているわけだが、アメリカ先住民のY染色体にはDなどいない。チベットやアダマン諸島で縄文土器が見つかったという報告もまだない。韓国、アメリカ、日本といった縄文土器が見つかる地域で見つかるのはむしろCである。もし、縄文時代にいたのが「D」だとすると、弥生時代になって「C、N、O」が初めて来た事になるわけだが、その場合「C、N、O」が縄文土器弥生土器に改良したわけで、アメリカや韓国へ行ったCはむしろ弥生土器をそこで作っていないとおかしい。またNに関しては弥生人の文化圏である北九州でも畿内でもなく、縄文人の文化圏である青森へ向かった事になる。ものすごい遠回りだし、何のためにそんなところへ向かったのか動機が不明である。

 こうなると弥生的と言えるのは「O]だけで、「C、D、N」は縄文的になってしまう。しかし、国立科学博物館縄文VS弥生を見ればわかるように、明らかに縄文人はマレー系である。チベット人や北方系民族が一重が多い事を考えると、日本に来た「C、D、N」は一重であった可能性が高い。これでは縄文と弥生の形質が明らかに逆になってしまう。人骨をたくさん見て復元図まで作っている国立の博物館がそんなミスをするはずがない。縄文人を南方にしたのは南方出身者の遺伝子が縄文人の形質に大きな影響を与えたからである。言うまでも無くこのOこそ南方から採取文化を持ち込んだ南方縄文人である。

 このように、ウィンク、土器、形質、DNAと多角的に見ると、今までの弥生人縄文人像というのがかなり主観的で論理性に欠けた分類だった事が分かる。そもそも「渡来人」なる概念を出さなくても、ほとんどの日本人男性の祖先は縄文時代には既に日本にいたと考えた方が自然なのである。ハプログループ「N]は北海道当たりから入ってきたハーフっぽい狩猟民族、ハプログループ「C]は縄文土器を発明し各地を渡り歩いた海洋民族、ハプログループ「D]はそんな彼らを受け入れたお人好しな定住民族、ハプログループ「O]は南方から稲や実を持ち込んだ元気な稲作民族――。

 もちろん、これだけでは「なぜ弥生人の女性は半島からやってきたのか?」という疑問は全然解けていないわけで、まだまだ話は終わらない。我々はこのマクドナルドグループの研究資料からさらなる事実に気づかなければならない。それはモンゴロイドとは何か?という事だ。我々の考えている古モンゴロイドとは本当に白人に近いのか?そしてアフリカを出発したと言われる人類はどのような民族移動をしてきたのか?という事をDNAの系統図から考える必要があるだろう。

つづく

2020/5/16 追記
 今見るとツッコミどころの多い記事の一つ。元々の資料自体に細かなグループ分けがなされていなかったとは言え、もう少し下位の細かなグループを見る必要があったと思う。言うまでもなく形質とハプログループとの関連は無さそうなので、無駄に個人的な考察をしすぎだと思う。

*1:減数分裂によって、女性の性染色体は女性の父母とは異なるXが次の世代に伝わるみたいな話もしたいが、説明するのが難しいので省略。

*2:X染色体の場合はは母親の母親だけでなく、母方の祖父のX染色体、父親のX染色体を受け継ぐ可能性があり、父系、母系ともにわからない。

*3:マクドナルド教授?)

*4:元々のモンゴル人自体が北方中国人に似ているので、その影響を受けているのかも。