24時間目「この体を失いそうな」

 ゲームを進めるとセフィロスクラウドに「おまえは人形だ!」と言い放つ。これは一体どういう意味だろうか?

セフィロス「何を言っているのだ?おまえに感情があるとでもいうのか?」
クラウド「あたりまえだ!俺がなんだというんだ!」
セフィロス「クックックッ……悲しむふりはやめろ」
「怒りにふるえる演技も必要ない」
セフィロス「なぜなら、クラウド。おまえは……」

ジェノバ「なぜなら、おまえは……人形だ」
クラウド「俺が……人形?」

(Disk1 忘らるる都にて)

 物語が進むと、ジェノバは古代種ではないことが明らかになる。ジェノバは空からふってきた悪いやつで、まぁ、スペースインベーダーみたいなものらしい。このジェノバは「他人のきおくにあわせて自分の姿、声、言動を変化させる」能力を持つ。黒マント編で出てきたセフィロス達はこのジェノバセフィロスの容姿・言動をコピーして出来たニセモノのキャラクターだったんだ。

 そしておどろくことにクラウドは実は「ジェノバの仲間」だったんだ。クラウドジェノバの親玉であるセフィロスを追っていたのではなく、導かれていただけだった事が明らかになる。ものすごくしょうげき的な展開だけどこれは何を意味するのか?それは「ソルジャー」の秘密と関係している。

 そもそも「ソルジャー」とは何か?ファイナルファンタジーは「職業」を「ジョブ」、「道具」を「アイテム」と横文字っぽいカタカナに直す事が多い。「ソルジャー」も何かをカタカナで表現したものなのだろう。しかし、FF7の世界には神羅兵という名前の青い服の「兵隊」がすでに存在する。ところが、神羅兵とソルジャーは別物だ。という事はソルジャーの元々の呼び名は「兵士」ではないという事になる。

 言い切ってしまおう。ソルジャーとは「勇者」をカタカナで表現したものだ。え?勇者は「ブレイバー」や「ヒーロー」の方がいいって?いやいや、ここにこそFF7のスタッフのメッセージがかくされている。それは「きみたちのあこがれている勇者はその意味を知ってしまえば兵隊にすぎないんだ」というシニカルなメッセージがこの言葉にはこめられている。

 「ソルジャーは勇者」だと考えると全ての事実に納得がいく。伝説のソルジャーセフィロスにあこがれる少年達は、伝説の勇者ロトにあこがれるRPGのプレイヤーたちだ。クラウド初任務の16さいはドラクエ3で主人公が旅立った時の年れいだ。「他人のきおくにあわせて自分の姿、声、言動を変化させる」能力で自分の思い通りの人物像になるというのはRPGのプレイヤーキャラの事に他ならない。

 そして、そんな「元勇者」だったクラウドはこの黒マント編で再び勇者として行動する。その結果がセフィロスに黒マテリアをわたすという事だった。勇者が魔王の味方をする――ふつうに考えたら不自然な行動だ。だが、これは「ゲーム」だ。RPGとして見るならばこの構造はごく当たり前のことだ。これは日本のゲームの特ちょうとも言えるが、RPG、そしてアドベンチャーゲームとは製作者の意のままになる遊びだ。例えばドラクエゼルダに出てくるナゾ解きも敵も障害物も「プレイヤーにクリアされる事」を想定して作られている。つまりプレイヤーがどんなに「これを解けるのはオレだけだろ」と思ったところで、実は他のプレイヤーもたいてい解けているんだ。どんなに難しいゲームであろうと、最初からクリアできるように製作者の手のひらの上で転がされているにすぎないんだ。

 本当の悪人、敵だったら「こうりゃくできる障害」は用意しない。ミサイルは100発100中でゼッタイに外さないし、こうりゃく不可能なイジワルなしかけをほどこす。けれどゲームの敵はワルモノぶってるだけで、実際はこうりゃくできる易しい仕かけを用意してくれているんだ。言いかえるとボスキャラの正体は製作者そのものなんだ。MOTHERでプレイヤーにちょっかいを出しつつ、神出きぼつで、最後にはとんでもない事になってしまうポーキーとは糸井重里さんの事だし、ドラゴンクエストで、バラモスブロスバラモスゾンビキングヒドラを従え、プレイヤーを待ち構えるゾーマとは、鳥山明さん、すぎやまこういちさん、中村光一さんを従える堀井雄二さんだ。FFで言ったら部下にその座をうばわれるガストラこうていは坂口博信さんだ。

 セフィロスが今回からシナリオライターとして加わった野島一成(のじま かずしげ)さんなのかどうかは分からないが、製作者の代弁者である事に変わりないだろう。本来ボスキャラであるセフィロスには「よく来たな」と言ってクラウドと戦って「やられたー」と言って退場する事が求められていた。ところがセフィロスはそんな「お約束」を破ってしまう。プレイヤーとキャラクターの関係を断ち切り、RPGという遊びをバラバラに解体してしまうんだ。

 元々プレイヤーとキャラの間にはズレが存在する。例えば「バッツ」というゲーム内のキャラクターがいて、かれの名前をスズキというプレイヤーの名前にしたとしよう。この時、バッツが父親について語るとき、それはプレイヤーであるスズキの父親とは全く異なるエピソードだ。家族構成だけでなく、生まれてからこれまでのエピソード自体、バッツとスズキでは全く異なる人生を歩んだ者同士だ。そんな二人が名前を貸す、借りるだけでその世界へ行き来できる遊びがRPGだったんだな。

 プレイヤーキャラはあちら側の物語の世界でもこちら側の現実の世界でもない、ゲームという遊びにしか存在しないキャラクターだ。これに対し、セフィロスはいや、おまえ「スズキじゃなくてバッツだろ」「つーかバッツだったらそんな行動取らなくね?お前ダレ?」というツッコミを入れてしまうんだな。これはRPGという遊びを否定するちめいてきな急所だったんだ。しかもセフィロスは「お前がここまで来れたのはこっちが導いていたから」という事まで明らかにしてしまった。

 かくしてFF7は「勇者は魔王の操り人形」である事を示してしまった。ここまでされると、もはやゲームをつづけることはできない。手品のタネを知っていながら「わーすげー」と言ったりするのがキツいように、プレイヤーの方も「分かりました。喜んであなた方の兵隊として意のままに敵をたおしますし、導いてください」みたいな事は言えない。だから、クラウドは勝手に動き出し、プレイヤーはそれをただながめているだけ。そしてメテオは発動し、ウェポンというかいじゅうは出てくるわで、星は本当の危機に見まわれる。クラウドはそのどさくさで行方不明になり、仲間達はメテオを呼び出した責任として公開しょけいされる事に。なんというバッドな展開。

 ……ありきたりな作者ならこのどんでん返しをオチとして物語を閉じたはずだ。ところがFF7はここで終わらない。FFはただのRPGではない。ドラクエとかたを並べて戦い。気がつけば製作ペースでも、グラフィックの技術力でも先へ行ったゲームだ。だからこれまでのRPGを否定した上で、さらに「その次」である自分達のやりかたを示せばよい。こうして第三部メテオ編――いや、FF編が始まる。

 時間になったから続きは次回だ。おーし、解散!