中国人は何処から来たか?
ネットを調べても東アジアに特化したハプログループの分布を記述したものが見つからなくて困り物だが、2010年に発表されたドイツのマーク・ストンキング博士の資料がもっともわかりやすいと思うのでリンクを張っておこう。グラフの引用は面倒なので、今回は省く。
Y染色体ハプログループの分布
・各系統を持つ集団上位3つ
C-M130 = C* 【モンゴル>ベトナム>韓国】
C-M217 = C2(旧C3)【コリャーク人>Nyukzha?>東エヴェン>日本】
C-M86 = C2(旧C3)【エヴェンキ>東エヴェン>Iengra?】
D-M174 = D 【チベット>日本>韓国>タイ】
F-M89 = F 【北中国>南中国>スマトラ】
K-M9 = K 【Tengarras?>モルッカス>モンゴル】
NO-M214 = NO 【モンゴル>韓国>ボルネオ】
N-P43 = N1c2a2 【中央エヴェン>トゥバ人>エヴェンキ】
N-TatC = N1c1a 【ヤクート>西エヴェン>Yakut-speaking Evenks(エヴェンキ語を話すヤクート?)】
O-M119 = O1a 【台湾>フィリピン>Tengarras?】
O-P31 = O2 【タイ>ジャワ>マレーシア>日本】
O-M122 = O3 【マレーシア>ベトナム>韓国>日本】
P-M45 = P1 【トゥバ人>ヤクート>コリャーク人】・それぞれの集団が持つ系統と頻度
日本【D>O2>O3>C2】
韓国【O3>O2>C*>D>NO>O1a】
北方中国人【F>O3>K>C*>O1a>O2】
南方中国人【F>O3>K>O1a>O2>C*】
モンゴル【C*>O3>NO>K>O2】
チベット【D>O3>K>NO】
台湾【O1a>O3>O2>C*>D>NO】
フィリピン【O1a>O3>O2>C*>F>K】
タイ【O2>O3>D>O1a>K>NO】
ベトナム【O3>O2>C*>NO】
マレーシア【O2>O3>C*>O1a>K>P1】
ジャワ【O2>O1a>O3>P1>C*>F>K】
スマトラ【O3>O1a>O2>F>P1>C*>K】
エヴェンキ【C2>N1c2a2>F】
コリャーク【C2>N1c1a>P1>O3】
ヤクート【N1c1a>C2>P1】(The Human Genetic History of East Asia: Weaving a Complex Tapestryを参考に図式化)
中国人にマクドナルドグループの資料には存在しなかったFの系統がいるのはどういうこっちゃという話だが、漢民族以外を含めたものだろうか?だとしても漢民族だけで人口9割もいるわけでこんなに変わるわけがないだろう。正直どちらが正しいのかは分からないが、それ以外の分布は大方共通しているし、他にアジアの分布が細かく載っているやつが少ないのでこれを参考に話をしていこう。
引用していないので、実際の図を見てほしい。これを見る限り東アジアはC2、N、P1系統を持つ北方系(トゥバ人、ヤクート、エヴェンなど)、O1a、O2系統を持つ南洋系(台湾、フィリピン、ボルネオなど)、どちらでもない大陸系(チベット、モンゴル、中国人など)の3つのグループに分けられる。日本は南方の影響を受けているように見えるが、ミトコンドリアDNAの分布から見ると3つ目の大陸系と共通点が多い。
まず、真っ先に言いたいのは韓国人のルーツがエヴェンキという俗説はデマだったという事だ。ミトコンドリアDNAもY染色体もエヴェンキは完全な北方系である事を示すが、韓国人はどちらの遺伝子も北方系とは全然違う。どちらかといえば、モンゴル人と日本人を足して割ったようなデータである。これまで散々遺伝子的に遠いと言われてきた日本人とアイヌでさえ親の系統を辿ると共通のご先祖に当たることがわかった。混血の相手が違うので、兄弟と呼べるほど血縁は近くはないが、親戚と呼べるぐらいには共通点がある。だから両者が共通の祖先から分化したという事が分かるわけだ。一方でエヴェンキと韓国人は共通点を探す方が難しい。普通に考えれば韓国人とエヴェンキは赤の他人だ。もし、韓国にエヴェンキの文化があるとすれば、それは韓国人がエヴェンキの文明を滅ぼした時に残った遺跡か、ただ単に韓国人の祖先がエヴェンキの文化をパクっただけだろう。嫌韓はなぜか大嫌いなはずの韓国人学者が言いだしっぺの俗説を信じていたわけだが、エヴェンキにとっては完全な風評被害である。もうこれ以上少数民族をいじめるような事はしないでほしい。
このようにDNAから見ると、原住民を滅ぼしているのはむしろ大陸人である可能性が高い。例えば中国人のハプログループはとんでもない事になっている。日本の原住民がDかもしれないといわれているが、ご存知の通り、チベットにも多い。そしてこの図を見る限りタイや、韓国にもわずかだが存在する。という事は隣あった地域に住んでいるわけだから、中国にもDがいてもおかしくないわけである。ところが実際は全くいない。私は以前考察した民族のルーツ13集団の中で、もともとのシナ=チベット語族はD系統ではないかと疑っている。異なる文化の中国とチベットが同じ語族である事は、当然民族のルーツが共通だと考えるのが普通だ。
ところが中国人のほとんどはDよりもはるか後で分化したO3とどこからやってきたのか不明なFがほとんどを占める。Fは確かに出アフリカ直後の集団であるが、周りに系統がいないのは不自然すぎる。あまりにも排他的な分布である。考えられるのは中国の文化圏はもともと多民族で、南方の海洋民族だったO系統が北上して分化し、陸の民になったという事だ。ということはシナ=チベット語族の文化圏に入っていったO系統が原住民を制して文化を継承したのが現在の漢民族のルーツである可能性が高い。
さて、弥生時代というのは中国でいう周王朝の時代と同じ時代だ。この時代は一つの民族が平和に暮らしていたわけじゃない。いくつもの民族や人種が存在し、互いが生存競争の真っ只中にいたわけである。
春秋時代には国の祭祀を絶つと国の祖先から呪われるという考えから、国を占領しても完全に滅ぼしてしまうことはそれほど多くなく、また滅びても復興することがよくあった。戦国時代に入ると容赦がなくなり、戦争に負けることは国の滅亡に直接繋がった。そのような弱肉強食の世界で次第に7つの大国へ収斂されていった。その7つの国を戦国七雄と呼ぶ。春秋時代には名目的には周王の権威も残っていたが、戦国時代になると七雄の君主がそれぞれ「王」を称するようになり(ただし、楚の君主は以前から王であった)、周王の権威は失われた。
韓(紀元前403年 - 紀元前230年)
趙(紀元前403年 - 紀元前228年)
魏(紀元前403年 - 紀元前225年)
楚(? - 紀元前223年)
燕(紀元前1100年頃 - 紀元前222年)
斉(紀元前386年 - 紀元前221年)
秦(? - 紀元前206年)七雄以外の宋や中山といった国々も王号を唱えており、諸国における重要度も高かったという指摘もされている。
注目すべきは中国のファーストエンペラー、つまり統一王朝を作った始皇帝が「秦(しん)」から生まれたという事だ。秦というのは戦国七雄の中で南西の出身である。つまり、「南方系」だ。
11:00頃〜
中国大陸ではですね、王朝が滅びたら前の王朝は悪かったと。天命がなくなったんだと言って全部壊すんですよ。何の意味もないっていうんで、人間も殺す。皇帝たち一族も殺す。上にあるものはなくす、それで新しく作るっていうリセットばかりしているんですね。12:00頃〜
秦の始皇帝から黄巾の乱を経て、隋による統一までの間に非常にたくさん王朝が興って人間が入れ替わっている。つまり、非常にたくさん死んでまた新しい人たちが入ってくる。けれども共通語は漢字で、共通文字が漢字で、皇帝がいて、街をネットワークで抑えて貿易をするという事で、シナはこうやってどんどん人間が入れ替わってきました。21:30頃〜
ちょっと中国史を説明しますとですね、モンゴル帝国は全然中国じゃない!元朝というはそもそもが漢字を使わない人が大部分で、漢字を使う人達は植民地扱いと言いますか、そのうちの一部だったんですね。ところが漢字で書かれた資料がたくさん残るから、後でいいようにもう漢字で書く人が司馬遷の史記のフォーマットの中に元朝をちゃっちゃと押し込めたものが元史なんです。それで元史だけ読むといかにも中国王朝になったっていう風に説明しますが、もう全然本当のモンゴル史を勉強していると全く違う。それは一面、こちらの側の支配された人から見た支配者だという事がわかるんです。さて、今の中国が「自分達は清朝の継承国家だから、清朝の領土は全部中国だ」……しかも今、すごいけしからんのはね「南シナ海は漢の時代から歴史上中国だ」って、またこれ完全なでたらめですからね。漢人――漢字を使う人達は海には行かなかったんです。海を領土だと思った事は一度もない。しかも南の方は国境の意識も全く無くて――。
23:30頃〜
今の中国が言っている清朝の継承だっていうことも大きなウソなのは清朝は実は漢字を使っていなかった場所が大部分、半分以上でこれもう今の中華人民共和国の6割が自治区なんです。つまりモンゴル、チベット、ウィグル自治区は20世紀までは中国じゃなかった。漢字が全然伝わらなかったところだ。だから彼らこそが侵略していると。国内植民地を持っていると。言わなきゃいけないんですが、なかなかこういう本当の事を書くと、それはそれとしてということになります。(宮脇淳子『歴史とは何か』 #6 より引用 )
私が日本史の見方で世界を見てはならないと考える理由はここにある。特に大陸では自分達の上に言葉も通じなければ価値観も全く違う余所者が支配していた歴史がある。大陸では「民族」があって「国」ができたわけで、「国と民族がイコール」ではない。異民族の支配下で必死に耐えて生き残った「民族」の歴史があるだけで、国自体は何度も滅びているのである。エジプト史というものがギリシャやローマと関わりがあるように、中国もモンゴルやツングースとの関わりがあるわけである。
清朝、元朝は漢民族の王朝ではないというのは有名な話だが、これは民族的だけでなく、人種的にも言えてしまうコトである。たとえば、ヌルハチはC2b1c1*(C-M401*, (xF5483))、康徳帝はC2b1c1*(C-M401*, (xF5483))、チンギス・カンはC2e1a1a(C-M407)どれも中国人に少ない型だ。これらは日本人と系統こそ違うものの、出アフリカ直後の古モンゴロイドの子孫ばかりなのである。中国人が異民族の王朝を自分達と同一だと言い切ってしまうのは、縄文人とは違う意味で民族の垣根がないと言わざるを得ない。さらに注目すべきなのは「自称孔子の子孫」の存在だ。
孔子
中国・春秋時代の思想家、哲学者・孔子(BC552-BC479, Confucius)が、いかなるY染色体の系統に属するかを解析するために、曲阜孔氏の男性1,118名を対象に調査を行ったところ、ハプログループC2(C-M217)(46.06%)、ハプログループQ1a1a1(Q-M120)(27.01%)、ハプログループO2(O-M122)(20.66%)、その他(6.27%)であることが判明した。この結果により、従来は同一父系に属すると考えられてきた「曲阜孔氏」が、実際には、ほぼ3系統の異なる父系の子孫に分かれることが明らかとなった。また、実際の孔子の系統は、ほぼ半数(46.06%)を占めるハプログループC2(C-M217)である可能性が高いと考えられる一方で、漢民族としては比較的珍しいハプログループQ1a1a1(Q-M120)が「曲阜孔氏」の男性から4人に1人以上(27.01%)の高頻度で検出されたことなどから、こちらが実際の孔子の系統ではないかと有力視する見解もある。これらは、濟南鐡路公安局刑事技術所や、復旦大學らの研究チームの解析によるものである。
「C3(C-M217)」、「O3(O-M122)」、「Q1a1(Q-M120)」。百歩譲って亜型のような細かい系統が違うのなら同じ祖先から分化したと考える事もできるが、アルファベット自体が違うという事は文明が興る前に分化した「赤の他人」だという事である。そんな赤の他人が孔子の子孫を自称しているわけで、この系統のうち2つはうそつきだという事である。最悪の場合、孔子の系統はどれでもなく、3つとも嘘つきの可能性だってある。
アメリカは歴史のない国だと言われるが、中国も「国」として考えるとそれ以上に歴史がない国だ。中国が中国と名乗り出したのは中華民国の時代からであり、100年経っているかどうかも怪しいほど生まれたばかりの赤子国家である。彼らが持っているのは国としての歴史ではなく、民族としての歴史だ。彼らの言い分を世界に適用すると、例えばイスラエルなどは3000年の歴史ある国だという事になってしまう。この事を踏まえて我々はまず、中国人が移住民族であるという事に気づく必要がある。
さて、中国人が中華思想を体現したかのような排他的な分布を見せる事は、民族のルーツを辿る上で非常に重要である。まず、「D系統は日本の原住民。大陸系ではない」というのを疑う必要がある。中国人がおそらく南方からやってきた新しい民族である可能性があるという事は、もともとの中国人の系統はD系統である可能性もある。F系統がもともとの中国原住民だった可能性もあるが、彼らが日本に渡来したのであれば、日本にF系統がいるはずだ。ところが実際は一人としていないわけである。つまりO3系統(とF系統)に追われたD系統が日本に渡ってきた可能性もあるという事だ。つまり、渡来系とされていた人もD系統だった可能性があるという事だ。これはありえない事じゃない。
南部琉球 n=27 (by Sinka et al)
DE 4%
O2b* 31%
O2b1 35%
その他 30%台湾先住民 n=223 (by Tajima et al)
C3 1%
O1 83%
O3 13%
その他 3%
ご覧のように沖縄の南にいるのはほとんどO2である。もし、朝鮮半島から弥生人が来て日本列島を埋め尽くしていったのなら、追いやられたD系統は都市部から切り離された南の側にいなければならない。しかし、実際は追いやられたはずの場所にO2が多い。もし、弥生人が大陸から来た支配者で、縄文人を追いやるほどの武力を持っていたのだとしたら、南琉球を制した後で、地理的に近い台湾まで渡っていてもいいはずである。ところが渡っていない。大陸と関わりがある彼らが台湾原住民相手に歯が立たなかったのだろうか?疑問である。
アイヌ D2 88% =D系統が多い
東京 D2 40% O2b 38% =D系統とO2系統は同じくらい
九州 D2 29% O2b 35% =O2系統が多い
北琉球・沖縄 D2 57% O2b 22% =D系統が多い
南琉球 DE 4% O2b 66% =O2系統が多い
北から順に並べるとこのようになる。これは私の考えだが、どう見てもO2は南方系ではないだろうか?縄文人の南方ルーツ、あるいは稲作を長江から伝えた後期縄文人と考えるのがもっとも自然ではないだろうか?ネット上ではO系統はみんな大陸人、渡来系だと思考停止する意見が多数のようだが、人種というのはそんなに単純なものだとは思えない。例えば、アイヌと北海道縄文人のDNAに差があるという事は、アイヌは縄文人が滅んだあとで、弥生人とオホーツク人が出会ってできた新しい民族だという考え方だって出来るのである。
2020/5/16 追記
可能性での話であって、アイヌが縄文人の子孫ではないと言っているわけではない。特に自分は縄文=弥生と言っているので、現代日本人と縄文人が地続きであるように、アイヌと縄文人も地続きであると思っている。
話がどんどんグチャグチャになってきてしまったが、「人種」のルーツというのはホントにいろんな形で成り立つから決まった一つのルートを見つける事はできない。一度その地を離れた者がまた帰って来る事もあれば、いい所を見つけたらそっちへ移住してしまい行ったきりになってしまう事もある。DNAに関してはちゃんとした途中経過があるわけではなく、現在と人骨というぶつ切りのデータしかないのだ。だからこれらのぶつ切りのデータをつなぐために、古代から民族が受け継いできた文化の話にもどろうと思う。そう、多民族だった倭人はいつから「日本人」になったのか、最初の日本人は誰なのか?という事をもう一度「記紀」の記述から考えていかなければならない。
つづく