26時間目「なんて不思議な目をするんだ」


ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット CM

ジョゼット「タカシくん!」
女性「どうしたの?」
ジョゼット「タカシくんってば……」
タカシ「あっあの、ごめんオレ帰るわ」
女性「なんで?」

ナレーション「キミは彼女をほっとけない」

 今では死語になりつつある言葉に「ギャルゲー」ってやつがある。ん?死語っていうのは昔はよく聞いたけど、最近はあまり聞かなくなった古い言葉のことだよ。ギャルゲーっていうのは一言で言えば女の子がたくさん出てくるゲームというのかな。昔はゲームといったらほとんど男の子がやる遊びみたいなイメージが出来つつあったんだ。そこに出てくる女の子はなんと言うか少年マンガのヒロイン的な役割というか、それ自体がメインになることはない「わきキャラ」で、ほとんどのキャラクターは少年、おっさん、動物、メカ、性別不明のマスコットキャラ(?)が多かったんだ。そんな中で女の子がたくさん出るってだけでユニークなゲームとして評価された。今ではそういうゲームはふつうにあるから死語になってしまったんだな。

 上記の動画のゲームは「ワンダープロジェクトJ2」。別に女の子がたくさん出てくるわけじゃないから厳密に言えばギャルゲーじゃないんだけど、世間いっぱんのギャルゲーのイメージは多分こんな感じなんだろうな。実際にギャルゲーユーザーの中には動画にあるタカシ君のように現実のカノジョををほっぽりだしてゲームの中の女性に夢中になっている人も多いな。中には2次元にしか興味がないって男もいるみたいだ。

 けどな、先生は疑問に思うんだ。いつからこうなったんだろうか?たとえば昔のれんあいゲームはアニメのえいきょうを受けながらもギリギリ現実にいそうな子をデフォルメして楽しんでいたんだ。めがねっこ、不良、マドンナ――クラスに一人くらいはいそうな女の子とテレビドラマみたいなれんあいがメインだった。えがかれるドラマもそういう身近な人物とのコミュニケーションが中心だった。けれども今はSF(サイエンスフィクション)やファンタジーの住民ばかりだ。たとえばロボット、ゆうれい、ちょうのうりょく者、宇宙人、まほう使いなど常識をこえた女の子との映画や小説みたいなれんあいが多い。

 かつては定番のひとつだった「めがねっこ」はどこへいったのか?例えば全盛期の90年代後半ならば「ギャル」がたくさんいたはずだが、ゲーム中にギャルがなぜ出てこないのか?ギャルゲーって名前なのにギャルが一人も出てこないってかなり不自然だ。アムラー(死語)がたくさん出ていた方が現実味が出ると思わないか?昔のれんあいゲームが画面の外側の現実と地続きの世界にあるのに、今のれんあいゲームはユーザーから遠い想像の世界にある。

 こういったゲーム自体の変化は主人公キャラを見てもわかる。かつてこういうゲームの主人公はナンパな主人公が多かった。その方が女の子にすぐにちょっかいを出す理由が出来るし、何より女の子好きなユーザーにとって感情移入しやすいからだ。ところが今ではものすごく内向的だったり、あんまり興味なさげな大人しい感じで、自分からアタックをするのではなく、受け身がちな主人公が多くなっている。それは、そういう主人公の方が感情移入しやすくなったわけで、ユーザー自体が今と昔でちがいがあり、変わっているという事になる。

 これじゃあれんあいゲームは現実のれんあいと同じものではなく、現実とうひをするために遊ぶゲームのようだ。はたしてこれらのゲームのクリエイターは、男達をそういうれんあいに努力したくないダメ人間にするために作ったのだろうか?れんあいゲームにテーマなどなく、そういうモテない男から金をうばうだけのゲームだろうか?……先生は正直、このジャンルはあまり遊ばない。だけどな、第三者だから見える事、わかる事もあるんだ。それはこのゲームのムーブメントにもちゃんとした流れがあるんじゃないかって事だ。というわけでこれからはこのギャルゲーというジャンルが一体ゲームにどのようなえいきょうをあたえたのかについて考えていこう。おーし、今日はここまで!解散!