27時間目「花の様に、棘の様に」
「一緒(いっしょ)に帰って、友達に噂(うわさ)とかされると恥(は)ずかしいし」――これは、れんあいシミュレーションゲーム「ときめきメモリアル」のヒロイン、藤崎詩織(ふじさきしおり)のセリフだ。よくネタにされるが、ある意味これは年相応の反応だと思わないか?わからないか、そうか。
先生が見たところ藤崎詩織はごくふつうの女の子で、性格が悪いというのは後で面白おかしく話すためのネタのように思うんだ。そもそも上記のセリフはよほど「仲が悪いときに出てくるセリフ」。ふだんからキツいわけじゃない。ストーリーは前後の文脈から読み取るものだ。テレビなんかはカメラごしに、わざとおこらせて暴力的になっている姿や泣いている顔だけをとうとつに移すが、こういう特定の部分だけをクローズアップしたものは真実に近いとは言えないな。
現実味がないと言われるギャルゲーも、そもそもリアルさからはじまったんだ。異論はあるだろうけど、はじめにこのジャンルを切り開いたときメモは自分の能力を数字で表して、それが上がったり下がったりするのを楽しむ計算シミュレーションだった。ゲーム内容は主人公が勉強や部活動で努力することでヒロインに認めてもらうというもので、ヒロインに対するアクションもデートにさそうなど地に足がついた内容だったりする。
コナミは「実況(じっきょう)パワフルプロ野球」に見られるようなスポーツ系のゲームなど、日本ではめずらしいシミュレーションゲームを主体としたメーカーだ。*1ときメモはゲームセンターの延長戦上にあったアドベンチャーゲームではなく、パソコンゲームの延長線上に生まれたれんあい「シミュレーションゲーム」なんだ。
現実にいるような女の子をコンピュータ上に再現する。ときめきメモリアルはれんあいをゲーム上で体験する事を目的にしたもの。だからこそヒロインはしゃべるし、目をぱちくりさせたりもする。これも実際の挙動を再現しようとしているととらえる事が出来る。
では、現実世界をまねる遊びがいつからそうではなくなったのか、それはシミュレーションゲームではない、もうひとつの流れ、アドベンチャーゲームのえいきょうによるものなんだ。勝ち負けを主体としていたゲームは、そのわく組みをこえて物語を主体として動き出していくんだ。おーし、今日はここまで!解散!