30時間目「ハートも鉄になるのさ」

 今でこそパソコンは一家に一台*1という時代だ。けれども先生が授業で教えてきたようにパソコンは元々オタクのものだった。そして自作するのが当たり前の難解な文化だった。ところが90年代の半ばにはそれがくずれる。今では億万長者として有名なビルゲイツ率いるマイクロソフトからWINDOWS95が出るんだ。このウィンドウズはGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)というまぁ、みんなも使っているようなマウスでファイルやフォルダをクリックして操作する方法を使っている。それまではcd(チェンジディレクトリ)とかdir(ディレクトリ)みたいなコマンドを入力してファイルを探していたんだけど、そんな内部構造を深く知らなくても直感的な操作でじゅうぶんにしたんだ。このような初心者にも分かりやすい操作になったことで、パソコンを一ぱん人が使うようになる。するとこれまでのような計算ゲームではない、ゲーセンや家庭用ゲームの方法論がパソコンに入ってくるんだ。

 それと重なるように、ビジュアルノベルという一言で言えばサウンドノベルのしんせきみたいなものがパソコンゲームに生まれる。パソコンのディスプレイは元々表示が32色〜数百色程度だった。当時のブラウン管のテレビよりはるかに悪い表示性能だ。そもそもパソコンは計算機なのだから、表示機能は貧弱で計算ゲームが多かった。その方が理にかなっていたんだな。けれどもパンピーが増える事によって、ゲームユーザーも変わった。テレビやアーケードのように映像主体なゲームの文脈がパソコンに来た。つまり、れん愛のシミュレーションよりもごほうびにエッチでかわいい女の子が表示されればいーやって状態になっていったんだ。

 ちょうどそのころ、サブカルブームというちょっと変わったアンダーグラウンドな感じが人気な時代だった。現実にいなさそうな子へのあこがれれというのがあって、エヴァ綾波(あやなみ)レイみたいなのが流行っていたころだな。そんな時にleafアクアプラス)はそのニーズを満たすヒロインを次々と生み出していくんだな。そしてそんなかれらのある意味最高けっ作が、To Heartに登場する「HMX-12マルチ」だ。

 このマルチは現実にはまだいない(けれど作中では実用化されている)ロボットなんだけど、人間の体を持たないがゆえにものすごくピュアな存在なんだな。そしてこのピュアさに多くの男たちがやられてしまったみたいなんだ。現実の女性が持っていないみりょくに気づいたユーザーは画面の中のピュアな女の子の存在を愛で始めた。かわいければもはや人間でなくてもよいとでも言わんばかりに。

 だから、美少女ゲームのキャラはマルチ以前と以後で分けられるといっても過言ではない。それほど重要なキャラクターだ。れん愛ゲームの定義が現実のれん愛の延長戦上ではなく、現実では手に入れられない女の子を手に入れる事に変わったのはおそらくここだろうと先生は思っている。

 しかし、このことで製作者を非難するつもりは毛頭ない。たとえばこのゲームの(一応)メインヒロインである神岸あかりは現実にありうるキャラクターとして想定されていた。

http://bungle.cocolog-nifty.com/work/work.htm#toheart

 いまでこそメインヒロインという位置づけになっているあかりですが、企画当初はもっと脇役のイメージでした。
 当時のあかりのコンセプトは『変わっていく女の子』。
 定番恋愛ゲームの逆パターンをやるつもりで、浩之がいわゆる理想のヒロイン的立場、それに対し勉強も運動も駄目なあかりが浩之に釣り合うくらいに努力していく……みたいな展開を考えていました。
 身近にいた女の子が、いつの間にか気になる存在に変わっていく……まさに恋愛モノの王道ですよね。
 登場するたびに可愛くなっていくキャラクターがいるのはゲームとして面白いと思ったし、主人公が『友達に噂とかされると嫌だから』的な台詞を選択できるのは楽しいかな、と思ったりしたのですが、冷静に考えると、実作業量として表示するための絵がべらぼーに増えそうだったのと、キャラクターとしての個性が変化していくのもなんだかなーと思えてきて、結局やめました(髪型チェンジのイベントだけはその名残)
 それでもPC版のあかりは、幼なじみである浩之との距離感をすごく意識している女の子として描きました。
 逆に、浩之のほうはそれに気づかず、あかりに対して『申し訳ない』となるのがPC版。
(「BUNGLE BUNGLE」Work より引用)

 女の子のみりょくを活かすためにあらゆるタイプのキャラクターと印象的なストーリーを用意した。ちょうのうりょく者やまじゅつしが出てくるのもそういったタイプのキャラクターを登場させることで、「物語」として楽しめるものを作ろうとした。マルチもその中の一人にすぎなかったのだろう。

 それにしても改めて見ると、「主人公が努力せずとも最初からモテるスーパーマン」という設定もどうやらTo Heartが始めたらしい。後の美少女ゲーム市場にものすごくえいきょうをあたえた作品になるんだな。まぁ、ToHeartスタッフが意図してそうしたというよりも、こういった設定を安易に真似た同業者や喜んだユーザーが作った面が非常に大きいと言える。

 現実にいない女の子をえがくのは大変だ。エヴァの製作者でさえアヤナミをえがくのに気がくるわなければ出来ないと言っていたし。そして、この業界は気がくるった作者が喜ばれるようになる。そんなくるった世界にじゅんすいにゲームが好きな若者が入りこんでしまったらどうなるだろうか?業界の悪えいきょうを受けておかしくなってしまうのだろうか……それとも……。というところで時間だな。おーし、今日はここまで!解散!

*1:それ以上?