倭の海洋神

 日本神話において天津神スサノオ国津神の代表であるオオクニヌシはなぜ血縁関係にあるとされるのだろうか?その秘密は「海」にある。

 スサノオには日本書紀にのみ「新羅へ行った」という記述がある。引きこもりの世界観で書かれた日本神話において数少ない外国へ行った神である事が明かされる。スサノオはアマテラス(日本人)に迷惑をかけまくっている事、その乱暴で破天荒な性格から「コイツ朝鮮人じゃね?」みたいな事はよく言われる。実を言うと私も「その可能性は否定できない」と思っている。しかし、ここで似ている理由を「朝鮮から日本に」渡来してきたのがスサノオだ。という考えには同意しない。前回も書いたようにスサノオイザナギが「日本人をたくさん作ろう!」と言った後の日本で生まれた子供が、「母ちゃんにあいたい」と言っていたわけである。つまり、渡来人どころか日本から朝鮮へ行った存在だという事である。これまた既に述べた事だが、瓠公も昔脱解も元倭人新羅渡航していった人たちである。彼らこそスサノオの意を継ぐもの、あるいはスサノオそのものではないか?しかも新羅王の冠のヒスイは倭が原産地である事も分かっている。もしも倭人がそのまんま縄文人を指すのなら、スサノオ縄文人で、さらに新羅縄文人の王朝だと言える。我々は日本国内にのみフォーカスを当てて、ある時期から弥生人が増えた!日本は弥生人に支配された!と言っているが、反対に縄文人が外国へ行っているとは誰も思わないのだろうか?

 例えばスサノオの関連を調べると色々と興味深い事が分かる。

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スサノヲは、青海原を治めよと、イザナギに命じられた。(日本書紀 一書・十一)
出雲に渡ったスサノヲはヤマタノオロチを退治して、助けたクシイナダ姫が、オオナムチ(大国主)を生む。
スサノヲと天照大神との誓約で生まれた宗像三女神を祀る宗像氏の祖神は大国主
宗像氏は、玄界灘を司る海洋豪族。
スサノヲは、朝鮮半島と行き来をしている。
よって、スサノヲは、航海と関係の深いカミだったことがわかる。

第五段一書(六)-4 海の神々

三人組の理由
住吉大神宗像三女神が3人組となっているのは、古代に於いて船の移動の際、位置や方角を知るために「星」が利用されたためと言われています。その方角を知るための星が「オリオン座」のアルニタク・アルニラム・ミンタカの腰のベルトの三連星です。
●世界各国で三つ星は特別視されていた。
●エジプトのギザの三大ピラミッドはこの三つ星を表しているとも。
●毛利家の家紋の一文字三つ星はオリオン座の腰の三つ星を表しているとも。
●マンガ「あぁ女神さま」の「ウルド・スクルド・ベルダンディ」は北欧神話の海の女神で三姉妹。これも宗像三女神と同様の理由と思われる。

三貴神も、もしかすると
これまで三貴神(アマテラス・ツキヨミ・スサノオ)は「太陽+月」と「スサノオ(←意味不明ナニコレ?)」と考えがちでしたが、上記の住吉大神が「三つ星」をルールにしているならば、三貴神も同様に「海」に関わる神だったのかもしれません。

海というよりは「海運業」でしょう。

太陽と月は昼と夜の航海にとっては、自分の位置を知るために重要だったでしょう。スサノオは…風でしょうね。では古代では風を帆で受けて進んでいたか?? それは分かりません。単に風で海が荒れるのを恐れたのかもしれません。

もしかすると、帆で風を受けて前に進むという「良い力」と、海が荒れるという「恐ろしい力」の二律背反(アンビバレンツ)な力を表したのが、高天原での乱暴狼藉とその後の出雲での英雄像になったのかもしれません。

 これまでの常識でいったら航海術を持っているのは「渡来」人だけだった。だから上記の事実は日本人の祖先は渡来人という説を後押ししていた。だが、私はこのブログで縄文人の文化や、血統自体が海外で見つかっているという事実を上げた。それだけでなく、貝塚や漁といった文化的側面から縄文人は海と関わりが深いという事も分かっている。つまり、海、倭人縄文人はつながっているのだ。

 そして、オオクニヌシに話を移そう。オオクニヌシといえば因幡の白兎の話が有名だ。

大国主命には、八十神と呼ばれる兄弟たちがいました。兄弟たちは美しいことで知られる、因幡の国の八上姫を妻にめとろうと、出雲の国をあとにしました。命は兄弟たちの大きな荷を背負わされ、とぼとぼと後に続いていきました。

はじめに、泣いている赤むけうさぎを見つけたのは八十神たちでした。兄弟たちは、からかい半分、こう言いました。

「やい、うさぎ。よいことを教えてやろう。まず海の水でからだを洗い、それから風の吹きさらす山のいただきにねころんでおれ。そうすれば、すぐにもとどおりのすがたになるであろう。」

さっそく言われた通りにしたうさぎは、よくなるどころか、塩が乾いて傷がしみ、いっそうひどく赤むけてしまいました。

うさぎが、あまりの痛みにしくしく泣いていると、そ こにおくれて来た大国主が通りかかりました。

「おや、うさぎ。どうしたのだ」

大国主がおだやかな声でたずねると、赤むけうさぎは答えていわく

「わたくしは、おきの島にすんでいたもの。いつか島を抜けだしたいと想いこがれて、あるとき、海の鮫たちをだまして、陸にあがる方法を思いついたのでございます。わたくしは浜から鮫たちに言いました。

『おうい。わたしたちうさぎの数と、おまえたち鮫の数のどちらが多いかくらべてみないか。まずはおまえたちがこの浜から気多のみさきにかけて、一列に並んでみるがよい。わたしがおまえたちの背中をとびながら数を数えてやろう。では、いくぞ』
鮫の背中を渡る白うさぎ
鮫に襲われる白うさぎ

ところが、さいごの一尾というところで、わたくしは、うれしさのあまりつい口をすべらせてしまったのでございます。

『やいやい、だまされたな。わたしは海をわたりたかっただけなのだよ』

はらを立てた鮫は、あっという間にわたくしをがぶり。そのうえ八十神さまたちのおっしゃることを信じたばかりに、痛みはひどくなる一方でございます」

こころやさしい大国主の命は、うさぎに教えました。

「いますぐ河口に行って、真水で塩を洗い落とし、蒲の花粉をしきちらした上に寝ころびなさい。そうすれば、すぐにもとどおりのすがたになるであろう」

命のことばにしたがうと、うさぎは見る間に元気になりました。
たいそうよろこんだうさぎは、命に予言を授けました。

「あなたはいまでこそ、おおきな袋をかついでみすぼらしいなりですが、八上姫さまを嫁にされるのは八十神たちではありません。大国主命、あなたさまなのです」

このうさぎ、じつは”因幡の白兎”と呼ばれる、 八上姫の使いのものだった、ということです。

http://www.shirousagi-goen.com/294/1491.htmlより引用

 ウサギって海を渡るの?みたいな細かい事はこの際どうでもいい。重要なのはこの物語はどのような民族が作ったものだったのか?という事である。この物語を作れるのは「海の先に島がある事を知っていて」「その先へ行ってみたいという好奇心を持った」人達である。つまりメンタリティが海にある民族だという事だ。

 そもそもオオクニヌシを祀っている出雲大社には大きな「縄」がある。縄文土器というのは名前どおり、縄を押し付けたような跡から名づけられている。これはただの偶然だろうか?

 伊勢神宮にあるというダビデの星の事を日本人は「籠目紋」と言う。これは「たけかご」を編んだ時の模様から来ている。「網目」が糸を縦横でつないだ網から来たのとおなじように「篭目」から来ているのである。縄文人は毛皮をかぶった旧石器人みたいなイメージを持った人も多いかもしれないが、複数の糸を束ねたり編んだりする器用な技術を持った人達なのではないか?

 つまり、オオクニヌシスサノオ縄文人の系統だと考えられる。それどころか彼らの祖先であるイザナギイザナミ縄文人だと考える事もできる。……と、考えると、ひとつ疑問が浮かぶ。それは記紀は明らかにスサノオオオクニヌシと対立する立場から書かれたものだという事である。太陽神は農耕民族の神であるように、朝廷は縄文的な要素がない。

 私が思うに、縄文とそれ以後で大きく変わった事がある。それは稲作(特に水田)が活発になったという事である。言うまでも無く日本人の主食は「米」だ。私も一歩家を出れば田んぼが見えるような田舎に生まれた。だが、そんな田舎に生まれた人間から言わせてもらうと、「地元の米は美味くない」というのが定説だ。それは私の地元が海の近くであり、「海辺の稲は潮風に当たって美味くない」という本当かどうかわからない話が元になっている。一方で山は水がきれいなので美味い米ができるらしい。

 山の民 いわゆる弥生人 農耕稲作民族 引きこもり
 海の民 いわゆる縄文人 海上貿易民 冒険心溢れる 

 ヤマトとは実は「山人(やまびと)」の事だったのではないか?そのように考えると、天津神国津神という全く違う出自のオオクニヌシスサノオを同一視したとしても不思議ではない。それは「山の民」からみたらどちらも異文化の「海の民」にすぎないからである。そして彼らの故郷が山だという事は我々はやはり高い場所に住んでいる民族について思い出さないといけない。そう、「チベット人」だ。

つづく

2020/5/16 追記
 一部修正。この当時はチベット人が日本人に影響を与えたのでは?と思っていたが、今わかっている事から考えると可能性は低い。チベット人にはデニソワ人の遺伝子が混じっている一方で、日本人には見られない事。2020年現在、チベットで頻出するハプログループがD1a1で、日本人に見られるD1a2aとはやや距離がある事(オンガン系アンダマン人の方がD1a2bで距離が近い)。日本人に見られるO1b2に対し、チベットはO2系。……という事がわかったのでモンゴル人が日本人に影響を与えなかったようにチベット人も日本人に影響を与えていないと思われる。