震災後のゲーム

 ここ最近、ゲームが楽しい。私自身の私生活の方はあまり変わっていないと思うので、多分、ゲームの質自体が良くなってきているんだと思う。けれど、その理由はいったい何でなんだろうという事が割とつい最近まで分からなかった。ただ、面白いと思ったゲームの共通点を見て分かった事がある、それは今出ているゲームは「震災後」の価値観で作られたゲームだという事だ。

 時事ネタというのはメディアによって相性がある。具体的には次の通りだ。

(1)言葉(ブログ、twitter、メール、掲示板)

(2)映像(テレビニュース、動画サイト)

(3)物語(マンガ、小説、自伝)

(4)作品(アニメ、映画、ドキュメンタリー、音楽、絵)

(5)ゲーム

 数が小さいメディアほど早く情報が伝えられ、大きいほど時間がかかる。「本当かよ」というツッコミが聞こえてくるので、順に説明する。何かが起こった時、まず「(1)言葉」が伝達する。地震が起きた!閉じ込められた!家が流されている!この時点では、主観的な情報が多すぎて、それが本当なのかウソなのかは全く分からない。*1局所的にものすごい情報のやり取りが起こる。次に「(2)映像」が出回る。この時になって初めて情報に客観性が生まれる。デジタルな文字だけの情報から現実味のある証拠としての映像が残るようになる。ここに来て情報は初めて「リアリティ」を手にする((1)の時点ではまだリアリティが無い)地震はともかく、津波はテレビ局が自粛してあんまり共有できなかったが、動画サイトでは見れる状態だった。ある程度落ち着いてくると当事者の話が起承転結でわかりやすくまとめられ「(3)物語」が作られる。ここにきて情報はまた主観的になるが、混乱状態でただ垂れ流しにあった(1)や(2)よりもより意味がありそうで、メッセージ性の強い、わかりやすい情報が第三者に伝えられる事になる。その物語に共感した人たちがあつまって「(4)作品」が作られる。(3)よりも客観性は増すが、当事者ではない人間が多く関わるので、実は真実から遠ざかっている。そして最後にゲームだ。

 最後だけ端折っているので、わけわからん事になっているが、要するに何かが起こった時、つぶやきが早く、録画も早く、わかりやすいエピソードにするのが優先され、全体を俯瞰した情報が後回しになるという事である。そして絵や動画や音楽などいろんな表現があるが、ゲームは開発期間が一番長い(平均しても(2〜3年)はかかるので、企画の段階で時事ネタを入れると世に出る時点では誰もその事を覚えていないという事態になりかねない。

 震災直後、一番肩身がせまかったのがゲームである。それもこれも原発が事故りやがった事が原因ではあるのだが、ゲームという電気を必要とする娯楽はそれだけで白い目で見られた。テレビや携帯電話やインターネットも電気が必要なわけだが、これらは緊急時の情報収集のツールとして容認されていた。*2しかも、すでにできあがったゲーム内容を変えるというのは容易ではないし、新しく作ろうにも時間がかかるのである。だから、地震を連想させたり、そのものずばり福島をテーマにしたマンガなんかが出ている一方で、ゲームは空気を読まずに関係ない内容のゲームばかりが出ていたのである。第三者から見たらそれは作っている側も遊んでいる側も現実逃避しているように見えていたであろう光景なのである。そして、今ゲームは震災を経験した人たちが作ったものが出てきはじめている。まさに今が反撃の時であり、一ゲームファンとしてはとても気持ちがいい時期なのである。

 とはいってもそれらのゲームには地震の「じ」の字も津波の「つ」も原発の「げ」もない。だからただ単に作品を見ただけでは関連があるようには見えない。でもそれでいいのだ。なぜならゲームは後出しだ。(1)言葉には絶対に勝てない。勝てないからこそ言葉は要らないのである。言葉にしないなら何で勝負するのか?それはコモンセンス(常識)だ。

 今の世界を覆っているのは(1)言葉の力である。一番はやはりISで、コーランアラビア語)を読めるかどうかで敵味方を判断する。それに対抗して生まれたトランプも移民――例えばヒスパニック(スペイン系)を敵視しているように英語を読めるかどうかで敵味方を判断している。日本も他人事ではない知識階級は言霊信仰に陥っていて、若い子なんかもLINEみたいな早く伝える情報手段の虜になって既読スルーを許せないみたいな風潮になってしまっている。

 その一方で言語の壁を破ってみせているのがピコ太郎だったりする。「I have a pen」みたいな中学生どころか小学生でも理解できそうな単語を言った後に「ウーン」をする事によってアポーペン*3ができるが、この「ウーン」は別に英語でも何でもない。ジェスチャーと前後の流れから見て、「あ!合体させているんだ」という事が分かるようになっている。彼は似たような要領でパイナポーペンを作るがこの時点では彼は斬新なペンを作るだけの人だ。最後に彼はアポーペンとパイナポーペンを持つ。見ている方はパイナポーアポーペンか?アポーパイナポーペンか?とドキドキする。ところができたのはペンパイナッポーアッポーペンである。ペンパイナッポーって何やねんと思うが、そもそも我々は「ウーン」が何をやっているのかよく分からない。ここで客観的に「ウーン」を見ると「ウーン」されたものはそれぞれの名称を残しながら片側へ名前がつながっていくという法則を持っている。それはアポーペンもパイナポーペンの時も変わらない。だからこれらの経験を得た我々は最後に「ウーン」された後でそれがペンパイナッポーになっても納得できてしまうし、ペンを二度言っていても納得できてしまう。これは英語じゃないからだ。英語の表現を借りつつも「ウーンの法則」は英語の文法には従っていないため、独特の世界観が作られ、見ている方も思わず「ウーン」ならしかたないと、納得してしまうわけである。

 わかりやすく説明するつもりが、逆にわかりづらくなってしまったので、例えを変えると、ニュートン万有引力は割と有名だ。だが、じゃあ英語の論文やニュートンを習わないと、リンゴが木から落ちる事は発見できないのかというとそうではない。アフリカで獣を捕まえている人や高原で馬にまたがって遊牧している人達だって高いとこに物を乗せたらいずれは落っこちてくるというということは、わざわざ言葉で説明しなくたって感覚で理解できる事である。口うるさいが間抜けなおっさんの頭上にタライがあれば、その後どうなるかは文化の違いを乗り越え多くの人に理解できるわけである。

 ただいまのゲームは震災を直接ゲーム内にいれているのではない、だが震災を経験した人にはわかる感覚をゲームには入れている。これはひょっとすると偶然だ!とか言われて否定されてしまうかもしれないが、無意識で似たとするならばなおさら感覚的に同じものを共有している=コモンセンス(常識)を持っているという事の証明になる。

 こじつけだろう。とまだ疑う人もいるだろうが、実際にゲーム(に限った話ではないが)にはその当時に空気感が反映する。例えばその昔ノストラダムスという予言者がいて彼が言った「アンゴルモアの大王」というのが一時ブームだった。これを理解していないと2000年以前のゲームは半分くらい理解できない事になる。予言の中の恐怖の大王は惑星だ!空から隕石が振ってくる!みたいな解釈が割と主流だっただからムジュラの仮面では月が落っこちてくるわけだし、FF7の世界ではジェノヴァやメテオが降ってくるわけである。さらにFF7の元ネタであるクロノトリガーでは1999年にラヴォスが現れるし、そのスタッフが作ったゼノギアスでは宇宙からやっぱり驚異がやってくるのである。ワイルドアームズにはそのまんまずばり魔王アンゴルモアが出てくるし。

 今の若い人達にはなんのこっちゃな話であるし、おっさん達は笑い話にしてしまうのだろうが、あの当時のテレビのあおり具合は相当なものだった。ものすごい終末観というか。1999年には世界が滅ぶからその日までに好きな事して死ぬんだ!みたいなネタか本気かわからないような人間が割といたのである。仮に本人が思っていなくてもその人の友人にいる!みたいなそれくらいの熱狂的なブームだったのである。ウルトラマンレオの歌詞にも「だれかの予言が当たる時!」なんてものがあるように少なくとも20年近くこのネタは定期的にやっていて「7の月」「恐怖の大王」というキーワードはしょっちゅうオカルト番組で取り上げられていた。それが今は誰も語っていないというのが逆に不気味である。バブル崩壊の影響もあってか、本当に1999年で終わってしまうみたいなのが妙なリアリティとともにあり、それがエヴァンゲリオンのヒットやオウム真理教の登場にも関連していると思うのだが。そういう価値観の中作られたこれ作って終わるかもしれない感のある90年代後半の作品は個人的には良作ゲームが多かったのである。ところが喉元過ぎれば何も起こらなかった2000年以降(いわゆるゼロ年代)は(ゲームに限らず)ものすごーくつまらない作品が増えてしまって、私も自作ゲームの世界へ行ってしまったわけである。

 人間は脳みそを発展させた結果、悩みを覚えた。そしてその不快に抗うために一説によると「笑い」を作った――らしい。だから恐怖の大王に立ち向かうために良作は作られるし、震災の苦しみに抗うために娯楽は発展するのだろうと思う。

 ……いまだかつてないほど、ものすごい電波を飛ばす文章だが、今のゲームの盛り上がりを表現するにはこの表現が適当かな?と思った次第である。正直、今のゲームの流れに追いつけていないやつは情弱だ!と煽ってもいいくらい良作ばかりなのである。

*1:実際その手のイタズラをしたドワンゴ社員(だったっけ?)がめっちゃ叩かれた事件もある

*2:個人的には基地局なんていう地形に依存しまっくている装置を使うケータイなんかより、すれちがい通信みたいなアドホック通信できるゲームの方が緊急時の連絡手段としては向いているのでは?と思うが、5時間ぐらいもてばマシなゲーム機と24時間つけっぱの携帯電話ではバッテリーの品質に差がありすぎてお話にならないのであった。せめて乾電池で動く機能があればなぁ。

*3:アップルと発音しない所がネイティブっぽくて面白いが