ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの超個人的メモ

以下、個人的に驚いた事や気がついたこと。
書いていたら4月1日になってしまいましたが、エイプリルフールネタじゃありません。

・今回のゼルダの表テーマは「ネタバレされてもいいゲーム」で、裏テーマは「復活」である。(表裏逆か?)

・表の方はかなりわかりやすい。おそらく同じジャンルのゲームであるFF15との比較が一番わかりやすいが、FF15は確か「無断アップロードは厳禁です!」みたいな注意文句がロゴ表示の前後に出た後で、タイトル画面になると(私は既にエンディングを迎えているので)「録画禁止区画に入りました」的なメッセージが流れる。要するにPS4はネタバレを徹底的に禁止するハードだという事だ。対するSWITCHはそういう長ったらしい禁止文句が出る事なく普通につづきから遊ぶ事ができる。

・序盤で手に入るアイテムなのでネタバレにならないと思うが、今回のゼルダにはポケモンスナップ風のファインダーを覗いて対象を撮影する要素があるのだが、それで写真を撮るよりも、コントローラのボタンひとつでプレイ中のスクリーンショットがとれてしまうわけで、ゲーム内で写真を撮るよりも、インターネットに上げるための写真を撮る方が早い。まだコントローラーになれていないので、しょっちゅうスクショを撮ってしまった。

・ゲーム業界は違法アップロード禁止!実況動画禁止!みたいな風潮になっており、PS4の方向性はそれに沿っている形だが、SWITCHは実は違う思想や設計で作られているのではないだろうか。任天堂がネット公開を容認しているのかどうかはわからないが、禁止しても「公開されるのは防ぎようはない」。だったら、公開される事前提で、「公開されても平気なゲームを作ろう」としているのではないだろうか。

・いきなりSWITCHの話から入ってしまったが、今回のゼルダWiiUとSwitchで操作性やプレイ感覚に差異はない。多分、PS2PS3でプレステ(無印)を遊ぶとか、DSやGBAゲームボーイ(無印)を遊ぶ時と同じで、昔のゲームもおんなじように遊べるハードですよ〜という方向性のソフト。いわゆるSWITCHならではの動作や謎解きがあるわけじゃないので、好きな方を遊べばいいと思う。

・今回のゼルダのドラマ的部分(ようするにムービー)は「思い出」という形で提供される。あちこちに思い出の地があってそこへ行くと過去に何が起こったのかわかるという形になっている。おそらくこれも時系列にまとめてネットに公開されてしまうであろうが、それによってゼルダの面白さが損なわれる事はない。うまく言葉にできないが、例えば旅行先で「ここはあの戦国武将が活躍した地です!」と紹介されて戦国武将の話をされるのと、大河ドラマを見た後で、いわゆる聖地巡礼で事件が起こった場所へ行って「ここであのシーンがあったのか」と思うのとで、優劣なんてないのではないか。つまり、どちらでも感動できるのではないだろうか。

・謎解き部分にもネタバレはない。これも説明しづらいが、今回のゼルダには「正攻法なんだけど地道で大変」な方法と、「強引なんだけど手早くクリア」できる方法が同居している。だから何が正解なのかわからず、あえて言うならどれも正解になる。おなじみのフレーズがかかる場面もしかけを動かした時じゃなく、ゴールにたどり着いたタイミングに変わっている。

・いわゆるスーパープレイが存在しないゲームというか、仮に存在したとしても真似しづらいというか。これまでのゲームだったらスーパープレイを見たらそれを参考に真似をすることでプレイヤーは強くなっていった。けど、このゲームでは他人のスーパープレイはあんまり参考にならない。人によってもっている物もプレイスキルも違うから多分マネしようと思ったらものすごく大変で時間がかかる。それよりも自分の感覚で「俺はこうする!」という方向性で進んで行った方がスムーズに攻略できる。なんというかポケモンのパーティーを組む感覚に近い。

・これらの点からアドベンチャーゲームからシミュレーションゲームネットワークゲーム)に近いジャンルになっている気がする。任天堂は64の前期くらいまで(マリオ、ゼルダスターフォックスあたり)はアドベンチャーゲームに強い会社。後半はシミュレーション系(どうぶつの森スマブラ)などに方向転換している。実はWIIスポーツ脳トレシミュレーションゲームである。これらのきっかけはおそらくポケモンのヒットが関係しているはず。ゼルダはそんな中、硬派に閉じた系のアドベンチャーゲームを続けていたわけだが、今作で任天堂全体の方向性に合わせてきたことになる。

・ひょっとするとネットワーク対応する予定だったのかもしれない。今作には「ほこら」と呼ばれるミニダンジョンがあるのだが、このほこら、手作り感がものすごくある。仕組みも単純で玉を台座に置く、鉄の箱を動かす、矢を当てる…みたいなパターンができている。素人でも似たような仕掛けでほこらを作れるはずだ。例えば私が意地悪な仕掛けを作って「ス・ドゥキのほこら」みたいなものを公開し、それをダウンロードして遊んでもらうという事も、この設計ならば可能なのである。つまり、ゼルダオンラインか、ゼルダメーカーみたいなソフトを出す前段階として作られたんじゃないだろうか。

・ただ完全にシミュレーションゲームかと聞かれるとそれも違う。WIZには再挑戦度がないように、ゲームオーバーになったら、やる気をなくすゲームがシミュレーションには多いのだが、今回のゼルダはゲームオーバーになっても「もう一度やってみよう」という気分になるのである。不思議なことに。これまでのゼルダでは、「うまく押せなかった。ザコ敵やオブジェクトを相手に練習してもっと上手くなろう」みたいな感じだったのが、今作の場合「上手く押せなかった。押してダメなら引いてみよう。いや叩けばいいか?」みたいな感じで、再挑戦というより、試行錯誤性みたいな独特の感じになっている。両者は成功のイメージがつかめているか、つかめていないかという違いがある。

・以上がこのゲームの表テーマで、作品の骨格とか方向性に関わっている。裏テーマの「復活」だが、これはストーリーやゲームバランスなど作品の味付けに関わってくる。

・これまでのゼルダではリンクはどこの馬の骨ともしれないガキンチョだった。ガキンチョだから弱い。けれどもそんなバカにされてしまうような子供が、いろんなアイテムや賢者や仲間たちによって成長して最終的には魔王を倒してしまうというのが基本的なお話だった。これは桃太郎とか、ドラゴンボールやワンピースみたいな少年漫画とか、大河ドラマで言ったら豊臣秀吉みたいな日本人が考える王道のストーリーである。弱いやつが成長して強くなるというRPGのシステム的にも相性バッチリな流れだ。だからリンクはダンジョンに入った時点では攻略に必要なものをもっておらず、アイスロッドみたいなアイテムを手に入れて謎とかボスに勝てるようになってダンジョンから帰ってくるというパターンができたのである。

・今回のゼルダでは、リンクは最初の3〜4つくらいののほこらでゲームクリアに必要なものをすべて揃えてしまう。だから残りの100近いほこらに「入る前」からクリアに必要な力を既に持っているという事になる。つまり、弱いやつが強くなっていくのではなく、最初から強いのである。

・強いといってもチート的な強さではバランスがとれないので、言い方を変えるとシンデレラとかみにくいアヒルの子みたいな「本当は力を持っているんだけど、何らかの事情でそれを発揮できない。認められていない」という骨格で作られる。これはどちらかといえばドラクエというより、ファイナルファンタジーのやり方だったりする。

・そもそも「思い出す」っていうのは、プレイヤーがこの世界に関わるよりも前に、キャラクターが何らかの行動を起こしたり、ストーリーをもっているから成立する。あんまりツッコんでいる人はいないけど、今回のリンクは名前が固定。古参のRPGファンには名前がつけられるからいいんだ!という人がいて、これまでのゼルダはなんだかんだ名前がつけられたはず。だから今回のゼルダドラクエというより、メタルギアソリッドとかFFみたいなプレイ感覚といった方が正しい。

・今回のリンクは強いという事はストーリーの中にいくつもの伏線がある。100年前には勇者だったという話が序盤で語られる事もそうだし、ゼルダ姫のキャラクターデザインだって、リンクとの対比のためにこういう描かれ方をしているんだろうと思う。各イベントでも助けられるリンクというより、助けるリンクの場面の方がはるかに多い。

・この昔は強かったというのは世界設定にも影響している。遊んだ人は分かると思うがワイルドとか公式サイトのトップにあるような大自然っぽさが半分くらいは詐欺である。今回のゼルダはファンタジーではなくSFである。古代に超兵器があってそれを発掘して蘇らせた……なんて典型的なSFのパターンなわけで。ガーディアンという名前のどうみてもロボットは出てくるわ、シーカーストーンはどう見てもタブレットWiiUやSwitchのコントローラ)型だわ、どうみてもSFです。本当にありがとうございました。この世界にあるものは科学や理屈で説明可能なわけである。SFを片手に野生の中を歩くっていうここもあるいみポケモンっぽい。

・つまり、リンクは古代技術とか、思い出とか、勇者としての力を「取り戻す」ことで強くなっていく。弱いやつが強くなるんじゃなくて、強いやつが強いやつに戻るって話が全体的な骨組みになっている。

・ところどころで「和」を感じる。一番最初に「お!」と思ったのが、死者の表現。一般的なゲームでは半透明に表示させて、映像だけの存在、触れない、実体がない幽霊みたいな表現をする。もしくは顔色がものすごく悪かったり、生きている人間ではあり得ない体勢で動かしたりするゾンビ的な表現で死者をアピールしていた。けれど今作では「人魂」で表現している。炎がメラメラしていて神聖でキレイでかっこいい表現である。しかも足もとに炎が多いってところも足が見えないという日本のお化けの表現に近い。

カカリコ村。今作では異国風情ではなく東洋っぽい感じで描かれる。これだけだと中国にもあるんじゃね?と思ってしまいそうだが、村の中にはお地蔵様みたいなカエルの置物があって、リンゴが供えてあって、自分もリンゴを供えると、そこからもののけ姫に出てきそうなコログの精が出てくる――ってこれは完全に日本人にしか作れないものだよって、妙な感動をしてしまった。ほかにもゲルドの髪飾りや、どうみても忍者なイーガ団などいろいろ語りたくなるような日本的要素が満載である。

・日本という国もまた「力はあるんだけど、いろんな事情によって力を発揮できない国」である。このゲームには日本復興のメッセージがある。というか私にはそういうゲームにしか見えない。ゼルダは海外でウケがいいと聞いたことがあるが、このゲームは日本人にこそ遊んでほしいと思う。

・そのほかの気づいた事といえば、今作のマスターソード(退魔の剣)はドラクエ5における天空の剣

・イーガ団はポケモントレーナー、イワロックはボムキングみたいな任天堂によるセルフパロディ。リーバルも当然ファルコ。

マインドマップっぽいプレイスタイルでやりたい事が次々見つかる。

・武器が壊れるとか、最初は「何だコレは!?」と思ったがこのゲームバランスを支えるのには必要なこと

・狩猟ゲーム?モンハンを意識してる?

・料理>装備

・今作ではハートのかけらが選択式になっており、ハートの器とがんばりの器がある。個人的にこのゲームの面白さを満喫したいならがんばりをあげるのをオススメする。体力は多分料理でカバーできる。

・やっぱりFFっぽい。これまでのゼルダだったら回復リソースはビン4つで、ドラクエやWIZみたいな人一人が持てる量だった。今作ではアイテムがたくさん持てる。

スーパーマリオ64、ワンダと巨像ポケモンスナップなど3Dじゃないと表現できない面白さを一つにまとめたソフトだと思うのだが、人によっては2Dの頃のゼルダを連想させるのが不思議。

・お金は草むらじゃなく、人から手に入れる。店で売っているものは装備以外ほとんど拾えるもの。クリアには必須ではない。お金でゲームバランスをとっていない。その証拠として最初から大金を持てる(これまでのように上限のあるサイフじゃない)

・敵の強さが見た目でわかりやすい。

・フィールドは広い。けれど時オカみたく馬がいないとキツいフィールドではなく、小ネタいっぱいのフィールド。個人的にはこっちの方が楽しい。

・防御力とか攻撃力みたいなRPGっぽい用語を使っている。

・自分はハート、敵はゲージ(場合によっては数字も表示される)と非対称的な体力表示なのに誰も気にしていない不思議。

・リンクがジャンプする。血統ではゼルダ、役職はマリオみたいなソフト。