シナリオ

 このところアニメもテレビドラマも見ていない。これはクリエイターの職業病なのかもしれないが、とてもじゃないが目も当てられないような酷い脚本ばかりが目立つからだ。俳優の演技が下手くそなのはもうわかりきっているので、どうでもいい。問題なのはその下手さをカバーして観客を魅了させようという物語が存在しないことだ。
 
 例えば人は怒っている時、普通は「うるさい!」と怒鳴ったり、「一人にしてくれ」というようにまともに会話しないのがもっとも自然な振る舞いである。ところがドラマでは、「こいつがいけないんだよ。冷蔵庫のプリン食べるなって言ったのに、勝手に子供にあげやがって?俺がどんだけ楽しみにしていたと思ったんだよ」みたいなあからさまな説明セリフが出てくる。第三者に事の顛末を説明しているわけだが、こういうのは逆に第三者がケンカの顛末を説明し、本人達はまともに会話しないというのがセオリーである。このように本人が怒りを説明してしまうと、冷静に状況を把握できてしまっているので、怒っているシーンなのに、実は大して怒っていない状態と捉えられる。ギャク作品ならありかもしれないが、シリアスな題材でこれをやられると台無しである。

 しかもそのような台無しな脚本な上に、普通に俳優の荒ぶった声が重ねられるために肉じゃがの中にメロンを放り込んだような気持ち悪さが生まれる。説明セリフを怒りの口調で大量に垂れ流すのは明らかに不自然。そんな光景は日常のどこにもないぞ。言ってる最中で怒りが冷めるわ。

 登場人物のセリフの重ね方も気になる。「あのとき、僕はオークに出会ってね」「オーク?」「うん、とても醜い魔物さ」みたいなセリフがあったりするが、いちいち「オーク?」みたいな質問セリフはいらない。それに対してわざわざ親切に説明するというのもリアリズムで考えるとありえん。オークも知らないのかよとか、素人だなアンタとか言われてしまうぞ。話を円滑に進めたいのは分かるが、それぞれの登場人物はそれぞれの年齢やボキャブラリーや知識量や性格というものが違うのだから、セリフがスムーズにつながると言うことは滅多にない。ところがドラマでは仲が悪いキャラだろうが、初めて会ったキャラだろうが、親友キャラだろうが同じ調子でセリフが運ばれる。これでは何も描写していないのと同じ事だ。

 セリフでいうと、
A「つまり、この道路の歩き方は」
B「右側通行しかない」
みたいなセリフがある。これが長年連れ添ったビジネスパートナー同士のセリフなら納得できる。だがまだそれほどお互いを知らない人達が使っていると違和感がある。ここら辺はただ自分が見た映画のかっこいい演出を何の脈絡もなくパクっただけのように見えて、いただけない表現である。

 他にも映像を見れば明らかにわかることをわざわざセリフで言って冗長な表現になっている事が多い。観客に注目してほしい事はわかるがこれによってセリフの役割が状況の説明にとどまってしまい、感情だとか、人間性だとか、そういう細かな描写を描くスペースを奪われてしまっている。なにかセリフの力が無いと物語が進められないという錯覚に陥っているようだが、昔の映画はサイレントフィルムだったという事を誰か教えてあげてくれないか。

 このように脚本が腐っていると物語世界にリアリティを感じられず、登場人物の出来事を我が身の事のように考える事が出来ないため、どんなにかわいそうな登場人物を出そうが、登場人物が自らの感情を吐露しようが冷めた目で見ることしかできない。ところが日本では観客の目が腐っているためか、こういう脚本が普通に受け入れられ、毎週楽しみに待つという状態になっているのだから実に理解できない。つまり、日本のシナリオライティングはストーリーを流すためにあって、人物を描写するためにあるわけではないということだろうか。

 明らかに素人的な、一人の人間の脳みそだけで構築された脚本が垂れ流しになっているだけで、もっと市販のハリウッドライティングとか新井一の本を読んだだけでも改善できそうなレベルなのに、それすら出来ていないということは何の能力もない人間がコネだけで脚本を担当しているという邪推ができてしまい、イライラが止まらない。アマチュアの俺でももっとまともな脚本書けるぞ。