ゲームと現実

『ゼルダの伝説ブレス オブ ザ ワイルド』と現実の違い - 夜中に前へ

 ブレスオブザワイルドのレビューでは、このレビューが一番面白いかも。どこがと訊かれると上手く答えられないが、なぜだか気になってしまう記事だ。

 やっぱり自分はクリエイターに一歩足を踏み入れた人間なわけで、一般的なゲーマーとは視点がちょっとズレているのかもしれない。ネット上のゲームレビューは他のゲームと比較してとか、ゲームの歴史の中でとか、ゲームの枠組みでゲームを見てしまうんだけど、もっと広い視野があってもいいと思うんだよね。

 ゲームは面白いのに、現実はクソみたいな話はよくあるんだけど、上記のレビューでは、じゃあ、どうしたら現実はゲームみたく面白くなるんだろうと考えていて、いいなぁと思った。

現実での勉強における崖登り、それは知識の習得そのものでしょう。

そう考えると、不思議とゼルダとの共通点があることに気づきます。

知識を習得したことで視界が広がり、疑問が増え、「もっと面白いことがありそうだ」と、さらに新たな知識を求めるようになる……。

これはゼルダで「もうひと崖! もうひと崖だけ!」となるのと似ています(「もうひと崖」と言うのは私だけかもしれません)。

しかし一般的に、そんなに勉強が楽しいものと認識されている様子はありません。

(『ゼルダの伝説ブレス オブ ザ ワイルド』と現実の違い より引用)

 ブレスオブザワイルドは冷静に考えると現実とは違う。空想だからできる世界だ。けれど、不思議なことにあんまり嘘くささを感じない世界で、妙なリアリティがあるのも事実だ。だからこそあの世界であんなに楽しんだり頑張った自分が、画面の外側のこちら側でもその力を出せる可能性はゼロではない。

 ゲームってものすごく寓話的なコンテンツだと思っている。直接何かを語りかけてくるわけじゃないけど、確実に何かを受け取る事が出来るものだと思う。それはものすごくさりげないものなんだけど、実は我々が生きていく上で必要な何かがあると思っていて、それが(少なくとも私にとっては)魅力になっている。

 エコーナイトというゲームを遊んだら、とりあえず部屋の電灯スイッチがどこにあるのか調べる癖がついたし、ギャルゲーがあって、その影響を受けた赤松健谷川流の作品がでてきてから、物語における女の子の表現っていうのはだいぶ広がった。私はそういうゲームというものが現実に影響を与えていくみたいなものに興味があったりする。だからこういう(いい意味で)ゲーム脳な人間の文章というものがもっと読みたいなぁ。