ドラクエ11感想その3【まだネタバレ回避版】

 自分がこれからやろうとしていることってあまりよくない事なのだ。ここはこうだから面白いといちいち説明するのは、本当にすごい作品に対しては失礼な事だったりする。

 例えばベートーヴェンの音楽ってそれ自体にすごい力を持っていて、初めて聴いた人でも感動できる何かがあったりする。「こういった和音のつながりが〜」とか「ベートーベンの耳は実は〜」とか「このフレーズは○○を表現している」とかそういう説明をして、いかにベートーヴェンがすごいかを語るっていうのはしなくていいことなのだ。もちろん、こういう説明をされることで、わかりやすくはなるんだけども、同時に説明した瞬間に「あぁ、そういう作品なのね」で終わってしまう。「これは身体障害者が作った曲です」と言われるとその曲の善し悪しを置き去りにして、すごい作品なんだから感動すべき作品だと思って聴いてしまう。これは本来の人間が持つ素直な感動からすればやっぱり邪道だし、ノイズだと思うのだ。

 「ローコンテクスト」「ハイコンテクスト」って話をしたけど、やっぱりいい作品は「ローコンテクスト」であるべきなのだ。テトリススーパーマリオみたいなゲームこそ理想形と言っていいと思う。だからドラゴンクエスト11っていい作品か?と訊かれるとすこし考えてから頷くようなレベル――率直に言うとあまりいい作品ではない。けれどダメな作品か?と聞かれるとそれも違っていて、やっぱりドラクエ11はすごい作品なのだ。

 「機動戦士ガンダム」って実は打ち切り作品だ。ガンダムってそれまでのロボットアニメのお約束を壊すような作品だったから、当時のアニメ視聴者は楽しみ方を理解できずついていけなかった。一言で言えばガンダムの方向性ってとても「ハイコンテクスト」なものだった。「兵器が人型の必要ないだろ」という発想から始まるからこそ「ジオングに足はないし」「ガンダムは頭を失って最後の一撃」を放つ、「生きた人間を描きたい」からこそ「悩みを持っていたり」「本音をぶちまける」。それは「それまでのロボットアニメのお約束」という前提を知っていないと楽しめない部分だったりする。
 
 前提を知らない若い人や海外のアニメファンは「ガンダムのデザイン」とか「シャアの変態仮面感」みたいな「ローコンテクスト」な部分で楽しみ方を見つけようとしたり、「エヴァの元ネタ」みたいな見方しかしない。「分かっている人」からするとその見方はやっぱり浅いんだよなぁ、と思ってしまうわけで。

 確かにエヴァの方が悩みの描き方とかは上手いけれども、ガンダムみたいな制約だらけの中で「その当時誰もやっていなかった事をあえてやる」作品と、「ガンダム的な価値観が当たり前になった時代にやれる事をすべてやったもの」を同じラインで語られても、それはやっぱりフェアじゃないよなぁと思ってしまう。

 こういう評価の作品って多くて「ウルトラセブン」も「初代ゴジラ」も放映当初は評判がよくなくて、それらを素直に見ていた子供達が大人になってようやく自分の言葉で「すごさを語るようになってから」名作と呼ばれるようになったんだよね。そういう「ハイコンテクスト」を理解して語る人たちが昔のオタクだった。ドラクエ11はそういう意味ではオタク的作品なのかもしれない。

 で、色々考えた結果、ドラクエ11については語っておいた方がいいのかもなぁ、と思った次第である。ドラクエ11はわかりづらい作品かもしれないけど、わかってしまえばものすごい作品なんだよという事を伝えたいのである。それは「ゴジラ」や「ガンダム」や「ウルトラセブン」をアツく語る人達と同じような気分なのである。

 感想と言いつつ、余計な駄文を書き散らかしてきたわけだが、それはどのように語ればよいか悩んでいたからであって、こう語ればいいのかもという方向性を見つけたかもしれないので、次回からはプレイ日記風にストーリー進行に合わせてゲーム内容について語っていこうと思う。