シン・ゴジラ感想

前提:私がシン・ゴジラを見なかったワケ - 鈴木君の海、その中
前提:ゴジラの再放送 - 鈴木君の海、その中

 地上波でシン・ゴジラを見た。「賞味期限切れの生八つ橋」と例えれば分かってもらえるだろうか。本人がそれを食って美味いというのは別に構わない。だが、これを他人に素面で渡してくるようなやつの人間性は疑う。もちろん、賞味期限が切れていなくても生八つ橋が好きか嫌いかという問題もある。――私としてはこれでもオブラートに包んだ方であり、本当はもっとボロクソに言う事もできるのだが、これを好きな人がいるのも知っているし、職人の努力もわかるので、なるたけ言葉を選ぼうと思うとこの表現が適当だと思うのである。

1.全体に漂う賞味期限切れの臭い
 やっぱり原発事故が一番の脅威だった頃の産物なんだろう。今、日本にとっての一番の脅威が北朝鮮の核ミサイルである事を思えば、この程度の脅威でビビってんなよという思いが強い。動く原発として描かれるゴジラは遅いが、ミサイルは早い。今作でもナメクジが這った後のように放射能どうのこうのが問題になるわけだが、全力疾走している人間が追いつかれるかどうかみたいな映像が出るくらいには早くないわけだし、姿を見かけたら逃げたり情報共有すればいいのである。あれだけデカイ生物なのだから目視できるし、避難も不可能ではない。ところがミサイルだったら目視で確認出来る頃にはすでに手遅れである。それに対抗できる装備もアメリカなしには存在しないという情けなさだ。本ストーリーの後半で問題になっている多国籍軍による核兵器どーのこーのも、2017年現在ゴジラ登場時点で北朝鮮が「東京の事など知ったこっちゃない」と撃ってきて、「ウリたちが世界を救った救世主ニダ」とか言ってきたって不思議じゃない。もちろん、北朝鮮のミサイルでもゴジラは死ななかったとすればストーリーは続けられるが、この作品で描きたいテーマからすれば大きくズレてしまうだろう。アメリカが世界の警察をまだ止めていない、中国も北朝鮮も大した事ないみたいな古くなってしまった時代の価値観を前提としているせいで、公開から1年程度しか経っていないはずなのにすでに風化が始まってしまっている。この事はおそらく製作側も想定していなかったのだろう。庵野も樋口も今を記す力はあったのかもしれないが、未来を描くヴィジョンが弱かったという事である。

2.前半面白く、後半が雑
 映画そのものについては前半部分と後半部分で評価が全く変わる。前半部分はとても丁寧に作られていて、全編このノリで作ってくれていれば間違いなく名作だったのである。自分が注目するのはいくつものレイヤーを重ねて物事を立体的に見せている点だ。

・主人公や泉くん、赤坂さん(だったっけ?)みたいな大人の男達によるクサいセリフの応酬によるトレンディ風90年代ドラマ
・ニコニコやtwitterのデジタルメディア
・政府のやり取り
・緊急ニュースパロディ
・軍隊描写
・海外の圧力

序盤から専門用語が多用されるので、普通はついていけないのである。ところがなんだか話の流れがわかるような気がしないだろうか?それは上記のレイヤーのうちどれか一つが分かれば他の内容も芋づる式に分かっていくという新しい見せ方によるものである。これまでは難しい内容はわかりすく翻訳するというのが表現の手法であったが、今作では翻訳はしない――その代わり全ての言語を記すみたいな手法を採用しているのである。これによって全てを理解できなくても自分が知っている事やわかる範囲から全体の状況が分かっていくという事ができるようになっている。これが庵野流万人向けかと思うとなかなか面白い方法だと思った。他にも大杉漣の演じる総理がめちゃくちゃリアルでいい味を出しているわけなのだが、後半になるとゴジラが東京をめちゃくちゃに破壊。上記のレイヤーのほとんどをぶちこわし、大杉漣もいなくなるなどこの作品の魅力をほとんど奪った上で、90年代ドラマ風のいらない部分だけが残り、そこからプチエヴァンゲリオンが始まるという個人的に「なんじゃこりゃ」が始まるのである。

3.終わらない中二病
 とりわけ「ヤシオリ作戦」が始まる辺りからついていけなくなる。主人公が突然「ゴジラ凍結作戦では子供っぽいので、ヤシオリ作戦と名付けました」みたいな事を言うのだが、意味がわからない。どこがどう子供っぽいのだろうか?ゴジラフリージングオペレーション(GFO)みたいなのアメリカ人とか好きそうじゃん。この、「ファイヤーボールでは子供っぽいので、カグツチと名付けます」みたいな中二病感はエヴァみたいな大人でも子供でもない14歳の少年少女が言うのならば、「ああ、わかる、そういう時期あるよね」と思うが20代後半から40代前半の大人がメインで子供の姿が見えない今作でやるとただの「痛い人」でしかない。別にそういう痛い人がいるのは構わないが、誰もそれに対してツッコミを言わないのは不自然で、後半はギャグとしてしか見れない。
 
4.ご都合主義の暴走
 シン・ゴジラはリアリティがあるみたいな世間一般に対して、今では失笑せざるを得ない状況である。例えば、なんかお坊ちゃん風の男がスパコンで20日はかかるみたいな話をして、「それじゃ遅い」という事で海外のスパコンを借りるという話になるのだが「機密情報の漏洩の可能性がある」という正論が出て話が終わるかと思ったら、女性が出てきて「人間を信じてみるのも悪くない」みたいな事を言ってジェバンニもビックリの1日でデータ解析に成功する。この女性は一人でスパコンの使用権を決定できるほどの力を持っているのか?とか、スパコンをかけてようやく答えが出るようなデータを会議室に持って行ってそれでみんなが「これで大丈夫だ」ってスパコンかけないとわからないようなデータに対して見ただけで判断できるっておかしくないか?という所が気になるし。折り紙が答えというシーンがあるのだが、折り紙の折り方なんて数万パターンくらいあるだろうに、ピンポイントで折り方を当てて、そうかこういう構造だったのかと納得するシーンも一人よがりで、どうやって見つけたんだ?みたいな疑問が浮かんで全然納得できない。そもそも有識者を集めて即席の会議を行っている事になっているが、専門用語というのは非常に難解で知らない人にとっては宇宙語のようなものである。映画のようにみんなが当たり前のように知っている、早口でも聞き取れるみたいな状況というのはありえないのではないか。例えるならば宇宙大魔王を倒すためにフランス人、朝鮮人、アフリカ人、テキサス訛りのアメリカ人を集めて会議させるようなもので、それが出来たら理想ではあるし、かっこいいだろうが、なかなか難しいとは思わないだろうか?それこそ前半でコケにされている内閣とか自衛隊みたいにいろんなものがノロノロになるのが自然で、学者はスピーディーで頭がいいみたいな描写はフェアではないというか、いろんな教授や専門家を見てきた立場からすると「ありえねー」と思ってしまい、作品としては見所なのだろうが、個人的には白けてしまう描写である。

5.やっぱり秦ゴジラ
 優遇されているのは学者だけでなく、若者もそうである。スクラップアンドビルドという言葉が引用され「この国は何度も壊された。だがそのたびに何度も復興してきた。今回も同じだ」みたいな事を言って励ますシーンがあり、たしかにそれは事実ではあるのだが、シン・ゴジラのように都合よく古い年配の老人が死んで若く燃え上がるような闘志に満ちた男達が生き残るみたいな状況は、例えば戦後日本とは全然違う。戦時中はまさに燃え上がるような闘志に満ちた男達が死んでいった時代であり、戦力にならないような人間達――じーさん、女性、ガキンチョ、その他自称弱者が作ったのが戦後日本なわけでぜんぜん状況が違うだろと思ってしまう。若い世代が古い物を否定したのではなく、古い物と新しいものが同居して文化を創っていったのである。ただ単に古い体制に反対というのであれば、世界のどこでもそうであり、革命家はどこにでもいて、日本特有のものではない。他にも「それは覇道。我々は王道でなくてはいけない」みたいなセリフがあって、これも天皇を中心としている事から分かる通りその通りなのだが、元々の考えが中国から来ているのであって、日本特有ではないんだよなーと思ってしまう。宮崎駿とも仲がいいし、なんか彼の国(アメリカ)の悪口は言いまくるし、そっち系の思想に染まっている疑惑が濃厚。別にクリエイターがどんな思想を持っていようと構わないのだが、これを愛国とかニッポン万歳映画として見るのはちょっと首を傾げるレベル。

6.決着の幼稚さ
 で、ヤシオリ作戦は決行されるのだが、これがポカーンもの。伊福部マーチが流れるのだが、古い音源なので音が軽く、違和感と嘘くささMAX。そもそも円谷映画が無い世界なのにこのBGMを引っ張ってくるというのが意味不明。映像についても、電車がゴーン。へびみたいに飛び上がりまーす。脱線とかしてますけど特に変形とかしませーん。なんかわからんけどビルくずれてガラスどっぴんしゃん。たったまま寝るくらい安定していて器用なぼくだけどこの作戦にはさすがにすってんころりん。歯医者のごとく血液とーけつざい注入!ふたたび光線はいて暴れておきあがりかっこよくポージングしたらそのままこおりました。これで人類の脅威は去りました。バンザーイ。……うろおぼえだが、このように幼稚園児が考えたバトルをパパが頑張って映像化したレベルであって、小学生レベルの艦これよりもさらに幼稚なのである。正直、このラストで納得できるというか、感動できる人はどういう事なのかちゃんと説明してほしいと思う。個人的にはこれだったら初代そのまんまのオキシジェンデストロイヤーの方がマシというレベルだと思うのだが。

7.進化(笑)
 最後に、ゴジラのデザインについて語るが、思っていた以上にひどかった。何がひどいってボロクソに言っていたジャミラゴジラが一番まともだったという事である。まず死んだ魚のような丸い目のゴジラがいて、個人的にガヴァドンゴジラ命名したのだが、このガヴァドンゴジラがどうみてもチ○コである。見た目がまずそうだし、動きもそうだし、そういうキモい生物が津波の擬人化として這いずってやってくるのである。このガヴァドンが動くだけでゴジラに対するレイプ感がめちゃくちゃあり、ストーリーとは関係ないところでゾワゾワして精神的にクるレベル。これをかわいいとか言っている人はオネエとかAV女優の素養があるんじゃないだろうか。また第四だが第五だか分からないがゴジラがレーザー砲を放つようになるのだが、このときの形態があごがパカっと割れるという寄生獣ゴジラであり、背びれからは不規則なレーザー出しまくったり、自動排除装置(?)なるもので近づくものを全て破壊するなど、もはや生物感ゼロである。こういう生き物に対して生物だから血液凍結剤が効くとか言うのはもはや「ねーよ」という話だと思うのだが。こんなデザインなのに岡田斗司夫は平成ゴジラは筋肉質で違う、シンゴジラのデザインは素晴らしいという事を言っていたが、どうみても平成ゴジラの方が初代リスペクトです。本当にありがとうございました。氏ね。

 で、形態変化するのは別にいいのだが、モスラが幼虫から成虫になっても進化とは言わないのに、今作では自然に「進化」したみたいな事を言うのである。ゴジラが一度も上陸せず、円谷が存在せず、ということはウルトラマンも、その影響からできたポケモンもない世界でなぜ唐突に進化なる言葉がでてきたのか?誰にも説明できない。生物学的には出てきてもおかしくない言葉だが、使い方としては間違っているように見えるのだが

 また演出面でも問題があり、ガヴァドンゴジラの見た目の不気味さや車を押し倒すという映像からもやもやした不快な映像感を残すのだが、寄生獣ゴジラになると戦闘機との対峙が多くなり、高層ビルをかっこよく破壊。ジャミラゴジラにしても下から覗く感じで、ガヴァドンゴジラのこっちくんな感とは真逆のかっこいい映像感がめちゃくちゃ出ているのである。シナリオでは後半へ行くほど驚異なはずなのに、映像ではむしろ後半へ行くほど親しみが沸くというひどい演出である。このへんはラヴェルボレロが流れる方のデジモンアドベンチャーの方が同じく「進化」を扱った作品としては上手く描いており、正直、比べるのも失礼なレベルだが、15年前の作品にすらセンスでも構成でも負けているとしか言いようがない。


 ……結局ボロクソに言ってしまうわけだが、私の中でシン・ゴジラの評価は1回見ただけでは内容理解できなかったので、何度も見に行った結果興行収入たくさんもらえました。みたいな映画であって、映画界のAKBみたいなものだということがわかった。AKBにある程度の魅力があるのを理解しつつ、それでも応援はできない、関わりたくないと思うのと同じように、シン・ゴジラについても今回で関わるの止めようと思った。正直、こういうのはこういうのが好きな人同士で楽しんでくださいという話。