シン・ゴジラ批評2

前提:シン・ゴジラ批評 - 鈴木君の海、その中

 批評というタイトルをつけておきながら、好き嫌いで話が終わってしまったので、なぜ50点評価をしたのかについて、この作品のいい点と悪い点について今回は語る。

良1:機能性重視のアニメ風キャラクター
 ネット上の評価を見ていて驚いたのが、カヨコ・パタースンに批判が多いという事だ。確かに彼女が日系アメリカ人というのはキャスティング的に無理があるし、次期大統領候補など設定にも無理がある。けれども、別にそれでいいと思っている。例えば「ゴジラVSキングギドラ」に出てくるアンドロイドはしゃべりがカタコトな上に、「劣化ターミネーター」とでもいうような酷いなアクション、素っ頓狂な声、二枚目とも三枚目とも言えないような微妙なビジュアルなど作品のクオリティを下げる存在になってしまっているが、どこか憎めないし映像として面白いものを提供しているのも事実なのだ。私にとってカヨコ・パタースンはギドラのアンドロイドと同じ枠のキャラなので、特に気にならない。というより、ゴジラ映画はゴジラが主役なのであって、人間側の演技など割とどうでもいい。

 そんな事より、今作のキャラクターデザインは結構面白いというか、ちゃんと機能しているところがすごいのだ。私自身今作のキャラクターの名前はほとんど覚えていない。それでもそれぞれの登場人物がどんなやつで何をやったかと言う事はちゃんと印象に残っている。ゲームなんかでは100人以上のキャラクターが出るというのは普通にあるが、2時間くらいの映像作品にそんなにたくさんの登場人物が出るのは稀で、普通覚えられないのである。でも、この作品に関してはあれだけたくさん人物を出しておきながら誰が何をやったかわかるようになっている。この部分はハリウッドではなく日本的な表現を極めた結果生まれたものだと思う。

 一言で言うならば非常にマンガ・アニメ的表現のキャラクターなのである。例えばカヨコのキャラは有名どころでいうとアスカ、ハルヒポジションなので、アニメ畑の人間にはあのキャラがいることによって作品が見やすくなる。彼女があれだけ浮いているのは彼女の立場が当事者よりも第三者に近いアメリカ人という立場だからであり、異世界人感を出すための記号としてやっている。そもそもアニメにおいて外国人キャラというのはステレオタイプな性格や容姿で描き、しかも声優は日本人で演じるというのがほとんどなのである。で、ああいう高飛車なキャラは後半でデレるのがお約束なので、アニメ的な作品を見ている人間からするとかなりわかりやすいキャラクターがカヨコ・パタースンなのである。

 リアルな中にアニメキャラ入れるっておかしくね?と一般人は思ってしまうのだろうが、そこがまず違う。この作品にいるのはほぼアニメキャラなのである。リアルだと思われている軍人キャラがクソッ!とか言っているシーンはエヴァ1話で鉛筆追ってる軍人と完全に一致している。マンガ・アニメにおいては脇役や敵役におっさん系、ケバ系の濃いキャラ。主役にディフォルメ判子画を使うというのが主流。最近のマンガ・アニメには詳しくないので申し訳ないが、ゲームでいうとファイナルファンタジーとかファイアーエムブレムがそういう表現をしていて、非常に日本的なのである。

良2:映像キメラ
 庵野の作家性として映像に対してあらゆる表現のボーダーがないという点を挙げたい。エヴァンゲリオンにおいて16話で線にしゃべらせる、文字テロップで場面転換、最終話のセピア色の自転車、脚本をそのまま写す、劇場版でコスプレした声優(実写)を映す――これらは全て伝達方法の一つで、庵野は情報さえ伝えられれば表現にはこだわらないという特徴がある。今作でもCG、ミニチュア、カメラのファインダーごし、アニメ、テレビニュース、デジタルメディア、まちのふうけい、軍隊――とあらゆる表現を組み合わせる。

 これらを時間(特に間)を計算して配置しているので、偏食的に自分が理解できるものだけ見れば内容が理解できる。twitterを使った事がない人は当然twitterの画面が出てもどう読むのかわからないし、軍事に興味の無い人はどんな兵器が日本にあって、どういう状況で出動し、どういう動きをするのかわからない。けれど、それは理解したり知らなくても、「飛ばして見ていい」という割り切りによって、深いところまで掘れるけど、掘らなくても見る事のできる作品になっている。ここについては正直すごいの一言なのである。

悪1:二兎追うものは一兎も得ず
 全体的に何も言っていない。演出多様でいいとして、脚本は一本に絞るべきだった。あれも入れたいこれも入れたいで、ダメになった。例えばこの作品は一見すると政府のダメさ加減を描いているように見せかけて、一方でかっこよさみたいなものも描いている。人間の愚かさを描いている反面、かっこよさも書こうとしている。物事の両面を見せるのは確かに作品の豊かさにつながるが、今作においては何がしたいのかわからないという本末転倒な事態になった。

 タイトルである「シン」が微妙。エヴァは自作タイトルなので別にシンをつけても格好がつく。しかし、ゴジラファンから見た「真」は初代ゴジラに決まっていて、ただ単に新しければいいのであればハリウッド版でいい。そもそも新しさはあまり感じない。ウルトラマンの足踏みみたいなドタンバタン。鳴き声は過去昨と同じ。ガヴァドンジャミラネオエクスデス、エイリアン、寄生獣みたいなそれ見たことありますと言いたくなるようなデザイン。「進化」についても今までの監督が「できないのではなく、やらなかっただけ」の話であって、正直微妙。

 ゴジラがすごいのかすごくないのか分からないのも良くない。「人間強い」をやりたいのならゴジラを強く描きすぎで、特に寝ている間の自動排除装置はいらない。あれがなかったら寝ている間に細胞を採取しようみたいな、新しい作戦が出来る。しかも生物なのだからいつ起きるかわからないというハラハラ感のある映像も撮れるだろう。「ゴジラ強い」をやりたいならラストのマキ博士の存在感と人型のエイリアンみたいな描写は微妙。結局人に利用されただけの存在に見える。そもそも自動排除装置とかレーザー描写が強すぎるせいでラストのヤシオリ作戦がものすごくうそっぽくなってしまう。

 自動排除装置という設定はなくても別に問題ない。エネルギーを使い果たした間は動かない。この隙に近づける。だから隙を作るためにもう一度街を破壊させる。この時に怒りの表情、悲しみの表情、驚きの表情など民間人を含めた日本人のいろんな表情を見せる(反日による喜びだけは見せなくていいが)。で、翌日眠っているところを二人の男がワンダと巨像みたくのぼって、口に血液凍結剤を入れる。エンディングは「奇跡的に生還」でも「一人しか生き残らなかった」でも「被爆して、ゴジラは倒したが核との戦いは終わらない」みたいにしてもいい。今よりも大人のドラマにはなるし、こういう静かに、けれでも緻密性を強いられる仕事こそ日本を感じさせる。当然BGMも伊福部マーチではなく、平和への祈りに使われたBGMでいい。

悪2:ハイコンテクストすぎる
 序盤はいいのである。というのは序盤はハイコンテクストと言っても、フランス語、日本語、中国語みたいなのを並列に流す。で、その中から聞き取れる言語で内容を理解してくださいという方式なので、実は通じるからだ。しかし、後半は日本語オンリーのような展開になってしまい、並列性が失われるので、本当にわからない人はわからない内容になってしまう。

 無人在来線爆弾は唐突すぎて、一般人には理解に苦しむ場面だ。そもそも電車は防護ガラス装備しているし、緊急時はシェルターとしてくらせる可能性がある。復興の際には重要な生活基盤(インフラ)にもなるだろう。それを壊す作戦をテロリストではなく政治家が考えているというのが異常なのである。で、ネット上を調べてわかったのだが、主人公は鉄オタらしい。鉄オタ=線路のルートを理解、どの場所で何をすればいいのか分かる。みたいな事なのだろうが、まず、鉄オタであることをわからせる場面が存在しない。あえて言うならば「戦後は続くよどこまでも」というオヤジギャグを言うシーンがあるが、この程度のオヤジギャグは鉄オタじゃなくたって言えるのであって、全く描写していないに等しい。

悪3:円谷や怪獣を隠す必要なし
 本作は円谷英二が生まれず怪獣映画というものが存在しない世界を描くのだが、この設定が効果的に使われていない。それもこれも軍隊や政府を主役にしたせい。巨大生物があらわれて、政府や軍がもたもたするなんて、今までのモンスターフィルムでもくどいほど見た演出なわけで、そこをリアルにしても大した魅力なんかない。本来は民間人を描くべきだった。例えば、ゴジラの足下に回り込むバカなYOUTUBERだしたっていい、民間人の攻撃で怒りを買うとか、そういうものを入れた方が今っぽいだろう。

 そもそも怪獣自体は出てこなくても、円谷映画が存在するって設定でも問題ない。みんながあこがれていたスクリーン上のゴジラ(=原発)は実は怖い存在。メタフィクション的にしておけばタイトルにも意味はあったし、現実VS虚構というテーマにもピタリとハマると思うのだが。で、ラストはあれは本当にゴジラだったのだろうか?しっぽのアップ――エヴァに続く。みたいに出来るだろうに。

悪4:後半はただの妄想
 前半はちゃんと取材したことを活かしている。後半はそのことを忘れている。

悪5:普通にゴジラVS新怪獣でいい
 ヤシオリ作戦のヤシオリはやまたのおろちを酔わせた酒の名前らしい。と言うことはやっぱり今回のゴジラキングギドラに近いのである。(詳しくは私の過去の記事を参照)シン・ギドラならよかったのである。まぁ、東宝ゴジラをごり押ししたんだろうけど。もちろんそれでも、すなおに新怪獣VSゴジラにすればよかったのである。悪1に通じる事だが、異なるイメージを強引にスムージーにしてしまったがために、非常に気持ち悪い味が出来てしまったのである。


 で、やっぱりファンが気持ち悪い作品で間違いない。私がなぜこんなに厳しめに文章を書いているかというとファンの持ち上げが異常だからである。これまでにも色々なステマがあったが、今作のステマは相当だと言ってもいい。私にとって今作は50点であって、0点ではないので、世間が貶していたら、いや、ゴジラシリーズなんてこんなもんですよ。という文章になったはずだ。そうなっていないのは、反対意見を抹殺し人格否定しようとする熱狂的ファンにどうしても納得できなからである。まぁ、そういう人達に関わりたくないと思っているので、これ以上続けても不毛なのだけれども。