ドラクエ11感想その4【デルカダール王との出会いまで】

ドラクエ11の始まりは不思議な生き物の登場から始まる。まがまがしいオーラ。人々は気づいていない。その一方でなにやら王様っぽい人達が子供の存在でざわついているシーンがあって、城が魔物に襲われて、女性達が逃げているシーンに続く。で、赤ん坊だけがおじいさんに拾われるというドラゴンボール的展開の後に、その時の赤ん坊がこんなに大きくなりましたというシーンを経てようやくゲームが始まる。

・伏線がたくさん張られているけど、いたってオーソドックスな始まりで、ここまでだったら桃太郎として機能する。山登りのイベントもイヌが先導したり、仲間がサポートしてくれたりで、初心者にも敷居は高くない。

・問題なのは出発の「動機」の部分だ。男の子がなにやら不思議な力で少女を救いました。母親に話したら王様に会うように言われました。幼なじみの少女は離ればなれになるのを悲しみました。男の子は馬をもらって旅立ちました。というのはいくらなんでも強引というかなんというか、母親に起こされて王様に会いに行くというドラクエ3的展開を用意して、それが裏切られるオチみたいなのを多分やりたかったんだろう。

・ここまでの話の流れで主人公が村を出る理由はない。もっと言えば自分の意思で旅立っているわけじゃないのである。桃太郎が旅立つのは人々を困らせる鬼という存在がいたから自然に出発が出来る。ドラクエ1でいうと竜王ドラクエ3でいうところのバラモスみたいな感じでこういう悪いやつがいて、そのために出発するんですよ!というのがスッと入ってくるのである。

・ところが、今作はこれまでの話の流れで、「誰が悪か?」というのがボカされて始まっているわけである。そのため王様のもとにいく必要がない。それどころか冒頭で、不穏な空気があったことをプレイヤーは見せつけられているので、王様のところへいくのはあきらかにやばいという事がわかっているのである。そんな見え見えのフリにダチョウ倶楽部でもないのに応えるというのがまず人を選ぶというか、中には「いや、自分の出自?そんなの興味ないッスよ。オレは村娘の子とこのまま仲良く暮らしたいっす」という選択をしたっていい。だって不思議な力の存在で人を困らせたわけじゃないのだから。

・状況から考えると、勇者は「自分探し」のために旅立ったと考えるのが自然。そしてこの「自分探し」というテーマ自体が人を選ぶ。すべての人間が自分探しをしたいわけじゃない。世の中には自分のことは知りたくない。知ってもよくない事が多いと思う人だっている。一方で日本人は自分探しが大好きな民族である。過去のドラクエ6が自分探しをテーマにしていたし、90年代にはエヴァンゲリオンやあいのりみたいな形で自分探しをテーマにした作品や番組が多かった。けれどももっとルーツをたどれば「日本人はどこから来たか?」みたいなものに興味を持ち、縄文人、弥生人みたいな骨を掘り起こしてまで、過去を知ろうとする。挙げ句の果てには昭和期に外国である韓国まで行って遺跡発掘までするのだから相当な筋金入りである。何も90年代に限った話じゃなく、戦前、戦中から日本人は自分探し大好き民族だったのである。

・このようなストーリー展開は個人的にはあまり評価していないというか、見て人を選ぶし、強引すぎるし、シン・ゴジラなんかと大差ないよなぁと思ってしまう。……けど、そこを見てほしくないのだ。このゲームの本当にいいところは「ストーリー」ではなく、「シナリオ」なのだから。つまり、表に見える部分だけ見るとかぐや姫の物語と同じく、荒唐無稽な話に見えるが、裏というか根っこの部分を見れば実は全てに意味がある事が分かるのである。だから、この感想では、裏を解説しながらいいところの方を掘り下げていこう。

・まず、この段階で注目するべきなのは、「女神像」の存在だ。ゼルダを遊んだ後だと、何それすごいの?状態になるかもしれないが、すごい事である。女神像というのは「キリスト教の世界」においてあってはならないものというか、非常に「よくない物」なのである。

・というのはヘブライ神話の神というのは「父なる神」だからである。聖書を眺めても性別の記述なんかないのに、なぜ「父」なのかというと、人間が生まれた順番から考えると、消去法的に神様は男になるからだ。

神→最初の男アダム→最初の女イヴ(エヴァ

という順番で人間は作られた。女は男に合わせて作られて、男は神に似せられた作られた。つまり神様の姿はアダムっぽいわけである。アダムみたいな容姿の神を父か母かと訊かれたら大抵の人は「父」だと思うだろう。さすがにチ○コついている存在に「母ちゃん」はないだろう。*1

・女神像はアダムとは全然似ていないわけで、神ではない別の者を崇める信仰である。しかも、偶像という考え方があって、神の姿を象るのはよくないことだ!という考えがあったためにヘブライの神の姿というのは誰もわからない。今後も偶像を作ってはいけないのである。つまり、女神で偶像という二重によくないことをやっているのが女神像なのである。こういうものが普通に人の生活の範囲内にある時点で、この世界はキリスト教が支配していない世界なのだという事がわかるようになっている。*2

・と、ここで話を終わらせると、ゼルダってトライフォースの三女神ってやってるじゃん。ゼルダは海外で受けているけど、あれは邪神信仰じゃないの?なんであんなに受け入れられているの?と疑問をもたれるだろうから、そこについても説明する。女神信仰というのは少なくともヨーロッパ人にとっては土着の信仰なのである。

ギリシャのガイア、ヘラ、アルテミス、アテナ、アフロディーテギリシャ神話をパクったローマ神話ミネルバ、ヴィーナス、ダイアナ、北欧のウルド、ベルダンディースクルド、ヨーロッパと関係の深かったオリエントでいうと、エジプトのイシス、シュメールのイシュタル、同じインド=ヨーロッパ語族でコーカソイド(白人種)のインドにはサラスヴァティー(弁天の元ネタ)、ラクシュミーなどがいる。

・女神を最高神にしている日本人からするとあまり気づかない事であるが、東アジアにはこれほどまでに女神は出てこない。探してみたが、台湾に媽祖(まそ)とかいう小林幸子がいるだけど、他には見かけなかった。むしろ多かったのは動物進行で、いわゆるモンゴロイドの文化圏ではほぼ動物の神が支配していると言っていい。ネイティブアメリカンのトーテムポール、ケツァルコアトルインドネシアのバロン、狼から生まれたモンゴル人、猿から生まれたチベット人、熊女から生まれた朝鮮人などだ。日本でも、沖縄のシーサー信仰や、稲荷とか、蛇の神様とか本当に土着っぽいものには動物の神がいたりする。ものすごくおおざっぱにいうと、キリスト教以前の信仰は東洋はドラゴン(けもの)、西洋は女神だったという事になる。

・こういう土着のものはあまり政治権力に左右されない事が多い。日本では仏教が強いけれど、もともとの信仰が変わったりしているわけではなく、ほどよい感じに融合しているわけである。我々日本人にとっての縄文文化みたいなもので、ヨーロッパ人にとって異教徒の神であるドラゴン信仰は敵に回せても、女神信仰は敵に回す事はできなかったのではないだろうか。

・こういう「女神像」の背景についてドラクエ11では全く語らない。ただオブジェクトとしてそこにあるだけである。これがゲームの見せ方であり、ゲームのシナリオのやり方である。つまり文章とか映像で説明するのではなく、移動空間にあるオブジェクトとして配置するというこういう方法をとっている。だからゲーマーである私は評価する一方、そうでない人はなかなか気づかない。ゲームを買わず動画サイトで編集された実況プレイだけ見ているプレイヤーは気づかないであろう物語作法なのである。

・とまぁ、こんな感じで冒頭からハイコンテクストである事がわかっていただけただろうか?この感想自体がハイコンテクストでわかりづらいが、ヒントになってくれれば幸いである。

*1:もともと男尊女卑だったというのもあるけど

*2:イタリア人とかは銅像作りまくりじゃんとかツッコミが入りそうだけど、それを説明すると長くなりそうなので、まぁ、各自でググってください。カトリックの歴史はいろいろあるのです。