呪われた主人公【ゴジラ1954】

 主人公の造形には大きく分けて二つの形がある。一つは観客が共感できる個人的な悩みを持つ「共感型」の主人公。もうひとつはその作品の世界が抱える問題をどうやって救ったらいいか悩む「英雄型」の主人公。初代ゴジラにはこの両方の主人公が登場する。通常、物語において主人公は成長し、最後は勝利するものだが、ゴジラにおいてはどちらも呪われるバッドエンドとなっている。

 

 本題に入る前に山根恭平について話さないといけない。彼は最後においしいところを持っていくが、主人公ではない。これは当初の脚本、つまり、キャラクターのセリフと行動だけを追っていくとはっきりする。山根博士はマッドサイエンティストで気が狂っていて、例えば放射能汚染の危険がある場所で平気でトリロバイトを探そうとしている。また。ゴジラ抹殺に反対している理由は「貴重な研究資料」と述べており、ゴジラによって死んだ多くの日本人の事はあんまり考えていないというヤバいキャラなのである。しかし、普通に見ると彼に感情移入してしまう。それは原作改変されたというのもあるが、それ以上に山根博士を演じた志村喬(しむらたかし)の演技が上手すぎた事が原因である。

 

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「志村さんの出演作や人となりについて知るようになったのは、かつて(高倉)健さんに『ぜひ志村喬記念館に行って、役者として勉強をしてほしい』と人づてに声をかけてもらったことがきっかけでした。はじめて訪れたのは'13年で、それ以降ここに来ては、お二人に『これからも頑張ります』という約束をしたり、気持ちを引き締めたり……。役者という仕事の原点に立ち戻って、スイッチを入れ直す場所になっています」(岡田・以下同)

 志村喬と言っても若い人にはピンと来ないだろうからわかりやすく説明すると、「岡田准一が憧れる高倉健が尊敬する志村喬」と言えばいいだろうか。シンゴジラ世代の方々は邦画がクソな時代しか知らないと思うので、日本の俳優の演技はクソだと思っているだろうが、志村喬は本物の役者というにふさわしい存在である。顔芸やセリフの勢いでごまかしたりせず、「黙っている姿」とか「些細な間」だけで感情を読ませてしまう技術力は今見てもすごいの一言である。「世界の黒沢映画」の常連であった事からも世界に通用する役者だった事が分かる。

 

  問題は、尾形と恵美子を演じた主演の二人が大根すぎて、ピカレスクだが一応「日本人の命と平和を守ろうとした」という事実がかすんでしまい、山根を演じた志村の演技力があったために、我々は狂気の科学者に感情移入する事になってしまった。このためゴジラの物語は誤読されやすくなってしまった。

 

 これを踏まえてこの物語の「共感型」主人公は山根博士の娘「恵美子(と尾形)」である。そして、英雄型の主人公は「芹沢博士」である。*1

 

 共感型主人公のテーマ(葛藤)として戦前と戦後というものが設定されている。戦前とは「ゴジラ」と「ゴジラに感情移入する山根」、「戦争で身心共にキズを負った芹沢」の事であり、戦後とはとりかごの鳥に象徴される「若い好青年尾形」、「芹沢を捨て尾形を選ぶ恵美子」の事であり、この二つの価値観の対立が一つの軸となっている。

 

 ゴジラが観客として想定しているのは尾形や恵美子のような戦前を忘れて自分たちだけ幸せになりたいというような若者達なのである。彼らはゴジラと芹沢の死によって戦前と決別できるはずだった。しかし、最後に芹沢から恐ろしい遺言を残される。

 

 芹沢「尾形、大成功だ。幸福に暮らせよ!さよなら、さよならー!」

 

 これは祝福の形を借りた呪いである。スペック的に見て単なる好青年である尾形が芹沢には勝てない。芹沢はまだ誰も発明していない「オキシジェンデストロイヤー」を発見し、しかも為政者に渡すわけにはいかないという人格者であり、最後は命と引き換えに誰も倒せなかったゴジラを倒すという他の誰にもできない事をやってのけた。残された二人に残されるのはそんな素晴らしい人物を葬ってしまったという罪悪感だけである。「幸福に暮らせよ!」という念まで押されたが、ピカレスクである尾形には荷が重すぎる言葉である。こうして一つ目の主人公は呪われてしまった。

 

 が、この呪いをかけた芹沢自身が今度は呪われてしまう。

 

 山根「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへあらわれてくるかもしれない」

 

 あのゴジラが最後の一匹ではないのだとしたら芹沢の死は人類への貢献でも何でもない。今度出た時はゴジラの対処法が無いからだ。彼女を寝取られ、科学者としての責任に耐えられなくなった男による自殺にすぎない。山根の一言によって英雄は単なる悲しい男になってしまった。もう一つの主人公も呪われてしまったのである。

 

 ちなみに上記二つの呪いは現実の問題と地続きであり、我々観客にもかけられているわけである。ゴジラという映画が投げかけているテーマは、このような人間のエゴイスティックな醜さや恐ろしさであって、「ゴジラ怖い」がやりたいわけじゃない。むしろこの人間の恐ろしさに比べたらゴジラは単なる被害者でかわいいもんだという事である。造形などで必要以上に不気味さを強調する必要もないのである。

 

 初代ゴジラのストーリーはこの通りなので、入門としてはオススメできない。映画は娯楽であるべきで、メッセージ性が高ければいいわけじゃない。というより、そのメッセージ性すらねじまげられて、政治利用や宗教的になっているのだから、正直な話ファンからすると困った事になっている。なので、個人的な初代ゴジラの評価は低くなりつつある。

*1:ただし、尾形は原作改変の影響で主人公ではなく、狂言回しになっている。