hotでcoolな温故知新

 英文法は嫌いだが、英単語は好きである。例えば"hot"と"cool"という言葉があるが、これらはそれぞれ真逆の意味を持つ。hotな飲み物下さいとcoolな飲み物下さいでは違うものが出てくる。けれども面白いのはどちらも褒め言葉になるという点である。hotな情報、coolな情報、どっちも良い意味で使われる。言葉っていうのは最終的にこういうところに落ち着くべきよなと思う。

 

sudzuking.hatenadiary.com

 

  ヒット作は別に「新しくない」と評した事が一部の人の癇に障ったらしい。私は別にヒット作をdisるために新規性がないなどと言うつもりはない*1のだが、この言葉が人によっては悪口になってしまうのは謎としか言いようがないのである。例えば、最近のバラエティ番組で「昭和のバラエティノリ」みたいに昭和=古いという形式に使ってギャグにしているけど、それじゃ今現在の平成のコメディは昭和よりも面白く新しいのだろうか?体感的にはそんな感じはしない。

 

  平成もあと少しで終わる。そうなった時、「平成ノリ」みたいにバカにされる日も近くなっている。けど、大事なのは平成とか昭和とかそういう事ではないと思うのだ。「昭和だせーよな」と言って平成のものにハマっていた人間は平成が昔になった時に「平成のものにハマっていた自分」を恥じるか、「新しく出てきたもの」を否定するかの両極の道しか歩めなくなる。トランプ大統領のやっている事がキリスト教の歴史から見れば何の新しさもないのに「今まで誰もやらなかった」とか「自分たちが世の中を動かしている」のだと信じている人達と同じ痛さがある。

 

  新しく出来たものが必ずしも正しいとは限らない。何年、何十年と続いてきた伝統の中にこそ美意識が存在するケースだってある。「縄文時代に戻れ」というのは極端すぎると思うが、古さとか元ネタがあるという事が「悪口」になってしまうというのは理解できないし、非常に多くのものを失っている考え方だと思うのである。

 

 ホットとクールのように、古さと新しさがどちらもカッコイイと認識されるような世の中になってほしい。

*1:なおちゃんと文脈を読めばこれらの作品に新規性がゼロだと言いたいのではなく、新規性があっても多くの人々が褒めてくれるのはそこじゃないという話である。だからこそ宮本茂の話をわざわざ引用した。