歴史の父と語られないゲーム史
昨日の続き、国産PCゲームの歴史はなぜ語られない傾向にあるのか?例えば、アイヌ、モンゴル、アフリカなど、古い時代からそういう民族がいる事が分かっていても文字という物がなかったので歴史が書かれない事はある。ところがPCゲームはシューティングゲームや格闘ゲームなんかよりも文字を使うゲームで、それどころか我々日本人は小学生すら文字を持っているわけで書かれない理由がない。
ここで、専門家のお話を伺おう。
岡田英弘の歴史の定義
歴史が作られる条件
1.直進する時間の観念
2.時間の計測を考える文化
3.文字があること
4.事件と事件の間の因果関係
出来事の因果関係を明らかにしたいという動機で書かれる(物語)
「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の
両方の軸に沿って、それも一個人が
直接体験できる範囲を越えた尺度で、
把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」
国を超えても時代を超えても多数の人が納得するように史料を整理して書き残す→より良い歴史
イデオロギーで過去を整理する→悪い歴史
色々複雑なことが集まっているのがこの世界で、その中で過去をなるべく分かるように説明しようというのが本当の意味の歴史
「3.文字があること」は既にクリアしているので、他を見よう。 「1.直進する時間の観念」はシリーズものの存在があるので条件を満たす。「2.時間の計測を考える文化」だが、雑誌のような客観的なメディアがあるため当時の状況を把握する事は充分に可能である。「4.事件と事件の間の因果関係」についても、他社のソフトを参考にして作ったりすれば当然因果関係が認められるため満たす事は可能だ。ちなみに「一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度」とあるように個人で語る場合には単なる「思い出」になってしまうが、ネット上で見る限り相当数のパソコンゲーマーがいたようなので、思い出を越えた歴史を語る事は可能である。
これは不思議な事である。歴史を書くための条件は揃っているのに、存在しないというのは何らかの「別の原因」によって阻まれているという事になる。
電ファミニコゲーマーの「逆風の中で生まれた」という表現に対して、パソコンゲーマーは「違う」という事を言っている。電ファミニコゲーマーの記事は素人ではなく、ちゃんとしたゲームライターが書いたものであってなぜこのような事になってしまったのか疑問である。が、ここにこそ歴史が書かれないヒントがあるように感じる。
今、我々が歴史と呼んでいるものには二つの父親がいる。一つは地中海文明(ギリシャ)のヘーロドトスである。彼は小さな都市国家のギリシャがなぜ、巨大なペルシアを滅ぼしたのか不思議に思い「調査、研究した事」という意味で「ヒストリアイ」を作った。「ヒストリアイ」は神話みたいなもので正しいかどうか分からないが、後の時代に「調査して分かった事」をまとめたものである。もう一つはシナ文明(中国)の司馬遷である。彼は漢の武帝に仕えた者で、秦の始皇帝から土地などを奪った「正当性」が欲しかった。そのため秦は悪い事ばかりしてろくでもない事になったから「天が見放した」。次にふさわしい皇帝を「天が選んだんだ」という事を書き記した(易姓革命)。「最初の皇帝はまともだったかもしれないが、最後はダメになった」だから王朝が代わったんだと結果論で語る。これがよく言われる「歴史は勝者が作る」である。
「悪」?「悪」とは敗者のこと…「正義」とは勝者のこと… 生き残った者のことだ 過程は問題じゃあない 敗けたやつが『悪』なのだ
by花京院典明
明治時代になり、「ヒストリアイ」を語源に持つhistoryという言葉が「歴史」に翻訳されるまで、日本人は過去を司馬遷の「史記」に近い考え方で見ていた。戦国武将のエピソードも、佐幕か勤王かも、「正当性」に主眼が置かれる。そしてゲーム史というものも「正当性」という「史記」に近い価値観で語られてしまっているのではないだろうか?
その原因の一つは、「著作権」にある。
sudzuking.hatenadiary.com ここのところゲームは「新規性」に注目が集まってしまっている。なぜ、そんなに新規性を重視するのかというと「パクリ」と言われる事を回避するためである。著作権を侵害すればそのゲームで遊ぶ事が難しくなってしまう。そのため、自分が楽しんでいるゲームの「正当性」を示すために、このゲームはこれまでのゲームよりもここが新しいですよ!と言うしかない。手段によってはそれ以前のゲームを悪く言う必要も出てくる。
宮本「例えば、スーパーマリオがあの、売れましたよね?そうするとみんなが褒めてくれはるんですよ、スーパーマリオを。んでスーパーマリオ「いやーここがすごいですね」「あーここがすごいですね」ということの、言うてくれはることの半分くらいは別にスーパーマリオじゃなくてなくても他のビデオゲームでもやってることなんですよね。ということはスーパーマリオが出るまで――インベーダー以来スーパーマリオが出るまでゲームを知らなかった人の方が世の中多いんですよ。ところがゲームを作っていると全部知っている人と付き合っていると思うので、」
松本「あー、すっごいわかります。」
宮本「――間違うんですよね。多分。」
松本人志 大文化祭(2011年11月5日NHK BSプレミアム)より
また、制作者はそのゲームのどこがが新しくてどこを流用しているのか説明しなくても分かってくれるものだと思っているのでいちいち説明しない。ところがユーザーのほとんどはその事に気づいていない事が多い。なので、本当の評価ポイントとは違うところを褒めているケースというのは多い。その中でも「新しさ」という部分が一番間違えやすいところなのである。
第二の理由として「商業」原稿であるという事も大きい。ゲームライターも社会人なので、これから取引をする事になるであろう相手のネガティヴな言葉は書けなくなる。今も力を持っていて金もある企業と、今後も取引がなさそうな企業や既になくなってしまった会社では優先順序が違う。海外ではメディアは権力を批判する立場として発展してきたが、日本では権力にベッタリの形で成長してきてしまった。その影響なのかゲームメディアも特定のメーカーに対しては頭が上がらなくなってきている可能性がある。
第三の理由として「ゲハ板」の流れから抜け切れていないという事が考えられる。
sudzuking.hatenadiary.comスマホ、ブラウザゲームの時代に既に「ゲハ」という言葉自体が死語になりつつあるが、ここでゲームが「子供向け」「オーディオヴィジュアル」「洋ゲー」みたいな感じで分れてしまった事がゲーム史に大きな影響を与えた可能性が高い。つまり、他の人がどんなゲームをしているのか?という事に興味を持たず、自分が遊んでいるゲームこそ一番面白いんだ!という風潮ができてしまった。どこが正統か?という事を決める戦国時代である。
ユーザーやライターが間違えるのなら、メーカーに直接訊いた方がいいのだろうか?実はそれが一番危ない。メーカーは「自分が作っているゲームが一番面白い」と思っているわけで、訊いたら「自分が一番正統」と答えるに決まっているのである。自分で間違った売り方、作り方は基本的にしない。だからメーカーとかクリエイターの話をそのまんま引っ張ってきても客観性には欠けてしまうのである。
これからゲーム史が書かれるためには、まず、そのゲームの「正当性」を強調するという価値観から抜け出さないといけない。なぜそんなゲームが出てきたかという「因果関係」を調べて、後から振り返ってもみんなが納得できるストーリーにしないといけない。