ドラクエ11感想その8【魔王ウルノーガまで】
・メダル女学園とかいう公式が病気としか言いようがない代物が登場。あらゆるタイプの女生徒に囲まれたメダル校長なる存在とか完全に二次創作的な何かである。
・「女性の時代が始まった」と捉える事もできる。これは人魚のエピソード以降その傾向が強くなっていく。
・幸福を招く壁画が実は呪われた壁画だった!というここでも伝聞と真実は違うというエピソードが。これほどクドく描くのはやはりこれがこの作品のテーマだからだろう。
・アナ雪リスペクトな氷に閉ざされた王国では、魔獣が実は聖獣だった!などやはり繰り返される。そしてこの手の二面性にかなりの割合で勇者たちもひっかかってしまう。つまりこの「伝聞と真実は違う」と「人からの頼まれごとを聞いてしまう」はセットなのであろう。「情報はうのみにするな」みたいな意味合いが強いのかもしれない。
・グレイグと魔女のやりとりとか、さりげにカミュがいなくなっているなど伏線の張り方がやはり上手い。
・パロディには「どちらが本物か?」みたいなラーの鏡的ドラクエパロと「魔封波」的演出のドラゴンボール的パロの2パターンがある。
・意外と見落としがちだけど、ムフフ本が登場するのが重要。というのも、こういう本は「写真」技術がないとダメなものだからファンタジーに出しづらいものである。だが、この世界には写真を作るために必要なカメラがないのである。一体どうやってムフフ本は出来たんだ?という疑問が出てくる。が、いわゆる薄い本(同人誌)文化を持っている日本人ならば、「絵」だろと思うのである。江戸時代から春画のような浮世絵をやってきた民族ならば、絵でムフフする事を知っていて当然である。この感覚はハイコンテクストなので、世界の写真エロなローコンテクスト文化圏には理解されがたい部分じゃないだろうか。と細かなところで気になっていたりする。
・ベロニカ、セーニャの故郷へ。聖母子画がある。やっぱり女性推しなのか。ヘブライ神話は男尊女卑的だからその影響を受けたキリスト教も男尊女卑だった。欧米でフェミニズムが興ったからそんな色は感じさせないけど。弱者である女性を守り、強い父親を乗り越えるっていう価値観自体が「女はどうやっても男には敵わないよな」みたいな認識を持っていないと納得できない部分だと思う。また、弱いというのも状態にすぎず、現代みたいに女性が弱者だと認識されているうちは守ってくれるだろうが、そのうちY染色体が痛みだした!とか男の数が減ったとか!女性権力者に任せたら政治が腐敗したとかなったら、フェミニズムを恥じてまたもとの価値観にもどってしまうんじゃないかという考えがあるので、キリスト教を根っこにしている以上私はフェミニズムは信用していない。ドラクエでえがこうとしているのはフェミニズムなのか、それとも――。
・命の大樹へ向かう途中でイベント。何やら意味深な発言が飛び交うがまさかあんな事になるなんて自分は予想していなかった。
・ウルノーガ登場。名前もダサかったが、見た目もフリーザの手下レベルで超ダサい。勇者の力を魔王が奪い命の大樹を破壊。いわゆる世界崩壊イベント。ここら辺はテーマ的にもFF7が近い。