韓ドラの攻略法

 韓国ドラマが面白くない。と言ったら偏見になるだろうか。私は別に韓国人が嫌いだから韓国ドラマが楽しめないわけじゃない。例えばアメリカ人はあまり好きではないが、アメリカの映画には面白い作品があるよな〜と思ったり、宮崎駿は嫌いだが、宮崎監督作品は面白いなーと思ったりする。私は作っている人間と作られたもの(作品)の評価は別に考える人間である。

 私の目から見ると韓流というのは別に大した事がないのだが、なぜこんなに人気があるのか不思議でならない。エンターテイメントとしてはダメダメと言わざるを得ない。しかし、学術資料としてはそれなりに価値があるので、とりあえず自分の中で気づいた事をメモする事にする。

 1.密室ドラマ
 韓国は北国である。朝鮮の南で、九州の方面というイメージがあるので、暖かい国かと思ってしまいがちだが、日本海側に存在する寒い国だ。ちょっと外へ出れば白い息を吐くような環境に生息している彼らは、基本的に外へ出たくない。彼らにとって外は危険な場所で、家の中で過ごしたい超インドア派なのである。

 韓国ドラマは「人の顔しか映さない」。前述したような寒いお国柄なので、基本的に屋内での撮影がメーンになる。するとそこで出来る動きは限られており、基本は問答と表情による演技になる。日本の作品で言ったら「渡る世間は鬼ばかり」とか「古畑任三郎」みたいなあの「狭さ」で物語が進むのである。舞台劇の脚本術と言ったらわかるだろうか。

 この「狭さ」は映像として何も楽しくない。まず韓国人の顔が面白くない。中国人は言わずもがな多民族国家で北と南でだいぶ顔が違う。単一民族と言われる日本人でさえ東北はアイヌの影響、南方は琉球の影響、西日本は大陸の影響というように実はいろんなタイプの顔がある。ところが、韓国人は基本的にどれも似たりよったりなのである。中国のような広い範囲や日本のように縦長の地域と違って韓国の領土はものすごく「四角い」。朝鮮という大国とは呼べない国のさらに南北で分断された南の範囲だけで俳優を集めているのである。土地の違いも民族の違いもほぼなく、元々の形質が無個性に近い。その上に整形大国であるが故にさらに理想の顔というのが限定されて、顔のつくり自体に「狭さ」を感じる。シワもシミもヒゲもないのだ。ただ髪型とまゆと目だけでキャラを作り、たまに太っちょが出る。まるでアニメキャラのようだが、アニメは動きのためにシンプルさがある。だが、韓国ドラマではほぼ動きがないので、全く面白みがない。

 人がダメなら背景で楽しませるという方法がある。ところが韓国には「聖地」がない。平昌オリンピックのオープニングでもそうだったが、韓国には観光地にできそうな場所も、歴史や民族性を感じさせる場所もない。定住民族の日本人には各地に聖地がある、一番わかりやすいのは神社だ。移住民族だってアメリカなら月、イスラエル人ならエルサレムの地のように存在する。だが、韓国人には聖地がない。だから彼らは場所ではなく、朝鮮民族という民族に特別性を持たせて、場所にドラマやエピソードを与えない。だから韓国ドラマには人間ドラマはあっても冒険ドラマはない。聖地がないから家にこもるのである。

 2.時代性の欠如
 日本の時代劇がなぜ面白いのかと言ったら、時代ごとに衣装が変わるからだ。つまるところ流行があるという事だ。平安時代には十二単のような平安の衣装があり、江戸には町人や町娘、お奉行みたいな江戸の装いがあり、大正時代には大正の装いがある。ところが韓国ドラマはどの時代を描いても同じ衣装。女性であるなら、チマ&チョゴリをずっと貫く。

 「その時、歴史は動いた」というように、歴史というのは流動的なものであって、一定のものをえがくわけじゃない。ところが韓国ドラマでは始まりから終わりまで、何か世の中の価値観が大きく変わるような大どんでん返しはない。歴史ではなく、ただ個人が動いているだけなのである。むしろ基本的に悪いキャラは悪いみたいにステレオタイプを反復して繰り返されるので飽きる。

 3.向こう側のキャラクター
 時代と場所が限定されるのであれば、残されるのは人間だ。人間を面白くえがけていれば問題なく見られるのである。だが、その人間性自体が全く理解できない、共感できない。韓国ドラマでは口うるさい実母みたいな面倒くさいキャラが出てくる。日本のトレンディなドラマならば親の存在は邪魔なので出さない。だが、韓国ドラマでは若者の恋愛ストーリーに親族がいちいち出てくるのである。それで親に左右されてうまく恋愛できないみたいな展開になるが、そんなもん無視しろ!と言いたくなる。その気になったら駆け落ちするくらいが恋愛の面白さなのであって、嫁姑戦争に結婚前から苦しむ様子など見ていて楽しくもなんともない。

 庶民の話が出てこない。現代でも時代劇でもエリートの特権階級の話ばかりで、だからどうした感がすごい。おそらく韓国には偉人がいないのだろう。借金まみれの野口英世とか、おんな城主とか、時代を変革した下級武士とか、本流ではない人間が作るドラマみたいなものがない。王様が主役という、豪華で正統な方がメインであるため、どうしても絵空事のようなウソっぽさが消えない。誰か他人のために生きた人間とか、こいつがいるから今我々はこのような価値観、生活をしているんだというようなそういうのでなく、一族の興亡を見せられているだけ。では、その興亡は戦略的で、知能戦が行われているのか?というとそれも微妙で、お人好しと悪人みたいな単調なものである。

 日本のドラマでは主役である「子役」と「動物」もほとんど出てこない。たまに出てくる子役はといえば見ていてかわいそうになるような境遇ばかりであり、不快である。

4.キリスト教VS儒教
 そんな韓国ドラマだが、個人的にはこう見る事ができるのでは?というものがある。それがキリスト教儒教の対立である。これは北朝鮮アメリカに挟まれる韓国だからこそ生まれた対立であって、中国にも日本にもない韓国オリジナルである。この二つの思想はまず、大事にしているものが「親」と「子」であり、ここで対立が生まれる。儒教では何よりも親を大事にする。そして権威を大事にする。まさに私が韓国ドラマを見ていて違和感を感じる部分だ。その一方でキリスト教は子供を大事にする。そして改革の宗教だ。つまり、この二つはそもそも相性が悪い。そして韓国人のアイデンティティは揺らいでいる。「我々の親は朝鮮なのかアメリカなのか」と。*1


2020/4/5追記
 この記事を書いた当時は身内に狂ったようにハマっていた人がいたので、反発心があってこのような書き方になってしまった。海外のアニメファンが「ハーレムアニメばかりで飽きた」みたいに言うくらいパターンができてしまっていたので楽しめなかったのかもしれない。少なくとも1の「密室ドラマ」については屋外でのシーンを描くようになってきたので、これから先は変わっていく可能性は多いにある。「キリスト教VS儒教」については韓国文化を理解する上で重要だと思っているので、いつか時間があったら掘り下げていきたいと思っている。

*1:私から言わせるとお前らの親は日本人なんだがと思うのだが、これは嫌がっているように感じる。魏志倭人伝の「倭国にいない動物」を神聖視している事からもわかる。