ドラクエ11感想その9【つりあげられた勇者まで】

・おさかなさんからスタート。

・やっぱり、震災後のゲームなのだ。これは私が勝手に言っている事なのだが、FF15やブレスオブザワイルドと同じく、このゲームも震災を経験したからこそ、こういう表現、こういうゲームになっているのである。

・これは「震災前」のゲームであるドラクエ10との比較がわかりやすい。ドラクエ10はそんなに遊んでいないから「具体的にここが」というところは挙げられないけど、例えば、レベルの上がり方とか、ハード(プラットフォーム)の展開とか、時間チャージによるご褒美だとか、日本は24時間眠らない、電気は無限に使う、時間は気にしない――みたいな、明らかな「震災前」の価値観で作られたゲームなのである。

・なぜ2つのハードで同時に出たのか、なぜオートセーブが採用されたのか、なぜレベルアップの速度が早いのか?これは「あの震災」を経験した人間には説明不要なのである。うーん、実にハイコンテクストだ。

・悲劇的な展開の後に主人公に対して優しい人物で囲むというこの緩急のつけかたが上手い。その後、安全な場所を奪われてしまう、けれども面白いおっさんがつりあげる、とこのノリが続いていく

・やっぱりシナリオ(とキャラクター)はドラクエの方が断然いい。度々比較して悪いけど、ゼルダは高校生か大学生が学園祭のために作ったの?みたいなシナリオで、個人的には「ふーん」って感じであまり入り込めなかった。ブレスオブザワイルドの面白さは「フィールド」とか「ほこら」のような「ユーザーが作る面白さ」に頼っていて、クリエイターが提供しているもの自体は割と平凡というか、過去のゼルダと比べても「時オカ」や「トワプリ」の方が手が凝っていたよなぁと思うのだ。

・もちろん、これは好みの問題であって、スーパーマリオとRPGツクールどっちが面白いというような事に近い。スーパーマリオみたいなフォロワーをたくさん生むゲームと、RPGツクールのようなある意味で完成されているものでは、前者の方を応援したいのである。世間からはスーパーマリオの方が完成していて、RPGツクールの方が永遠の未完成でしょ?と思うかも知れないが、クリエイターの考える完成とユーザーの考える完成はちょっと違うという事である。

ゼルダの作り方ってずるいのである。この作り方は任天堂じゃないとできないよなって事が分かるのである。けれどドラクエ11の作り方って他のメーカーに学んでほしい事がいっぱいあるのである。ユーザーにはゼルダを薦めるけど、クリエイターやクリエイター目指しているやつにはドラクエ11を教えたいくらいである。

・話が逸れたが、シナリオとしてはここからが本番なのである。というのは「ふっかつのじゅもん」でふっかつできる最後の地点がここからである。ここから先は全て「ネタバレ」の域であるといっても過言ではない。

・「勇者とは最後まで決して諦めない者」というメッセージが発せられる。人によって受け取り方は違うだろうけど、個人的にはこのセリフでファミコン時代のあの空気感がもどってきた。