平均以上効果の終焉

 ゲームを趣味にしている人間は、自分の事を腕のあるゲーマーだと錯覚しがちである。だから、ついつい上から目線で語ってしまうし、こんな特殊プレイしているのは自分だけだろうと思ってしまう。これは当然と言えば当然で、ゲームが下手くそな人はそもそもゲームなんてせず、他の自分の特技が活かせる趣味を見つけるからだ。

 ただ、本当にゲームが上手いっていう人は一握りである。我々が「こんなプレイしているのは自分だけだろう」と思ってしまうのは基本的に錯覚である。普通の会社はデバッグに時間をかけているから、その際にプレイヤーがとるかもしれないありとあらゆるイレギュラーを想定する。いろんなテストパターンを用意するのだから、大抵のプレイヤーが選ぶ選択肢というのは既にテスト段階で誰かが通過した道に過ぎない。ホントに夢のない言い方をするとそうなる。

 実況動画でもハッキリしているが、だいたい同じ現象に出会った場合の人の行動の取り方とか、思うことっていうのがシンクロしがちである。それは、そういう感情、そういう行動をするように仕向けられている。要するに計算されているからだ。だからゲームが上手いというよりも、下手だと思わせないような状況になってて、なおかつ「あんたはスゴイ!」みたいに褒めらる事により、プレイを続けさせられていたわけである。

 ただ、そういう作り方っていうのも、もう限界が来たと思う。こういう作り方は、ゲームが一人用の「閉じた」ゲームだった時に有効だった手段だからだ。

 「スーパーマリオオデッセイ」というゲームがあって、このゲームには「なわとび」というミニゲームがあるんだけれども、自分はだいたい30回ぐらい跳べれば良い方だ。けれどもこのミニゲーム、すぐ近くにモニターがあって、ネットワークにつなぐと「世界ランキング」が表示される。それでランキングを見ると自分がいかに「下の下」かとか、上位の人間はいかに「お前ら人間じゃねぇ」かわかる。

 これはマリオオデッセイの問題じゃない。他人をプレイ動画を見ようが、地方大会を観戦しようが、同じ事である。他人のプレイを見る事、順位付けによってもはや実力というのは客観的に分かるようになってきてしまった。特別な才能を持っていない以上、もはやほとんどのゲーマーは自分がヤムチャである事を悟る他ないのである。田舎の秀才が都会の一流大に入ってしまうようなもんだ。

 「無知の知」ならぬ「下手の知」。今、その時が来ているのである。

 これは暗い話ではない。要するにウソをつくのを止めればいいだけである。「ヘタなやつを本当に上手いやつする」とか「ヤムチャにはヤムチャなりの役割」を与えればいいのである。具体的な方法はこんなところには書かないが、ゲーマーの性格も求められるゲームも段々と変わっていくことになるだろう。