批評

 最近のオタクは自分の趣味を否定されると、自己否定されたように感じるという被害妄想ぎみにある。そのため、作品のいい評価しか聞きたくない、悪口を言うな!みたいな風潮ができあがっているが、私はその意見には賛成していない。

 ホメ言葉ってだいたい同じだ。お世辞って誰にでも言える。それはヒットする作品(例えばスーパーマリオ)なんかは自分以外の数百万人が面白いと思っている。だからその数百万と同じ感性さえ持っていれば、だいたい語れる。そもそもクリエイターは自分が作っているゲームを面白いと思いながら作っている。いわば計画通り、企画通りの事を言えばいいのだから、面白いものが面白いのは当たり前なのである。

 面白いつもりで作ったのに、そうなっていないものを説明する方が難しい。例えば自分にとってはマリオオデッセイを語るのが難しい。このゲーム別に嫌いなゲームじゃない。私がスーパーマリオ64を高評価しているからかもしれないが、WiiUなんかで出ていた横スクロールのマリオなんかより好きだ。けれども、そんなに遊んでいないのである。なんというか、ゼルダで120個のほこらをズルしてクリアしても、あるいは中途半端でも達成感があるのに、マリオオデッセイはスターを集めて次のステージへ行ってもモヤモヤ感がある。ゼルダスプラトゥーンもマリオっぽいのに、マリオオデッセイはマリオっぽくない。それが何でなのか、説明しづらい。作品を褒めようとするポジティブな発想だけではこの視点は生まれない。

 そもそも世の中の悪口は悪口になっていない。人によって何を求めるかが違うからである。

 例えば、売り上げが少ない事を取り上げて叩く人間がいるけれども、製作コストが安ければ問題ない。利益だけでいえば、コストが高い作品は100万本売れないと元が取れないが、最初からローコストなら1万本でも成功と言える。売れた作品がいい作品だというのは実は何の根拠もない。ただ単にメディアの宣伝で売れたとか、流通が多かったとか、そういう作品の質とは別の要素で売れただけかもしれないので、売り上げだけで全てを語る事はできない。

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