オタク向け

 FF13は日本では葬式が行われるほど不発だったわけだが、海外でも「Moms are Tough」というネタが生まれるくらい不評な作品だった。日本では「PSやXBOXで出すようなグラフィック重視の海外向け作品」、海外では「THE・JRPG」――どっちやねん。文化差だとかマーケティングだとかで片付けられがちだけど、日本人だろうが外国人だろうが、面白いゲーム、つまらないゲームという感性に大差はないはずなのだ。そんな事を思ったのはDDLCなるゲームを知ったからだ。

Doki Doki Literature Club! - Wikipedia

『Doki Doki Literature Club!』(ドキ ドキ リテラチャー クラブ、日本語表記:ドキドキ文芸部!、通称:DDLC)は、チーム・サルバトによって開発されたビジュアルノベル

Microsoft WindowsMacOSLinux版は2017年9月22日に、その後Steamで10月6日にリリースされた。

 ゲーム画面を見てもネタバレ感想を聞いても「あー、ああいうゲームか」という印象しかないので、多分遊ばない。驚いたのはコレをアメリカ人が作ったという事である。昔アメリカ人が作ったギャルゲー(モドキ)を見たけどもキャラクターデザインの感性が日本人とは(良くも悪くも)違うよなーとカルチャーショックを受けるレベルだったのに、このゲームは完全に「萌え」という単語をつけていいレベルになっている。

 私が更新を停止している*1そーなのかー!」で取り上げているようなゲームをプレイしていないと、こういうゲームは作れないだろうけど、海外でこういうギャルゲーが売れているなんて話は聞いた事がないし、一体どうやってこのゲームができたんだ?という事がめちゃくちゃ気になる。海賊版が出回っているのか、それともライトノベルやアニメみたいな派生的コンテンツから生まれたのだろうか?

 似たような事は少し前にも感じた。Undertaleなるゲームがあるらしい(これもあー、そういうゲームなのねという印象で遊んでいない)が、作者がインタビューで女神転生だのMOTHERだの挙げていて、あれ?それって海外で展開していたっけ?という驚きみたいなものがあった。アズールレーンが艦これをパクって意識して作られたというのにも驚いたけど。

 「ゆめにっき」とか「いりす症候群」とか、それ日本人でも知っている人少ないんじゃね?というタイトルが海外では割と知られているというか、熱狂的なファンがいるという事に普通に驚く。ヘタするとパズドラとかモンストなんかよりも海外ではウケてるんじゃね?と思うのだが、実際のところどうなのだろう?

 オタク向けって未だにバカにされがちだけど、私はオタク向けな作品の方が強いと思っている。オタク向けの作品というのは国境や時代に縛られない。フィギュアスケートのメドちゃんがセーラームーンのコスプレをするように、日本人からすると古さを感じるものであってもオタク的コンテンツはまだ経験していないものであるならば現在のコンテンツと同列に扱う事ができるという気がする。音楽でいうと嵐やAKB48は一般に浸透しているかもしれないし、それなりに世界展開もしているかもしれないが、時代に縛られるし、世界的ヒットとまでは言えない。一方ボーカロイドなんかは一般には知名度はないけれど実はワールドワイドな底力というものを持っている気がする。

 東方のコスプレが海外では盛んに行われていた*2ことといい、日本のメディアや批評家がゲハ的な業界べったりな世界観に縛られているうちに大事なものを失ってしまっているんじゃないかという気がする。

 そもそも自分たちが思っている「一般向け」「大衆向け」なんてものは疑った方がいい。今のゲームクリエイターの主力って多分「ポケモン」とか「遊戯王」とかの世代が作っているんだろうけど、一言で言えばネトゲ世代である。で、ネットワークゲームこそハイコンテクストというか、それぞれの民族性みたいなものが強く出てしまうジャンル(=世界に持っていきづらい)じゃないだろうか?洋ゲーもアレ、ほとんどネトゲじゃね?たまたまかもしれないけど、海外の人が日本が元気だったのはいつか?を語る時っていうのは閉じた系のRPGとかにハマっていた時の事を語っていたりする気がする。

 日本が失って(忘れて)しまったのはオタクがアウトサイダーって事じゃないだろうか?つまり、社会に受け入れられていない人たち、外側から見る人たちだからこそ、その社会に縛られない発想だとか、社会で当たり前とされてしまっている価値観になじめない人達へのフォローが生まれる。その社会の一般に染まっていないからこそ、逆に世界的に見たら普遍性が生まれるとか。そう考えるとスクエニとかコーエーテクモみたく大企業になって会社を残すよりも、リスクが大きかろうがケンカ別れしてでも小さい企業で作っていくほうが健全なんじゃないだろうか?これについては別の機会に今の任天堂について言いたい事を言おうと思っている。

 思いつきで書いているので、結論とかは特にないけど、海外の文化を吸収して自分たち向けに作るという堀井雄二みたいなクリエイターが日本以外でも生まれてきているんじゃないだろうか?という事を思った。

*1:本当にすいませんです。文体を変える、ゲーム遊んでいない層に向けた、タダの文章、タイトルを歌詞の一部にするみたいな縛りを入れたため書くのがだるいのです。そもそも書き始めた動機がマスコミとか世間からの白い目と戦うためだったのですが、今はだれもゲームを敵視していないどころがいい歳こいた大人がゲームやるような時代になったので、そもそも誰に向けてしゃべっているんだ感がパネェです。中途半端なので、ひぐらしだけでも完結させたい。

*2:今もそうなのかは分からんけど