ドキドキリテラチャークラブ!個人的メモ

 前提:オタク向け - 鈴木君の海、その中

 DDLCについて正直ナメていたので、もうすこしまともな考察。日本に次いで恐怖遺伝子を持っているアメリカ人とか、本家コンピュータオタクに受けそうな要素とかいろいろアメリカ人だからこそ作れる要素というのも多いのだけれども、一番大きいのはキリスト教から見たギャルゲーってこんな感じなのかもというところだった。

1.クリエイターへの愛憎
 アメリカは宗教大国である。ビッグバン説と創造説を一緒に教えるような国である。彼らにとって神は全知全能で、全ては神のシナリオによって成り立っている。人々は世界を変える事など出来ず、全ては神のシナリオに従う。「OhMyGod!」は神様に対して、「我が神よ!なぜこのようなシナリオを!?」という喜びとか、驚きとか、嘆きとかいろいろなニュアンスを含んでいる。

 ザビエルが日本に来たとき、「洗礼を受けていない人間はみな地獄へ行く」と聞いて、日本人は「あんたの信じている神はずいぶん無慈悲じゃないか。全能の神というのであれば(キリスト教伝来以前の)私のご先祖様を救ってくれないのか?」と疑問を投げかける。キリスト教死者を救わないのである。キリスト教の神はこの世の全てを作ったのに、全てを救おうとしない。機械的で冷たい存在なのである。

 また全てが神のシナリオだとすると、悪魔を作り出したのも、人々が愚かな行為をするのもすべて神の自作自演なのである。我々は偉大なクリエイターが作ったものに対して、ただ「へぇ〜スゴイですね」と感心するだけのちっぽけな存在であるというのがキリスト教の神への態度なのである。全ての原因は神にあるのだから、信仰心が強い人間ほど神に対する愛憎というものが作品に組み込まれる。

 キリスト教の教え自体がユダヤ教の「神のシナリオを書き換えて」できあがったものである。キリスト教というのは改革の宗教であり、自分たちのじーさんばーさんの時代から信じていた宗教を、まわりにあったエジプトとかイランとかインドとかのヘレニズム的な俗っぽい価値観と融合する形で作り替えたキメラ宗教なのである。できた当初から自己矛盾を抱えていたのである。そのためカトリックVSプロテスタントみたく自分たちの中から反対派閥をどんどん生み出していっている。非キリストは異文化に多いが、反キリストが多いのはキリスト教文化圏なのである。

 この作品におけるヘレニズム的部分というのが日本のオタク文化であり、オタク文化というのはギリシャとかラテンとかに近いポジションに存在しているというのが、個人的な発見であり驚きだった。

2.女神という名の悪魔
 キリスト教は神と悪魔の対立の物語である。悪魔の親玉が「明けの明星(金星)」であり、ローマでは金星に美しい女神ビーナスが割り当てられていたように、一番輝いているもの(おそらく太陽)を脅かすほど輝いているものが悪魔なのである。

 ここで理解を深めるためにもっと言ってしまうと、日本の神々も基本的には悪魔なのである。神=GODというのが一般的な認識だが、天=GODというのが実像に近い。では神とは何か?というと天使とか悪魔の事である。日本神話でいうと国作りを命じた「高天原」というお偉方の集団が天=GODであってイザナギイザナミは命じられて地へ降りてきた天使にすぎない。途中で役割を放り投げたイザナミは堕天使(悪魔)であるが、善悪を分けない日本神話ではそこはぼやかされている。おそらく明治時代の翻訳家がギリシャ神話の神々がGODとか言われていたからそれに倣ったか、自らの王が「天使の子」扱いでは箔が付かないと思ったから格を上げるためにGODの子にしようと思ったのかは知らない。ベルゼブブとかミスラみたいな異教徒の神を天使や悪魔にしていったように、我々日本人の神も天使や悪魔の信仰に他ならない。

 小難しい事を抜きにすると、「キリスト教は女性に対してツンデレ」なのである。つい最近、ヨーロッパ人のもともとの信仰は女神信仰だと言ったが、東アジア人なんかよりもよっぽど女好きなのである、彼らは。まぁ、カトリック系はチャラチャラした感じなのでわかりやすいかもしれないけど、どちらかといえば厳格なプロテスタント系ではより抑圧が強くなるというか、日本ほどストレートに萌えみたいなのを表現しづらい社会になっている。

 力を持った女性=女神だとすると、我々日本人は屈折すること無く女神を崇められる。けれどもキリスト教徒からすると女神は悪魔であるので、そこに対する感情が複雑なものになってしまうという事が、なんというかこのゲームのヒロイン性を強く表しているよなぁと思う。

3.セカイ系というアンチキリスト
 キリスト教では人間同士のエロスな愛と対比して、神による愛「アガペー」というものがある。当然ながらアガペーの方が尊い概念になる。男女のラブストーリーって西洋発祥という印象が強いけれども、宗教的にはアンチキリストって事になる。ファム・ファタール(運命の女)とかそうだけど、だいたい神のシナリオにおいて女性というのは悪に近い存在として描かれる。女性というのがアガペーではなくエロースに導く存在だからだろう。

 それを前提にするとセカイ系はアンチキリストになる。「世界を敵に回してもキミだけを愛す」というのは恋愛モノの王道だが、神の作った世界を敵に回し、エロスを優先しようとしている挑戦なのである。

 この作品はギャルゲー史を一本でなぞろうとしており、セカイ系要素も含んでいるのだが、セカイ系への憧れと否定の両方が内包されている。

4.現在進行形で神話を作るアメリ
 日本は表現に関しては世界トップクラスである。それは日本に職人が多いというのもあるが、もう一つ規制がゆるいというのも大きいだろう。その中でもなんでもありなエロゲーなんて誰の追従も許さない。WIZ、ドラクエ、FFタイプすらあり、マンガで言ったら手塚治虫みたいなもんで、大抵のマンガのジャンルは手塚治虫が掘り起こしているので、後からどんなに画期的に見えるものを作っても実は後発だったという事になりかねない。

 アメリカにはオリジナルと呼べるものがほとんど無い。アメリカは先進国のイメージがあるがもともとは全て後発の文化だった。基本的には他所から拾ってきたものでできあがったのがアメリカ合衆国であり、しかも歴史を振り返ると悪い事やってきたみたいな「ご先祖こわい」文化なのである。だから「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」みたいなものも作ってしまう。ものすごくクトゥルフ神話っぽい。

 自らの出生とかルーツをちゃんと説明できない彼らは、自分たちが知らない、持っていなかったのは何かこわい事があったからだと、無意識のうちに思っている。だから彼らはクリエイターを崇めつつも、クリエイターに恐怖を感じている。ものすごく表情豊かで明るい民族に見えるが、実は相当な恐がりなのである。恐がりだったからこそエンターテイメントが発達したのではないだろうか?

5.反マンネリズム
 いわゆる美少女アニメ的なお色気系ハーレムアニメみたいなものが海外では飽きられている。東洋人の宗教は遡るとインドにたどり着くが、日本の創作物においてキャラクターというのは同じ行動を繰り返し、基本的に「成長しない」。有名どころだと、ドラえもんの「のび太」は毎回同じような失敗をくりかえし、ちっとも成長しない。水戸黄門は毎回同じような活躍をするし、ゴジラは毎回海から出て、海へと帰っていくのである。こういう風に繰り返す事自体が重要な意味を持つというか、非常に閉じた世界観で生きている。

 少なくともアメリカ人はこういうマンネリが大嫌いである。キリスト教的な世界観では神のシナリオは一方通行であり、くりかえさないというのも理由のひとつとしてあるが、聖書は失敗と成長の物語であり、ハリウッド脚本術では「成長」という要素が非常に重要な意味を持っている。

 人間ごときが神の子「イエス」を殺してしまったという「後悔」から始まり、そういう失敗体験から「今度はこういう事しない」と学んでいくのあって、ハリウッド映画では主人公はわかりやすい問題点を持ったクズ野郎で終わる頃には悟りを開いたような善人に生まれ変わってしまっていたりする。かつては捕鯨先進国だったのに、いまでは捕鯨反対の立場とかズルくね?みたいな国が多かったりするが、キリスト教は失敗して後悔する事によって先へ進んでいく事を「成長」だと捉えている。今やっている事が間違いであってもそれは必要な間違いだと捉える。これが問題行動につながっていたりするんだけど、彼らにとって必要なプロセスだったりする。

 このゲームの大きな特徴は過去へ遡れないというところだ。日本のゲームだったら繰り返しの世界観なので、同じ状況になった時に違う行動を取る事を成長だと捉えるが、このゲームでは神のシナリオ通りに(半ば強制的に)進んでしまうので、その中で自分の取った行動に後悔しながら進み、気づいた事が成長となる。ちゃんと調べたわけじゃないけど、海外のゲームにはあまり再挑戦度を感じられないのにもそこに理由があると思っている。

6.キリスト教から見たハーレムとは
 ヨーロッパ人は一夫一妻である。対してハーレムというのはアジア的な文化であり、キリスト教と神を同一とするイスラム教の開祖ムハンマドですら奥さんがたくさんいた(と記憶している)。だから一人の男に対して複数の女性がいるという状況自体がキリスト教からするとやっちゃいけない感みたいなものがあるように感じる。

 面白いのはこのゲームにおいて、一人を選ぶルートがエロス的な愛として否定的に描かれるのに対して、序盤のハーレム的な誰ともくっつきません状態がある種の楽園として描かれているところだろう。ラブストーリー文化とか一夫一妻の文化の持ち主がハーレムよくね?みたいな描き方をしているのはなかなかに興味深い。いや、ハーレムだったから後半こういう展開になったんだろというツッコミをされたら、まぁ、何とも言えないけど。

 ……相変わらず回りくどい文体で、ここまで「作品ついて語っている感がない感想」というのも私以外には書けないだろう。(何