日本ゲーム盛返史1991 ー 2018(その6)

※以下の文章は、おっさんの個人的な思い出語りであり、多くの事実誤認が含まれている場合がございます。

ポケットモンスター赤・緑

 流行が過ぎた後のゲームやマイナーゲームばかり遊んでいたので、友人とは基本的に話題が合わない時代が長かった。このゲームもそんなマイナーゲームになるんだろうなと思っていたら、じわじわと広がってえ?お前ゲームなんてするの?みたいなやつがやっていて驚いた記憶がある。

 このゲームについてはいろいろ語りたい事があるので、細かい事は別の機会にじっくり語るとして、私の当時のプレイを思い出しながら語る。

 当時はアニメなんてものもなかったので、モンスターボールという存在が謎であった。トキワのおっさんはなんかイベントの順番によっては消えてしまうので、どうやってポケモンってふやしていくんだ?って事は疑問だった。初めてモンスターボールを使ったのはおつきみやまのピッピである。ちなみに私が最初に選んだのはヒトカゲだったので、当然タケシもゴリ押しだった。スーパーボールも祭りで流れているようなおもちゃのことだと思っており、モンスターボールの上位版だとしらず、トレーナー戦で使って怒られた事がある。

 自分がエンディングを迎えたくらいで周りが遊ぶようになり、周りが遊び終わるくらいに新聞に載り、ミュウのプレゼントがはじまり、アニメがはじまり、マリオスタジアムっていう今はないテレビ番組でポケモン対戦が特集されて第1回ポケモンリーグがあって、64でポケモンスタジアムが出るという飽きるくらいになると新しい流れが出るというブームが長いゲームだった。今思うと閉じていないゲームだったからこそこういう事になったんだろうなと思う。

 個人的にはゴジラVSデストロイアゴジラシリーズ終わっちゃうみたいな感じだったので、怪獣文化を引き継いでくれたポケモンには特に思い入れが強い。