ゴジラ映画として見るジュラシックパーク

 「ZILLA」扱いされている海外ゴジラと、日本のゴジラの違いから、ハリウッド(アメリカ)と日本の違いを語るというのはよく見かける。しかし、「ジュラシックパーク」もまた、スピルバーグが作った「ゴジラ」なのだという認識はあまりされていない。「ジュラシックパーク」は「ゴジラ」に対抗して生まれた――というのはコアな映画ファンなら知っている「事実」である。スピルバーグが初代ゴジラのファンである事は有名だが、今回はオタク達からバカにされている「平成ゴジラ」があったからジュラシックパークは生まれたのだという話をしたい。

 平成ゴジラを理解するためには、少なくとも「大森一樹」と「川北紘一」を知る必要がある。「大森」は「本編監督」というポジションの人物で、主に人間のドラマを描く人物である。シンゴジラで言うところの「庵野秀明」と言った方がわかりやすいか。対する「特技監督」の「川北」はゴジラに演技をさせる人で、シンゴジラでいうところの「樋口真嗣」だ。平成ゴジラの監督のうち、この大森はスピルバーグが好きなようで、人間ドラマの中にスピルバーグ映画へのオマージュを入れまくっている。特に「VSキングギドラ」では、ドラットと呼ばれるドラゴンペットが出てくるのだが、これが「グレムリン」に似ている。VSモスラの遺跡探索はインディ・ジョーンズだし、タイムマシンがUFOなのもそうだ。

 極めつけは「メイジャースピルバーグ」なる人物が出てきて、これが孫だか子供だかに「UFOの話をする」事を心に決めるのだが、スピルバーグはここから生まれたんだよ!という大森曰く「大ホラ」話をぶっこんできているのである。まぁ、映像としては特技監督ではなく、本編監督が作っているので比較するのも失礼なレベルなのだが、おそらくこれがスピルバーグに火をつけたきっかけなのだろう。

 重要なのは「VSキングギドラ」には「ゴジラザウルス」という「恐竜」が出てくる。これが後にゴジラになったのが全体のストーリーラインである。この恐竜パートは、川北パートだった(と思う)のでクオリティが高い。「VSキングギドラ」は1991年公開。「ジュラシックパーク」は1993年公開。大森は後にオーディオコメンタリーか何かで「ジュラシックパークよりも先にやっていた」みたいな事を言っていたが、それは当然で、元ネタそのものなのである。この事はジュラシックパークのメイキングでスピルバーグが唐突に「ゴジラ」なる単語を出し、ゴジラじゃなく恐竜を撮るんだと意気込んでいる事からもわかる。

 「VSキングギドラ」で恐竜がアメリカ軍に殺されかけるのは、西洋文明はそうやって恐竜(ドラゴン)を敵視して滅ぼしたという日本人からみた西洋人の姿だ。一方でジュラシックパークにおいて東洋人(東アジア系)がラプトルの卵のシーンで出てくるように、遺伝子研究にタブーがない、恐竜という神が滅ぼしたものを復活させる愚かな無神論者達という、それなりのアンチメッセージがあったりする。

 ジュラシックパーク全体からすると「いるのかコレ?」という「デブの逃走シーン」も、「VSビオランテ」における「バイオメジャー(アメリカ?)」、「サラジア(サウジアラビア?)」という複数の組織間でゴジラ細胞を狙って奪い合っているという部分と類似している。

 最終的にこれらの映画は技術の戦いとなって、ゴジラ側が使っていた「着ぐるみ」と「手書き」と「爆薬」みたいなアナログな技術は古いものになって、ジュラシックパークが作り出した「ロボット」と「CG」のデジタルな時代になった。スピルバーグが勝ったのである。*1

 ジュラシックパークは単体で見ても面白い作品なので、蛇足だったかもしれないが、そういう前後の文脈から作品を見る方向性(歴史的な見方)もあるよという話であった。
 

*1:ちなみにこの後、ゴジラの怪獣文化の遠い子孫に当たるポケモンポケモンGOを生み出し、それに驚異を感じたスピルバーグがレディプレイヤー1を作るという流れがあるのだが、話が脱線するのでやめる。