なぜ東京にあらわれたのか?【ゴジラ1954】

 初代ゴジラという作品は非常に政治利用されやすい作品である。皇居を壊さなかったという点から日本兵の英霊だ!という意見もあるし、水爆に対し怒りを持っているから反米だ!という意見もある。確かに「そういう見方」も出来るので一概に否定したくない。しかし、それらはとなりのトトロで「サツキとメイは実は死んでいた」というような都市伝説の類いであり、公式設定ではなかったというところに注意が必要である。

 まず、「英霊説」を否定したい。この説はシリーズ全体を長い目で見たらそういう扱いの作品もあるが、少なくとも「初代ゴジラにおいて」は違うのである。例えば、太平洋戦争において「日本軍悪くなかった説」というものがあって、日本軍はアメリカの軍事施設のみを攻撃し、民間人を攻撃しなかった。一方でアメリカ人は原爆によって一般市民を攻撃した!から悪いやつだ!というものがある。ここでゴジラの行動を見てみると、序盤の貨物船を落とし、大戸島の島民の家を破壊し、東京の街を破壊する。どう見ても民間人のいるところばかりを襲っている。一方で劇中の戦車に対しては無視、ミサイルを放つ戦闘機に対しては背を向けて海へと帰ってしまうのである。これは日本兵がやった事ではなく、「アメリカがやった事」あるいは「アメリカがやろうとしていた事」ではないか?また、これらは左翼が好むような「弱きを助け強気を挫く」というようなキャラクターでもない事に注意が必要だ。

 この英霊説はゴジラが200万年前の生き物と設定されている事から来ている。多くの人がツッコんでいるように200万年前はジュラ紀ではない。「その頃は原人とかの時代じゃね?」って事でゴジラは恐竜ではなく、人間のメタファーなのだ!という説が広がっている。しかし、劇中の描写を見るとどうも違う気がする。例えば山根博士は島で初めて見た時に「間違いない!ジュラ紀の生物だ!」と言うが、原人を見ただけでどの時代の生き物か判別できるか?という疑問がある。また、自分は専門家じゃないので詳しい事はわからないが、「トリロバイト」が生きていたのはジュラ紀でも白亜紀でも、人類があらわれた時代でもなく、そういう生物が付着しているのはおかしいらしい。さらにこの「200万年前」の記述は小説版でもそのままな事から香山滋は人間ゴジラを描いたのだ!という説もあるが、同じく香山が原作を務めた次作「ゴジラの逆襲」ではゴジラは人間とは違う「動物感」が前面に出ている。以上の点から冷静に見るとミスの記述だったのではないだろうか?という気がしている。

 また反米説もおかしい。もしアメリカに恨みがあるのであれば、日本では無く直接アメリカに上陸すればいいのである。それをしなかったという事はゴジラの怒りは特定の国に向けられたものではないという事だ。ゴジラという映画が反米的に見えるのは、中間で女性議員が「事実は公表すべきだ!」と語るように、国際問題を抱えているという「人間側の事情」によるもので、ゴジラにとってそんなことは「どうでもいい」事なのである。

 では、ゴジラは何故東京にあらわれたのだろうか?これについては次作「ゴジラの逆襲」でちゃんと描かれているのだが、今作だけでわかる情報から言うと「光を嫌う」事にある。ゴジラの破壊活動は基本的に「夜」に行われる。大戸島上陸の際は新吉の兄が布団を敷いて寝転がっている場面から分かる通り、嵐の晩の出来事なのである。一方で昼間調査団の前に顔を出した時は吼えるだけで、海へ帰ってしまう。船上パーティーの場面では、直前にピカピカ光る昭和の東京が映る。ようするに夜だ。最初に上陸し、電車を口に咥えた時も夜だったし、東京を火の海にした時は時計台と空を見る限り夜中の11時である事が分かる。

 ゴジラは深海に生きていた生物であり、深海は基本的に光の届かない場所である。そういう暗い世界で生きてきたゴジラにとって「ピカピカ光るもの」というのは神経を逆なでする存在なのだ。そんなゴジラが東京を襲ったのは、当時の日本で一番「ピカピカ光る街」だったからで、戦車を無視したのは車体が地味な色だったからというシンプルな理由からである。*1テレビ塔破壊の場面で、ギリギリまでフラッシュを焚いている事により、ゴジラがそこに向かってしまったというところが分かりやすい。

 そしてそういう生物に土着の価値観をかぶせたのが初代ゴジラであり、東京上陸の時も「夜中に起きてる悪い子いね゛ぇーがー」と怖がらせながら歩く、なまはげ的な存在なのである。じ様が言っていたように「若ぇ娘っ子を生け贄」にかつてはしていたように、若い科学者芹沢を生け贄にする事によってゴジラは消えるのである。

 ボロボロな「人間説」と違って全て筋が通っているのだが、この事はゴジラファンですら知らない人多い。これは香山滋が原作を担当した「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」という原作ゴジラのみの設定で、カラー化した3作目から普通に昼間に戦っているせいである。円谷は「こういう状況で撮ってください」と言われたただけで、この設定は知らなかった可能性が高い。また、今作を普通に見ても白黒でわかりにい事も原因の一つだろう。しかもシリーズが進むごとにゴジラは光線を吐きまくるようになり、「お前光モン大好きやんけ」という状態になり、完全に設定が死んでしまっている。

 ガチなゴジラファンから見るとゴジラとはそういう怪獣なのだが、長くシリーズを続けると戦いのバリエーションを増やさなければいけないので、昼間戦うのもご愛嬌だよね、と見逃しているのである。なので、「怪獣プロレスはクソ!初代をリスペクト!」とか言うのならこの設定は知らないわけないよな!と思うのだが、まぁ、別にいいや。

*1:文明批判に見えなくもないので広い意味では左翼的になるのかもしれない