ゲームとは何か?

 その昔、ゲームがマスコミから敵視されていた時代というものがあって、何か事件が起こると、「ゲーム感覚」で犯罪だとかいじめだとか戦争をしているというような報道がされていた。ようするにゲームというものが「よくわからないもの」で「何でもあり」だと思われていたからそういう言葉に対して反論できなかった。ゲーム的犯罪と言われた時「確かに」と思わせてしまうようなものがあったのである。

 で、その当時から私は「ゲーム」と「いじめ」には大きな違いがあると思っていた。上手く言葉にはできないが、感覚として「いじめにはあってゲームには無いもの」逆に「ゲームだけにあっていじめに無いもの」は何となく理解していた。それは説明ができないだけで、明確な「違い」というものがあったのである。

 これはネガティブなものに限らず、小説や映画や漫画でもいいが、ゲームを作っている人間がそれ専門で作っている人間達に敵うわけもなく、我々が作っているものはどんなに優れた表現を持ってきてもパロディに過ぎないという事を自覚せざるを得ない。ゲームは実際には「何でも表現する事は不可能」であり、そういう不自由さの中で作っていたわけである。

 なので、非常に個人的な意見ではあるが、「楽しいだけ」「新しい遊び」というだけのものをゲームだと言い切ってしまうのには非常に強い抵抗を持つ。優れたゲームにはプレイヤーにこんな行動させたいという設計思想が見え隠れしていた。そこにこそ単なる玩具や道具との違いを感じるのである。なので「何でもあり」ではない。

 例えば柔道という競技はあまりにも日本人が勝ちすぎてルールを海外勢に合わせて、どんどん拡張していった結果レスリングと大差ない競技になってしまい、元々の競技が持っていた魅力がなくなったわけである。しかもそのアレンジによって人口は広がったわけではなく、ガチな柔道をやっていた人からすれば邪道となり、柔道ガチ勢はその世界的JUDOの人口からは減ったのである。もちろん、中には柔道家がJUDOやってどっちでも強いんだぞ!という事を証明する事はできるが、それはプレイヤーとしてのすごさであって、私から言わせたらその二つって別ゲーじゃんという話だ。

 自分が大事にしているもの、その人にとっての柔道像というものをハッキリさせておかないと、柔道もJUDOも語れないわけである。なので、どこかのタイミングでゲームとは何か?について考える必要があるんだろうなと思った。