初体験の差

宮本茂「増えているか減っているかっていうことあんまり気にしないということ、どれだけ呼んでこれるかっていう。あの、娯楽の会社というのはやっぱりそのブームを何回しかけられるかっていうことが勝負ですよね。ところが何かゲームビジネスみたいなものができてきて、なんかそのお金を儲ける仕組みができるとどんどんそこで回っていくじゃないですか?何かそのサイクルから抜けたくて……。例えば、スーパーマリオがあの、売れましたよね?そうするとみんなが褒めてくれはるんですよ、スーパーマリオを。んでスーパーマリオ「いやーここがすごいですね」「あーここがすごいですね」ということの、言うてくれはることの半分くらいは別にスーパーマリオじゃなくてなくても他のビデオゲームでもやってることなんですよね。ということはスーパーマリオが出るまで――インベーダー以来スーパーマリオが出るまでゲームを知らなかった人の方が世の中多いんですよ。ところがゲームを作っていると全部知っている人と付き合っていると思うので、」

松本「あー、すっごいわかります。」

宮本「――間違うんですよね。多分。」

松本「すごいわかります。」

宮本「だから、その両方がお客さんにはいるという意識を持ちながら自分がどこをやってるかって。そうするとスーパーマリオの時にこの、あの半分のものを捕ったのはすっごい漁夫の利なんですけれども、それはそこへ出てきたから初めて漁夫の利があるわけで、じゃあ次それを作るのには何をするのかというと多分、ここの流れを見ていても出来ないですよね。」

松本人志 大文化祭(2011年11月5日NHK BSプレミアム)より

 人は「新しいもの」ではなく、「初めてのもの」を評価するのである。

 私は色々調べた結果スーパーマリオはアーケードゲームのリミックスの側面が強いと思っていたが、上記の話でやっぱり私の見方は半分くらい合っていたのかも?と思った。

 これはスーパーマリオに限らず、ドラクエもウィズやウルティマのリミックスだし、ブレスオブザワイルドもそういうリミックス的な側面を強く持っていると思っている。ヒット作が持っているのは新規性とは限らないのである。

 DDLCをレビューする時に「君と彼女と彼女の恋。」というタイトルを挙げられるかどうか。Undertaleをレビューする時にMOTHER、メガテン、東方を知っているかどうか。日本のオタクだったら「あーああいうゲームなのね」で終わってしまう話で、新規性なんてない。けれども流通の関係で、アメリカ市場のユーザーにはどれも「初体験」のものになっているのである。そして普通に「スゴイゲーム」になった。

 で、ほとんどのユーザーは「初体験のもの」をこれは「新しいもの」だ!と認識する。で元ネタがある事がわかると元ネタを徹底的に批判しだす。それがなかったらお前の好きなそれも存在していないんだぞ!と思うのだが。自分たちは「最新」「先端」にいるという妄想を壊されたくないのかもしれない。いずれにしろこういう人達の言う「新規性」「斬新性」「画期的」みたいな言葉はほとんど信用していない。根本から間違っているからだ。

 しかし、後発のゲームがダメだ!という事が言いたいわけじゃない。新規性を持って出たゲームであってもヒットするわけではない、それらのゲームには「問題点」があって、それを解決したからこそヒット作というものは生まれるのである。どんな「新しさ」を提供するか?ではなく、どんな「初めて」を提供するか?が大事なのである。

 今の時代にゲームに関する面白い文章に出会わない理由は、初体験というものが著者によって大きく違い、そのジャンルにとっての当たり前の事を今更評価してしまう傾向が強いからかもしれない。だとすると歴史を経験した事がない者から見たゲーム観というものも拾う必要があるのかもしれない。まぁ、ゲームを語るのにも空気を読まなくてはいけない時代みたいなので、そんな面倒な事やらないけど。