イミフな独り言

 これからいくつか例え話をしたい。例え話なので全てフィクションであり、実在する何かについてどうこう言いたいわけじゃない。ただ少し考えてほしいだけである。

 

 1つ。私は情に訴えかけるというのが嫌いである。私が子供の頃、教材の押し売りが家に来た事がある。私はあまり乗り気ではなかったが、母親がやけに話を引き延ばし、早く解放されたい私は渋々100万円近くの教材を使う事にした。*1案の定、乗り気ではなかったので三日坊主で終わるのだが、それに対し母親は私に対してトゲのある言い方をしてきた事がある。それで、母親は私のために買ってくれたわけじゃないんだなと気づいた。後に聞いた話によると母親は営業の仕事をしていた事があり、押し売りの相手の大変さを知っていて、可哀想みたいな気持ちで買ってあげたらしい。なんともアホらしい話である。かわいそうな人なんてこの世界にどれだけいると思っているのか?アフリカの飲み水すら危険で病気が蔓延している地域とか、北朝鮮の富裕層や軍事費に金が行き貧困状態の民とか、祖国が紛争状態で移民として他所を渡り歩く人達とかそっちの方がかわいそうだろう。日本という比較的安全な国に住み、ちゃんとしたスーツ来て、会社務めまでしている人間の何がかわいそうなのか。結局相手が「自分に似ていた」から同情して買っただけ。本当にいい物ってのはわざわざ家に押しかけなくても勝手に口コミで売れていくものである。

 

 2つ。勝負の世界は非情であるべきだ。甲子園で、才能がある若者がたくさん集まったAチームと、母親が病気のレフトだったり心臓病を患って余命1ヶ月の投手がいるBチームがいたとする。ここで「お前等には次があるだろ!こいつらには次がない!」という理由でBチームに勝たせたら八百長である。これを許したら野球の本質が変わってしまう。そこまで行かなくとも、それらの事実を伝え、相手の心情を揺さぶったとしたら明らかに悪質である。そういうものは心に秘めておくべきものであって、それをバネに練習をたくさんするとか、その事実を隠して結果を残すとかなら応援できるが、前面に出していくのならドン引きである。映画でもよくあるが、感動の押し売りというか、「エモさ」みたいなものを前面に出されると逆に引いてしまう人もいるのだ。そういうものは「読み取って」初めてわかるレベルであってほしい。

 

 3つ目に保護イヌかわいそう問題。これはたしかにかわいそうであり、同情の余地がある。が、私は経済、時間、精神的余裕から保護イヌを養う事ができないのである。普通に犬を飼うのでさえ大変なのに、問題があって捨てられた犬(しかも人間不信の可能性あり)を飼うなんて素人には難しい。さらに大抵の人は自分の事で手一杯であり、かわいそうだと思っても何もできない。なので、私は違う観点からこの「構造」をどうにかするつもりだった。そもそも捨て犬がなぜ減らないのか?無責任な飼い主、ペットショップ、無計画に繁殖させるブリーダー……。で、私がどんなに飼い主に文句を言ったって「ウチの問題です」みたいに聞く耳持たないし、ペットショップは必要としている人がいるからなくならないし、子犬動画にいちゃもんつけようものなら犬嫌いなのか?と誤解されるのである。それどころか「かわいい子犬と芸能人がふれあっている」のと、「保護イヌを救おう」っていうのを同じテレビ番組で特集していたりする。で、この件において金の無い人は何も悪くないわけで、非情な人間ではない。保健所から引き取っている人もいい人なのかもしれないが、それでその地域のかわいそうな犬がいなくなっても、別の地域では捨てられる犬がいてかわいそうな犬は減らないのである。原因をどうにかしない限りこの悲劇は止まらないわけだが、子犬だけ見ていたいとか、生き物と過ごすというのを甘く見ているやつは減るどころか増えている。

 

 4つ。サッカー日本代表の試合はたしかにイライラする。だけど、その裏で次世代のエースとか言って高校サッカーとか普通開催するだろうか?日本にいる能力の高い人が集まって戦っているのに、勝ち筋が見えなかったら応援しないのか?もちろん、日本全土が応援ムードになって同じ行動取るのは気持ち悪いみたいな意見もあるかもしれない。ただ、生粋のサッカーファンが見ていない試合を、大してサッカー好きじゃない自分はどう見て、どう応援したらいいんだ?完全に捨て試合なのか?この状況で、高校サッカー見ている人達も現実逃避しているようにしか見えない。負ける試合であっても、なぜ負けるのか知ろうとしないのだろうか?

 

  ……なんて事をバーチャルさんはみているの最終回を見ながら考えていた。

*1:兄弟で使えば安いみたいな感じで納得した。