クールジャパンの正体
あけましておめでとうございます。新年早々のネタはズバリ表現規制にしようと思います。
今年も紅白歌合戦を見ていました。一昨年だったかいつだったかの紅白が面白かったので、期待していたんですが、よくも悪くもいつも通りの紅白でした。ただ見ていて思ったんですが、この「進化してなさ」が不安になってきました。どういう事かというと「紅白歌合戦は世界に持っていけないなぁ」という事です。いやまぁ、元々「日本の」国民に向けて作られた番組なんだから世界の目なんて意識する必要性なんて全然ないわけですけどね。
なんで世界に持っていけないのかというと、表現がマズいんですよね。全てのアーティストがマズいわけではなく、中には何の問題もなく世界へ持っていけそうなアーティストもいましたが、そうでないアーティストもちらほらいたという話です。これは単純に日本の伝統芸能だから世界に持っていけないとかいう話ではありません。ストレートに言うならば衣装が一番のネックでしょう。日本人の倫理観ではDJオズマだけがアウトですが、海外ではそうではないという事です。
というわけで時事ネタから強引に規制問題へ話を持っていきますが、今の日本は明らかに海外との貿易を視野に入れて商売をしようとしています。*1いわゆるクールジャパンもその一環でしょう。しかし薄々気づいている人も出てきたみたいですが、クールジャパンと表現規制は表裏一体だったりします。とりあえずググってもらいましょう。
この事は東京都青少年条例や児童ポルノ法を推進しているのが、クールジャパンを推進している自民党である事からも分かります。クールジャパン戦略担当大臣に選ばれた稲田朋美氏(自民党)は表現規制を盛り込んだ法案を提出していたらしいです。日本は規制が比較的ゆるい国と言われているので、世界から見ると文化が野放しにされているような状態です。単純に考えるならば自民党は親米なので「アメリカ人の倫理観」に合わせて文化を再編していく事は予想できそうです。
が、困ったことに自称愛国者のアニメファンはこの事が理解できていなかったようです。
参考:アニメの基礎知識 - 国民が知らない反日の実態 - アットウィキ
去年私がコケにしてしまったページですが、まだ存続していたようです。下のほうにコメント欄がありますが、内外問わず失笑を買っています。アニオタはネット上でも孤立してしまうのでしょうか。
さて、アニメ・ゲーム・マンガと一つの括りで語られる事の多いオタク文化ですが、このうちゲームとアニメ・マンガの文化は実は全く違います。おそらくですが、ゲームは表現規制が課せられてもその中でものづくりできるかもしれません*2が、アニメや漫画家の中には生活そのものが出来なくなる人が出るでしょう。これはゲーム業界の中心にいるのが任天堂で、マンガ業界の中心にいるのが少年ジャンプ(あるいはサンデー、マガジン)である事の差であると言ってもいいです。*3とうとう口コミとマスコミ文化、どちらに支えられてきたかという事が大きな差となって現れたなという感じです。
http://www.pegi.info/en/index/
上のリンクはPEGIのサイトへ張られています。PEGIは日本でいうCEROみたいなもので、「このゲームは何歳以上なら遊んでもいいよ!」というレーティングを行っている団体である。で、ためしに「mario」とか「pokemon」とかゲームタイトルを検索すると[3]とか[7]とか出てくるのではないでしょうか?これはその数字以上の年齢の子なら遊んでもいいという事です。つまりこれらのゲームは「小学生が遊んでも何の問題もありません!」という事になります。
では、次に「dragon quest」を検索してみましょう。これも日本ではCERO:A(全年齢対象)のポケモンやマリオと同じレーティングのゲームです。結果はどうでしたか?そうですね。一部を除いてほとんど[12]――つまり小学生遊べません。ドラクエのこのレーティングの理由をあえて挙げるならばギャンブル描写があるからでしょう。日本人にとってはごっこ遊びのレベルで規制対象にならない表現でも海外では、顔をしかめられる事になるわけです。
おそらくですが任天堂は早くからアメリカに会社を置いていたので、日本と海外の温度差を感じていたのでしょう。任天堂の関連会社がパネルでポンという名作ゲームを作ったのですが、このゲームの主要キャラである妖精キャラは海外版では全ていなくなりました。日本国内では何の問題もないキャラが海外では問題になるという事を知っていたのでしょう。
一方でアニメやマンガは、それぞれテレビと出版社というマスコミに支えられていました。今はそうでもないかもしれないですけど、かつてのマスコミは「自由」という言葉が好きで表現の自由、報道の自由と言って周りに煙たがれても数字の取れそうな記事だの番組だのを作っていました。そのためまず自分達の「言いたい事やりたい事」があって後から客がそれに共感してフォロワーになっていくという文化が生まれました。その結果クリエイターたちも「自分達が楽しい、気持ちいい作品」を追求していくようになりました。キャラクターが割と過激な事を言って、あとで編集者が謝罪文を載せるとかよくあります。未成年と関係を持った漫画家を辞めさせる事はあっても、マンガの中のキャラクターがどんなひどい事を言っても編集者が謝るだけで漫画家を辞めさせません。「美味しんぼの福島」の件で分かるように。彼らの正義とは何なのかだいたいわかりますね。
ゲームはその方向性にシフトできませんでした。なぜならファミコンはテレビを占有する娯楽でしたのでマスコミに敵視されたからです。だから自由が好きなはずのマスコミから、暴力的だのなんだの言われて周りからの目が厳しくなり、自然と自分達でそれらの偏見と闘いながらいいものを作る文化ができました。そのためゲーム業界の倫理基準はマスコミではなく、ユーザーそのものになりました。どんなに過激なゲーム、テーマ性のある作品を作ってもそれを支えてくれる人、かばってくれる人がいないんですね。*4
自主規制という言葉はもちろんマスコミにもありますが、規制の基準は自分達の価値観に基づいています。だから問題となる表現は後から指摘されて気づくんです。去年で言うと「明日、ママがいない」もそうでした。で、そんな価値観のアニメやマンガが海外で何の抵抗もなく読まれているとは私は思いません。考えてみてください。宮崎駿や富野由悠季や手塚治虫や藤子不二雄や鳥山明は誰のために作品を作ったんでしょうか?「子供のため」ですよね?子供のために作られたからこそ我々大人もその作品を理解できます。大人とはかつて子供だった人たちなのですから。
では海外のユーザーは「子供」なんでしょうか?違います。断言してもいいです。海外の反応とか言って出てくる海外のアニメファン、あるいはマンガファンのほとんどは「海外のオタク」であり、若くてもいわゆる13歳以上の「teen」である可能性が高いです。小学生以下の子供はレーティングに引っかかり多分見る事ができていないと思います。海外の子はディズニーしか見せてもらっていないのではないでしょうか?
こんな事を言ってもにわかには信じがたいでしょう。だからひとつひとつ例を挙げて調べていきましょう。そのための「教材」が見つかりました。それは「遊戯王トレーディングカードゲーム(以降遊戯王TCG)」です。これは元々コナミが出していた遊戯王オフィシャルカードゲームを海外向けにアレンジしたものなのですが、そこでの変化に文化差という物が現れています。特に「絵」。遊戯王TCGは描かれた絵に規制がかけられているんですね。幸いな事にグーグル先生の力を借りれば画像検索でそれぞれの絵を見つけられるようになりました。このカテゴリでは日本版と海外版の違いを挙げながら海外では何がNGなのかを見ていきましょう。