ニコニコ動画

ニコ動がオワコンになった理由がこの動画にすべて込められている


※グロ注意

ナレ「人工知能で動きを学習させたCGを見せてくれるそうです。

川上「で、これは速く移動するっていう学習をさせたやつですね。これあの頭を使って移動しているんですけど、基本は痛覚が無いし、頭が大事とかっていう概念が無いので、だからもう頭をもう普通の足のように使って移動しているっていう。この、この動きがとにかく気持ち悪いんで、ゾンビゲームの動きに使えるんじゃないかっていう。こういう人工知能を使うと、たぶん人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないかと。はい、一応、こんなことをやっています。実際には

宮崎「あの、うーんとね。毎朝会う、毎朝このごろ会わないけど、あの、身体障害の友人がいるんですよ。その、ハイタッチするだけでも大変なんです。彼の筋肉が強張っている手と僕の手でこうハイタッチするの。で、その彼のことを思い出してね、僕はこれを面白いと思って見ることできないですよ。これを作る人達は痛みとかそういうものについてね、何も考えていないでやっているでしょ。極めて不愉快ですよね。そんなに気持ち悪いものをやりたいなら勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。極めて何か生命に対する侮辱を感じます。

川上「これ、でもほとんど、じっ、実験なので

宮崎「ええそれはわかっています

川上「これを世の中に見せてどうこうというそうものじゃないんです

宮崎「それは本当によくわかっているつもりですけど

鈴木「どこへたどり着きたいんですかね?

*「まぁ、人間が描くのと同じように絵を描く機械――

鈴木「――を作りたいんだ?

*「はい


宮崎「地球最期の日が近いって感じがするね。それは人間のほうが自信がなくなっているからだよ

 去年のネタだし、個人的には中国とロシアが仲違いしたレベルの内容なので、正直どうでもいいが、宮崎駿嫌いの自分でも共感できるレベルのひどさで、やっぱドワンゴはクソだなと再確認した。

 状況を説明すると、どんな心境の変化があったのかは分からないがCGに興味を持った宮崎駿は、CGで短編映画を作ろうとするが、なかなか思い通りにいかない。そんな中、鈴木敏夫の弟子になったドワンゴ川上量生人工知能を使ってユニークな動きをするプログラムを宮崎にプレゼンするシーンである。

 結果から言えば、「人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないか」という提案だったが、その後に「身体障害の友人を思い出す」という発言から分かる通り、宮崎駿には想像できる動きだったわけである。だから、この時点で答えは出ており、ビジネスとしては失敗に終わっているのである。*1

 だが、注目してほしいのは川上がわざわざ「痛覚が無い」と言ったのに、宮崎が「痛みとかそういうものについて何も考えていない」という返しをしているところである。ここにこの両サイドの価値観のズレが存在する。ドワンゴ側のふてくされたような、納得できないというような態度を見れば分かる通り、彼らからすると「いや、だから痛覚がねーって言っているだろ、痛みを感じないからこういう人間がやらないような無茶な動きをするわけで、このジジイは何言ってんだ?」という話になる。ここで問題となるのは存在しないはずの「痛み」を宮崎はどこから感じたのだろうか?という話である。

1.商売下手

 商売っていうのは顧客のニーズを見なければならない。ただ、いいものを作りましたドゾーっていうだけじゃ、成り立たない世界である。ドワンゴにはプレゼンをする相手というものが全然見えていなかったという事である。

 第一にアニメーションの語源である「animate」には生命を吹き込むという意味がある。これは市松人形の髪の毛が伸びました〜みたいな、物に魂が宿るアニミズム信仰と同じ語源である。そしてアニメーターというのはまさにこのアニミズムのように、本来魂を持たない紙の上に活き活きとした線を描くことによって魂を吹き込んでいる人達なわけである。人形に針を突き刺そうが、踏みつけようが、プレス機で押しつぶそうが理屈上は痛みなんて存在しないはずだが、嫌な気分にはなるだろう。現代人の中にもアニミズム的感覚が残っているからこそ起こる現象であり、こういう痛みを感じる能力を会得したからこそ人は共感能力というもので感動を味わったりできるわけである。だからそういう事を生業としている人を相手にして「痛覚がないんで」みたいなエクスキューズは何の意味もない。

 第二に見ている側の倫理観の問題がある。人形が「オレは気にしないッスよ。なんせ痛み無いんで」と言うのは構わないとしても、それを第三者が「気持ち悪い」と言ったり「ゾンビゲームに登場」させたりするのはいいのか?という問題だ。つまり、見たことないものや普通と違うものを見た時に「気持ち悪い」だの「怖い」だのそういうネガティブなイメージだけを見せて、例えば君たちが普段避けているような身体障害者を目の前にした時、こういうのを見て面白がっているやつらはどうするんだ?という見ている側に対する怒りである。ニコ生とかで女の子が視聴率を稼ぐためにパンチラだのブルマ姿になるだのをしていて、本人は羞恥心がないからそれで何も気にしていなかったとしても、親御さんが見たら悲しむだろとか、見ている側は何のリスクも背負わないまま、自らの欲望を満たすというものはいかがなものかという事を、おそらくお節介ジジイ的な人なら言うはずだろう。ドワンゴはすべては投稿者の自己責任で済ますのかもしれないが、周りへの影響を考えるという事が全くできていない。

 第三にプロというのは勝負の世界で戦ってきた人達である。そういう人達は機械に負けたくないし、自分の力を信じたい人達である。ニコニコは電王戦というコンピュータと人間が戦う将棋みたいなのをやっているが、正直な話これのゴールはどこなんだろうと思う。コンピュータの人工知能っていうのは元となっているのは過去に存在した100人のプロの平均だとか最善手のデータを収集して計算しているわけで、単純に考えても100VS1の戦いで、場合によっては1億VS1になる事もあり、全然フェアじゃない。ボクシングだろうが、サッカーだろうが、一人一人の選手のバックボーンがあるから面白いのに、負けても何も失わない、ただ故障を疑われるだけの機械との戦いから何を得ようとしているのか?電王戦には人間に対する愛は感じられず、「人間じゃ機械にはどう頑張っても勝てないっしょ」、「たまに勝てたらすごいよね」みたいなホントに軽い、機械上位の思想が見え隠れする。あれを楽しみにしている人は何に期待しているのかぜひとも教えてほしい。

2.共産主義

 なぜこんなに商売下手なのか?実はニコニコ動画共産主義を前提として作られたコンテンツである。東西冷戦の終わった今の時代に何を言っているんだというツッコミが入りそうだが、アナログ派のジブリとデジタル派のドワンゴの接点がここにあったとしても不思議でない。

 詳しくはググれという話だが、資本主義と共産主義の違いは、性善説性悪説である。資本主義というのは性悪説的で、人間っていうのは放っておくと何をしでかすか分からない(悪くなっていく)という価値観がまず前提で、世の中にはいいものと、悪いものがあって、いいものが社会の中心となるべきだという選民意識がある。能力があるやつ、人々から選ばれたやつが社会を動かすというのが資本主義だ。

 共産主義は一言で言えばそういった資本主義への反発から生まれた思想である。まず、金持ちから財産や土地をパクって、それをみんなに平等に配る。で、その配られたものはみんなのものなので、勝手に占有したりしたら怒る。なんとなく予想はつくだろうが、ゲーム音楽とか流行りのアニメとかブロリーとかを勝手にパクって、みんなで素材として共有して、コメントにはコテハンも個性もなく、能力をつけて一人プロデビューしようものなら俺たちのミクで商売しようとするんじゃねーと大ブーイングが起きる。どこからどう見たって共産主義である。

 この傾向はYOUTUBEへのただ乗りがばれて、サーバーを自前にして会員制にした直後から大きくなった。ようするに資本主義バリバリのYOUTUBEとの差別化だろう。とはいえ本家共産主義国家がそうであったように、今では崩壊し始め、資本主義の要素をさりげなく入れてしまった結果、格差がものすごく進んだり、能力あるやつが外へ流出したりで散々である。

3.大学文化

 ニコニコ動画には「歌ってみた」「混ぜてみた」「やってみた」のようにみたみた動画がやたら多い。これは一体何を意味するのだろうか?

 利用者のほとんどは小学生だという根拠のない説が出回っているが、本当に多いのは20代前後の世代である。これらの世代はゆとりとか言われているが重要なのは教育内容ではなく、大学進学率である。この世代は大学全入の時代と言われており、大学文化が身近なのである。彼らにとって「実験」をしたり、「まとめ」をしたり、それを「みんなの前で発表」したりというのはごく自然な当たり前の事なのである。だから、こういう経験をしたことがあるかどうかによってニコニコ動画に対する親しみやすさが全然違ってくる。

 岡田斗司夫が「ゼミ」と称してニコ生をやっていたり、ポケモン実況解説動画のもこうが「先生」と呼ばれているのを見れば分かる通り、ニコニコ動画はネット上の大学なわけである。で、大学でやっている研究っていうのはほとんどが自己満足で、社会で役に立つものなんてほとんどないわけである。鈴木敏夫の「どこへたどり着きたいんですかね?」に上手く答えられないのも当然で、「実験」というのは最初から答えがわかっているものはやる必要がなく、ほとんどはやってみて、その結果どうなったかをただ発表するという繰り返しなのである。失敗は成功のなんちゃらというが、実験は失敗の方が遙かに多いわけで、「必要だが意味はない」ものが多いのである。

 ニコニコ動画の運営も利用者もこういった大学の空気感から離れられないモラトリアム的な精神の持ち主が多い。問題なのはこれが趣味ではなく、ビジネスになった時に全く活かせないという事である。つまり、実験なんてものは商売の世界では、あんまり上手くいかないのである。

 ニコニコが大学である以上、ほとんどのユーザーは4〜5年で「卒業」してしまうわけで、残るのは博士になりたいような物好きか、留年しまくりの落ちこぼれであり、面白いコンテンツはどんどん生まれにくくなっていってしまうのである。

*1:ほんとに何でこんなものを持ち込んだんだ?