5時間目「巨大な敵を討てよ」

 日本でまず真っ先にヒットしたゲームはゲームセンターに置かれた「スペースインベーダー」なんだ。その事をおぼえた上で今日の話は聞いてほしい。

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 上記のサイトではロールプレイングゲームの敵はなぜ人ではなくまものなのか?という疑問を投げかけている。単純に考えるならば、シミュレーションRPGはウォーシミュレーションという戦争ゲームから生まれて、RPGはファンタジー小説をベースにしたダンジョン&ドラゴンズやウィザードリィから生まれたジャンルだからで、要するにご先祖様のやり方を真似し続けているからだと考えられる。

 ただ先生な、ものづくりをしているから分かるんだが、絶対に不良がいる。だれもチャレンジしていない事をやるのがクリエイティブだからな。なぜ逆のパターンでやる人がいなかったのか?いや、いなかったんじゃない、おそらくやってみたがしっくりこなかったんだろう。先生の考えはこうだ。シミュレーションは対戦ゲームの延長戦上にあり、両者の力が同じくらいだ。囲碁のコマに個性があったり強弱があったらズルいだろ?そのためAとBは同じ条件からフェアにはじまる。サッカーやバレーボールで片方だけ人数が一人多かったりしたらバランスが悪いし、ジャッジメントを間にはさんで同じ条件で勝負するのがふつう。一方でロールプレイングやアドベンチャーはマスターとプレイヤーという立場のちがう人間同士が遊ぶ。マスターが提供したものに対しプレイヤーが選たくをせまられるという遊び。マスターが有利なので条件が同じではない。なので人間同士でえがいてしまうと同じ人間なのになんであっちばかり優ぐうされるんだ?となってしまう。

 ふむ、これでなんとなく解決だ。え?他のサイトをダシにして言いたい事言っている?いやいやこの著者の視点は実にするどいし、気になる表現があったんだ。それは「人間をたおしまくる(殺しまくる)ことにプレイヤーのていこうがある」という点だ。まぁ、当たり前っちゃあ当たり前の話だけど、じゃあ、みんなに質問だけど、こういったけいこうはいつからあったんだろうか?先生が思うにそれは日本にゲームがやってきた時、つまり「スペースインベーダー」が作られた時代から始まっていたんだと思うんだ。

 そもそもスペースインベーダーとはどんなゲームだろうか?「スペース」は宇宙を表し、「インベーダー」はしんりゃく者を表す。つまり「宇宙のしんりゃく者」というタイトルのゲームだ。そしてそのしんりゃく者が「こうげきをしかけてくる」。画面上部からエイリアンが降ってきて、そいつはこっちに向かってこうげきしてくる。時間内に全部のエイリアンをたおさないとぜんめつしてゲームが終わってしまうんだ。だからプレイヤーはその前にエイリアンを全てほう台でたおさなければならないんだ。うん、それの何がすごいんだ?という顔をしているから、それ以前のシューティングゲームと比べてみればわかるけど、世界初のシューティングゲームと呼ばれる「スペースウォー!(Spacewar!)」は対戦型のゲームで、さっきも言った囲碁とかと同じで相手と自分が同じコマ(戦かん)で表されるんだ。けれどもスペースインベーダーはこちらはほう台、相手はエイリアンと別々の物であらわされる。つまり、「アドベンチャー」から始まるマスターからの問題にプレイヤーがこたえていくゲームなんだ。

 「スペースインベーダー」に出てくる宇宙人は明らかに悪いやつだな。こちらに向かってこうげきしてくるし、放っておいたらこちらを全めつさせてしまう。このゲームを作った人はなんでこんなむかつくやつを登場させたんだろうか?……実は、この事はそれまで日本でウォーゲームがヒットしていなかった事と関係している。

 日本という国は反戦意識が強い国とも言えるんだ。日本国憲法第9条の内容は平たく言えば「私達は戦う力も、その意思も持たない」。これは結構つっこみどころが多くて、例えば少林寺を護身術に学んでいたとして、その少林寺は相手をたおせるから武力なんじゃないか?といって禁止すると、今度は悪いやつがやってきた時に自分を守る術がなくなってしまう。自分を守るためには相手と同等かそれ以上の力で守らないといけないんだけど、日本人はそういった力を持つ事をきょひし続けているんだよな。

 日本には昔から「ケンカ両成敗」という考え方がある。どんな理由があろうとケンカをしたら悪いのは両方であり、どちらの味方もしないって考えだな。ウォーゲームをふくむ対戦ゲームはケンカの代わりにやる遊びで、例えば「じゃんけん」と同じなんだ。兄弟で残りのケーキを食べるのにケンカになってしまった時、じゃんけんで勝ち負けを決めて勝った方にケーキをあげるというように、ケンカを丸く治めるために発明された遊びなんだな。でも、「ケンカ両成敗」はこれを否定する。「二人とも意地きたないからこれはポチにあげます」と言って二人とも負けにしてしまうんだな。
 
 だから日本人が戦うためには理由がいるんだ。それは「相手が問答無用で悪いやつ」で「こちらに対して敵意を持っている」という風に。たびたび戦争の話題を蒸し返して申し訳ないけど、戦時中の日本はマスコミを使って中国やロシアやアメリカをてってい的に「悪いやつ」として報道したんだな。まぁ、戦時中のどこの国も似たようなものなんだけど、「国民」の正義は「おエラいさんといっしょ」の正義なんだ。アメリカの場合、自分達が直接ねらわれなかったベトナム戦争では、冷静になれたんだろうな。政府というおエラいさんに対して、ハッキリと「NO!」を言った。アメリカは民主主義を選んだから正義がひとつじゃない。政府の正義と個人の正義がぶつかるんだ。

 一方で、日本の正義はおエラいさんといっしょのままだった。マスコミは反日って言われるけど、かれらの正義は戦後の日本を任された外国の人達(GHQ)の価値観を引きついだだけといえる。戦時中は政府のやっている事に賛同しないと非国民といわれる時代。戦後は外国の価値観に合わせないと戦犯といわれる時代が来る。つまり戦後になって自由がいきなりやってきたわけじゃなく、日本はずっと「言いたい事も言えないこんな世の中」が続いていたんだな。先生達がこうして言いたい事言える時代に生まれたのは本当によかったよかった。まぁ、今はこの時の反動で言い過ぎてるやつらも多いけどな。

 人はいきなり変わる事はできない。そういう戦後の正義を引きずっていた日本人がいきなり変わるって事はないよな。スペースインベーダーを出した時、世の中には人々の見えないところで反戦意識がものすごい力を持っていたと思うんだ。だから「自分よりも強く」「会話が通じず」「放っておくと全めつする」インベーダーという敵が必要とされたんだ。インベーダーが人ではなく、宇宙人というのも都合がよかった。例えばこれが犬をうち殺すゲームだったら人気は出なかっただろう。宇宙人という空想の存在だからこそたおすことに罪悪感が無いんだな。

 ふつうに考えたらだれも見たことない宇宙人という存在はリアルさがないんだけど、この当時から日本のゲームはリアルさよりも気持ちよさの探求をしていたんだな。……今日も古いゲームの話題でごめんな。次回からはみんなも知ってるゲームが取りあつかえたら……いいな。おーし今日はここまで!解散!