龍玉の意思を継ぐもの

 よく誤解されるが、「勧善懲悪」は決して子供向けではない。理由は単純で、勧善懲悪はそもそも「悪とは何か?」「善とは何か?」という事を理解していないと楽しめないからだ。水戸黄門を楽しむためにはまず、この世界の正義はどういったもので、そこでそのルールを守らない悪いやつが出てきて、最終的に天罰が下るという価値観を理解していないといけない。つまり、「この世は悪人だらけで生きづらい。だれか正義の味方がやっつけてくれないだろうか」という思いをした人でないと楽しめないわけで、そうなってくると世の中の倫理観とか人間観を見知っているお年寄りの方が若者より勧善懲悪を好む傾向にあると言ってよい。

 子供向けの番組であるアンパンマンがなぜ勧善懲悪のフォーマットに従っているのかというと、おそらく「親子で見るため」だからだ。私の予想ではおそらく子供の何割かはバイキンマンがなぜ懲らしめられているか理解できないはずだ。「なぜバイキンマンやっつけられるのー?」と。子供は親をアッと驚かせるような事や残酷な事もしてしまうがそれはまだ善悪の判断が出来ないからである。善悪の判断とは周りの人間との関わりによって「あ、こんな事をするとみんな悲しむのか」といって学習して身につけていくものなのである。だから環境によっては善悪を学べる環境にいなかった子供というのもいるのだ。アンパンマンが勧善懲悪なのも親が子供にちゃんと説明してあげる事を前提として作っているのではないだろうか。

 さて、話は唐突に飛ぶが日本には少年ジャンプという週刊漫画雑誌がある。私はいわゆる2000年代(ゼロ年代)の読者であるわけだが、正直な話この年代は腐女子ジャンプと散々な言われようなのである。私の感想はというと確かに全ての漫画が面白いかときかれるとそうでもないが、他の平均的な漫画雑誌に比べたら面白い方なので、この年代がつまらないというよりもその前の年代が面白すぎたという方が正しい。*1

 そしてこの年代のテーマを強引に絞り出すとするならばそれは「ポストドラゴンボール」を見つけ出す事だったと考えていい。90年代に起こったジャンプ最大の事件がドラゴンボールの連載終了だと編集部は考えたはずである。だからそれを補うために次のドラゴンボールを描ける人間がいないか探したはずである。おそらく候補としては「ONE PIECE」「HUNTER×HUNTER」「NARUTO -ナルト-」「BLEACH」がそれに当たるだろう。*2このうち、実はナルトはドラゴンボールに似ていない。確かに「主人公はオレンジ」「キャラクターが成長する」「修行っぽいシーン」「東洋的」*3…と断片だけ見ていくと似ているようにも感じるが、作品の肝である主人公の造形が違う。主人公は自身が持っている能力に悩みまくっているし、意中の女の子もいるし、何より目標が「火影になる」事である。火影とはこの世界の大統領の事であり、孫悟空のような世間から隔離した野生児でもなければ、どこぞの「海賊王になる」と犯罪者宣言している人とは全く違うマジメな主人公である。最近連載がアッサリと終了したのも「ドラゴンボール的な作品じゃないからいいんじゃね?」という空気があったんじゃないだろうか。

 さて、残りの作品は全てドラゴンボールに似ている。具体的には
ハンタ ドラゴンボール初期(レッドリボン軍とか)
ブリーチ ドラゴンボール中期(サイヤ人編、フリーザ編あたり)
ワンピース ドラゴンボール後期(ブゥ編とか)
――だがこのうちブリーチのサイヤ人編前後はドラゴンボールで一番人気な時期であり、誰だって参考にしてもおかしくない。キャラ立ちなどを参考にしているだけで、テーマは受け継いでいないように見える。主人公造形もやはり孫悟空とは違う。また強い敵を倒したら更に強い敵がというのは成長要素のあったドラクエブームと、当時のバブルインフレ的な景気の時代観とのマッチングで流行したという側面もあるので、現代のどう考えても不景気で、ポケモンというピカチュウLv15がギャラドスLv40を倒せてしまう事を知っている子供たちに受けるかというと微妙である。*4

 というわけで最初からこの二つに絞れよという話だが、「ハンターハンター」と「ワンピース」が残る。この二つはドラゴンボールに表面上似ているとか、手法だけ借りてきたとかそういう部分で似ているわけではない。むしろかつての鳥山明と同じレイヤーに立って、同じ筆でマンガを描いていると言った方がいい。つまり「ドラゴンボールっぽい」ものを描いているのではなく「ドラゴンボールそのもの」を描いているのだ。

 じゃあこの二つのマンガはカブっているのかというとそうではない。前述した「勧善懲悪」が関わってくる。ハンタとワンピの違いは勧善懲悪があるか、ないかで分けられるからだ。これを説明するためにそもそも鳥山明にとってのドラゴンボールとは何かを語ろう。

 ドラゴンボールはもともと勧善懲悪ではなかった。もちろん旅先でワルモノに出会えば戦うというストーリーだが、物語冒頭の動機は宝探しである。そしてそれが次第に「自分よりも強いものに会いに行く」というテーマに変わっていく。だからドラゴンボールの敵とは悪いやつである以上に「強いやつ」である事が求められる。人造人間編も本当に悪をこらしめる事が目的ならば、トランクスに人造人間の話を聞いた時点で、戦闘力が低いであろうドクターゲロ相手に直接殴り込んでおけばよかったわけである。しかし、悟空が選択したのは悪を叩く事ではなく、悪が出てきても大丈夫なように自分を鍛え上げる道だった。勧善懲悪の主人公だったらこれはありえない。強いやつと戦いたいという自分の望みのために世界をみすみす危険に巻き込んでいるからだ。

 さて、そんなドラゴンボールに転機が訪れる。孫悟空の息子、孫悟飯が登場するのだ。彼はたしかサイヤ人編から登場するのだが、父親と違って「戦うのが好きじゃない」タイプである。もちろん、敵が現れれば一緒についていき戦うようになるが、それは「戦わないと世界が大変な事になる」からである。つまり孫悟飯は強いやつと戦うよりも、悪いやつをこらしめるタイプの主人公なのだ。鳥山明はおそらく、孫悟空からこちらの悟飯的な価値観で物語を進めていくつもりだったのではないだろうか?ネット上では孫悟空の「ドラゴンボールでもとにもどれるんだ。気にすんな」が取り上げられ、こいつやばくね?みたいな印象が主流だが、鳥山明はそんな事はとっくに気づいていた節がある。それは人造人間編の最後でセルに仙豆を与える時にピッコロに叱咤される公式クズロットのシーンから始まり、その後セルに悟飯と一緒にかめはめ波を放つシーンがあり、最期に自爆するセルとともに悟空が死ぬシーンで終わる事である。この一連の流れはあまりに唐突すぎる。世代交代という意味もあるのだろうが、その後のブゥ編とは年月があるのだから、悟空が戦闘で死ぬ必要はなく、その後心臓病が再発したとかにしてもよかったわけである。このシーンから読み取れるのは子供を理解しておらず人を「強さ」というバロメータでしか見れなかった父親の償いである。

 またミスターサタンの事も忘れてはならない。このサタン、登場した当初は民衆のヒーローとして担ぎ上げられておきながら、実力はたいした事がないという大嘘つきとして登場する。ワンピースでいうバギーとかウソップに近いキャラだ。鳥山が最初にこのキャラを描いた時は明らかにコケにしていた。それは悟空たち戦士が人知れず戦っているのにカメラの前でいいとこどりをしようとするキャラだからで、当然読者もサタンに対してはあまりいい印象を持っていないだろう。しかし、このサタン、ブゥ編では大活躍する。それは作者の中でサタンに対する見方が変わったからだ。ユーザーの意見を最重視するジャンプでは孫悟空から孫悟飯への世代交代は失敗に終わり、作者からするともう終わったはずの古い価値観の主人公が再登場してヒーローになってしまう。だからそれに対するアンチヒーローとしてサタンが配置された。民衆から外れた価値観の元ヒーローと民衆の味方である偽ヒーローの二人が登場するのだ。

 このようにドラゴンボールはもともとは勧善懲悪ではなかったものが、時の流れと共に勧善懲悪的になっていき最終的にその二つが協力して物語は終わる。気づいた人もいるかもしれないが、この止まった時の針を進めたのが尾田栄一郎であり、巻き戻したのが冨樫義博なのである。

 ワンピースは勧善懲悪の物語である。例えばウソップ編(といっていいのか分からないが)に出てくるキャプテンクロは強い海賊ではなく、元海賊の小悪党だったり。ラスボス臭を漂わせるティーチは裏切り者で恩を仇で返すキャラでありながら、マゼランの毒くらってダメージくらってたり。ワンピースの敵は悪いやつであって、強いやつではない。*5尾田は鳥山のファンらしく、いわばドラボンボールの読者代表である。そしてその読者がドラゴンボール終了の知らせを聞いて、「続きは俺が描く!」と意気込んで出来たのがワンピースだろうと考えられる。

 一方でハンターハンターは探求の物語である。例えばヒソカは明らかに悪いやつだが、未だにこらしめられず好き勝手に行動している。そしてそんなヒソカを見る主人公ゴンの目は「自分より強いやつ」であり、「目標(といっていいのか分からないが)」である。つまり行動の動機が初期の孫悟空に近い。意外な話だが、鳥山明はピッコロ大魔王編で終わらせるつもりだったらしく人気が出たフリーザ編以降は終わらせたくても終わらせられない状況と多忙な生活が続き精神的に参っていたらしい。そして最終的には原稿を見ただけで吐き気を催すほど「ダメになってしまった」。だから勧善懲悪っぽくなっていたあたりは実は描きたいものを描けない作家として苦しい状態にあったともいえる。この事は同じ時代を同じ舞台で描き続けた冨樫にとっては他人事ではない。なぜなら冨樫もまた同じ状況に陥り、編集部と対立した事もあるからだ。だから、作家として苦しい時代を思い出す後期ドラボンボールを引き継ぐ事は彼には出来なかった。ドラゴンボールは鳥山がカンフー映画ばかり見ている事からそれを題材にしてみたらというアドバイスがスタート地点らしい、そしてハンターハンターは作者の収集が趣味である事がそもそもの始まりらしい。これは偶然ではないだろう。ドラゴンボールが編集者やユーザーの意見に振り回されて元々のスタート地点からブレてしまった。それを元の地点に戻し「もう一度描きなおそう」と意気込んで出来たのがハンターハンターだろうと考えられる。

 いつもなら2、3分割している記事を強引に一つの記事にまとめて何が言いたいのかと言うと、ハンターハンターはグロいし、残酷だし、難しい用語が出てくるから大人向けで、ワンピースは人が死なないし、話が単純だから子供向けみたいな風潮だけど、それは規制表現という観点から見た話であって、むしろ「勧善懲悪」という視点から見たら、ハンターハンターのほうこそ子供向けで、ワンピースの方が大人向けなんじゃないのか?という事が気になったからである。まぁ、ちゃんと統計とったわけでもなく、あくまでも私の脳みその中での仮説にすぎないが。

*1:いわゆるジャンプ黄金期

*2:テニスの王子様」は却下、「シャーマンキング」も後の銀魂路線だと考えると微妙

*3:明らかにドラゴンボールリスペクトという感じ

*4:なんというか時代に取り残された感がある。

*5:もちろん強いくて悪いやつもいるが