14時間目「いつの日か分かり合える時が来るまで」

むかしむかし、人里はなれた山おくにまおうがすんでいました。
まおうはきたるべき時に備えて力をたくわえていました。
しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。
勇者に見つかったのです
まものたちはまおうをかくし部屋に送り、その中の一ぴきはまおうそっくりの姿に化けました。
次のしゅんかん、部屋の外からはおおきな声が聞こえました
まおうの首とったどー!みなの衆ひきあげじゃあ!
辺りはしんと静まり返り、
まおうが外に出るとそこには変わり果てた故郷の姿があるだけでした。
行くあても帰る場所もなくしたまおうは一人山を降りていくのでした。

 ……いきなりみょうな話をしてすまない。でもな、先生いつも思うんだ。ドラゴンクエスト4とはこのような見方のできる――いや、このような見方が必要なゲームだったんじゃないだろうか?

 と先生が思うのには理由がある。これを見て欲しい。

ハーゴン

次にこれだ。

天空の兜

 よーく見比べてほしい。何かに気づかないだろうか?……おどろくのはまだ早い。こちらも見てくれ。

エスターク

こっちも。

ロトの兜

 ここまで見せれば、先生が何を言いたいのか分かるよな?……え?まだ分からない?仕方ないな。

ドラゴンクエスト4 勇者
ドラゴンクエスト ドラゴン

 緑のかみ、左右のヒレ耳、ドラゴンの装しょくがついたつるぎやたて――ドラクエ4の勇者は明らかにドラゴンを意識してデザインされている。これまで「勇者」がたおすべきだった相手のイメージがそこにはあるんだ。この事は新シリーズ「天空」のお城に住んでいるのが「マスタードラゴン」というドラゴンである事からも明らかだ。

 対してそんな天空の勇者が戦う「じごくのていおうエスターク」のデザインはよろいのようなボディに、両手にけんを持っている。ドラゴンではない、明らかに人型のモンスターだ。先生がエスタークを初めて見たのはエニックスが出していたバトルエンピツ(バトエン)のイラストだったんだけど、それを見た時「こいつ敵なのか?味方なのか?」という疑問を持ったんだ。勇者が変身した姿にしか見えなかったからな。

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 聞くところによるとドラゴンクエストは堀井さんが考えたイメージを元に、ドラゴンボールで有名な鳥山明先生がイラストに起こすらしい。だからこの対照性というのはおそらく堀井さんも知っていた意図的なものだろう。

 こうは考えられないだろうか?、ロトシリーズでは天空の一族がモンスターとしてあつかわれ、天空シリーズではロト編の勇者がモンスターとしてあつかわれた。そう考えれば実はまったく別の世界に思えたこの二つのシリーズが実はつながっているのではないか?と考える事もできる。4でロトがなくなったのは、存在しないのではなく、存在はするが立場が変わったため、それを勇者だと言えないからじゃないか?

 ドラクエ4の敵ってひどいやつだよな。自らの野望のために勇者の故郷をおそってくる。ふつうに考えたら悪人だ。でもドラクエ4をプレイした人の中にはそんな敵側に「感情移入」してしまった人も多いんじゃないだろうか?不思議だよな。どんなに敵が自分達と同じような目にあったとしてもそれは自分達がやってきた事の仕返しなわけで、自業自得ってやつだ。でもそんなかれらにアッサリと悪だ!と言い切れない。むしろ同情してしまう……それは、かれらがやっている事が正にロトとして世界を救ってきた勇者(プレイヤー)達と全く同じ事をやっているからだ。

 ドラクエ4で敵に感情移入するという事は、その同情の余地がある人物を勇者がたおす物語を見る事になる。そして勇者は本当に善なのか?という疑問がプレイヤーの中に生まれる。中には「天空の勇者は悪だ!」という認識を持つ人も出てくるだろう。逆に天空の勇者に感情移入するという事は、かつての「ドラゴンクエストのプレイヤー」がやってきた事に疑問を持つ事につながる。「ロトの勇者は悪だ!」という認識を持つ人も出てくるだろう。

 そうなんだ。ゲーム史上初めて「勇者は悪」としたゲームはファイナルファンタジーでも、女神転生でも、ウィザードリィでも、ましてやmoonでもない。実はドラゴンクエスト自身だったんだ。ドラゴンクエストで勇者になるのを楽しみにしていた子供たちは、その最新作を遊ぶ事で勇者を否定する事になったんだ。皮肉な事に勇者に対するアンチを生み出したのは堀井さんだったんだな。なんだかさみしいな。

 でも、「勇者は悪だ!」という事ががドラクエ4の伝えたい事だったのだろうか?
 

中世の価値観に慣れてしまったプレイヤーを、
いつのまにか、次の時代へといざなうためにこそ、
このゲームは、5つの章で構成されることになったと考えていい。

では、それぞれの章を、詳しく分析してみよう。

・第一章:王の部下。王の命令で出発。でも最後は自分の意志で旅立つ
・第二章:王の娘。王の命令に反抗し、冒険に出る。最後に王が消える
・第三章:庶民。自分のために冒険。稼ぐために王を利用することも可
・第四章:庶民。親を殺した相手を追う。その王はニセモノだった
・第五章:家族同然だった村人たちが全滅し、冒険に出る

 野安ゆきおさんのコラムにはドラクエ4は中世から近世の移り変わりを章ごとに段階をふんでえがいているらしい。この事に先生も異論はない。ただ、ドラクエ4はこれらの章がぶつ切りでとぎれているわけじゃない。注目して欲しいのはそれぞれの章のキャラクターが仲間になる順番だ。

 実を言うとキャラクターが仲間になる順番は単純で5章のとちゅうから4章の主人公が来て、その次に3章の主人公が、次に2章、1章と、近代的な価値観の仲間からどんどん中世的な価値観を持っていたキャラを仲間にしていくのである。物語では「ホイミンというまものを仲間にして」「王宮のために働く戦士」であるライアンを仲間にして導かれし者たちはそろう。でも、この物語の中にライアン以上にまものに近く、王族に近いキャラクターはいなかっただろうか?4の物語の可能性として、世間知らずだった勇者が価値観のちがう仲間を増やしていき、最後には敵対していた相手を許し、本当に戦わなければならない相手と共に戦うという展開もありえたのではないだろうか?仲間になる順番からはそれがうかがえる。

 実はこのことはリメイクされたドラクエ4ではハッキリとした答えが出てしまっているんだけど、それを言うとネタバレになってしまうから、ここでやめておこう。いずれにしてもバッドエンドだった4は実はハッピーエンドで、ロト編が完結するのは集大成の3でも、時系列的に最後の2でもなく、この4だったのかもしれないという事は知っておいてもいいんじゃないだろうか。

 それにしてもしょうげき作だよな。勇者ブーム、RPGブームの中で本家大元が正義をとなえ悪を倒す!という「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」だとか「勇者」を否定したら周りも安易に正義とか勇者とか使って物語を作れない。当然それはドラクエだって同じだ。「勇者って善じゃなくね?」ってなったら物語を作るのに苦労するはずなんだ。でも、そんなドラクエ4が出た後もドラゴンクエストは「勧善懲悪」の物語をえがく事ができたんだ。その秘密を語りたいところだけど、今日はここまでだ。おーし!解散!